奥駈男道

奥駈男道-準備編-
奥駈男道-番外編part1-脊振縦走
奥駈男道-夢は叶わず-
奥駈男道-再挑戦へ-
奥駈男道-準備編-part2
脊振縦走-コースタイム-
奥駈男道-番外編 part2-小辺路編
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ここからは、2017年失敗した、奥駈男道-準備編-です
2018年予定の奥駈男道-準備編-part2は下段にあります

奥駈男道-序章
2017/04/12更新-2016/11/10

2016年秋の山旅は、長雨や台風に悩まされ阻まれました。
付焼刃で登った近郊の山は満足できるものではありませんでした。
ふと、大峯奥駈のことを思いだしました。
2008年北アルプス槍ヶ岳を歩き、2015年ジャンダルムに登るまで7年間かかりました。この間、たくさんの山旅を楽しみ、一段一段、階段をあがってきたと思います。楽しみは、長ければ長いほどいいようです。
2017年5月GWに大峯奥駈を歩いてみたいと思います。
あと6カ月です。このページではその準備を楽しみたいと思います。
タイトルは、奥駈男道としました。

日程を示します。期間は、2017年5月3日(水曜日)から7日(日曜日)までの5日間。
もちろん、この間に当直が当たれば中止です。天候が悪くても中止です。私の心技体が崩れても中止です。その他の理由で中止になることもあるでしょう。

簡単な日程の予定表を示します。

年月日2017/05/022017/05/032017/05/04201/05/052017/05/062017/05/07
日程前泊第1日第2日第3日第4日第5日
宿泊場所下市口龍泉寺弥山持経宿玉置神社
宿泊方法ビジネスホテル宿坊宿坊宿坊宿坊
コースタイム①9hr05min7hr50min11hr00min10hr35min7hr00min
コースタイム②10hr40min9hr30min11hr35min11hr50min7hr40min

コースタイム①は、新宮山彦さんのネット情報を参考にさせていただきました、こちらはスタートは近鉄六田駅です。
コースタイム②は昭文社の山と高原地図【大峰山脈】からでこちらはスタートが吉野となっています。

コースタイムに差があります。どちらを信用すればいいのでしょうか。わかりません。あくまで参考タイムです。
山と高原地図のものでは、通常は80%位で行けますが、厳しめに設定されているものもあり鵜呑みにはできません。

2017年1月から3月まで、脊振山系で訓練を積みました。しかし、最後の2泊3日の脊振縦走は天候などにより中止となりました。しかし、この間、多くの事を学びました。この経験を元に大峯奥駈の準備について再考したいと思います。


                    

コースタイム①(新宮山彦さんのネット情報)、コースタイム②(昭文社の山と高原地図【大峰山脈】)よりも早いようです。
コースタイム②(昭文社の山と高原地図【大峰山脈】を呈示します。

第1日(吉野から山上ヶ岳)
吉野-吉野水分神社1hr20min
-奥千本口40min
-青根ヶ峰40min
-試み茶屋跡1hr10min
-四寸岩山1hr
-二蔵宿小屋1hr
-大天井ヶ岳1hr20min
-五番関所40min
-今宿跡55min
-洞辻茶屋55min
-山上ヶ岳1hr
10hr40min

第2日(山上ヶ岳から弥山)
山上ヶ岳-阿弥陀ヶ森1hr20min
-大普賢岳1hr20min
-七曜岳1hr20min
-天川辻1hr30min
-一ノ垰1hr30min
-奥駈道出合30min
-弥山2hr
9hr30min

第3日(弥山から持経ノ宿)
弥山-八経ヶ岳30min
-明星ヶ岳20min
-舟ノ垰1hr40min
-楊枝ノ森15min
-楊枝ヶ宿小屋15min
-鐺返し1hr30min
-釈迦ヶ岳1hr10min
-深仙小屋35min
-太古の辻35min
-天狗山1hr
-地蔵岳1hr10min
-涅槃岳1hr20min
-持経ノ宿1hr15min
11hr35min

第4日(持経ノ宿から玉置神社)
持経ノ宿-平治の宿55min
-倶利加羅岳1hr15min
-行仙岳1hr30min
-行仙宿山小屋25min
-笠捨山1hr20min
-地蔵岳1hr05min
-香精山1hr10min
-蜘蛛の口1hr45min
-花折塚1hr20min
-玉置神社1hr05min
11hr50min

第5日(玉置神社から熊野)
玉置神社-玉置辻30min
-大平多山分岐1hr
-五大尊岳1hr40min
-大黒天神岳1hr15min
-吹越権現1hr10min
-七越峰55min
-備崎35min
-熊野本宮大社35min
7hr40min

                    
大峯奥駈
水色丸印は水補給可能、オレンジ丸印は摂食を心掛けるところ
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奥駈男道-衣類編
2017/04/12更新-2016/11/10

生きていくためには、衣食住が必要です。山も同じです。
ここでは衣類を扱います。
これまでの登山では、毎日の着替え、夜間の着替え、帰りの服などを工夫してきましたが、今回は着替類はごくわずか(一組)のみです。雨に当たり濡れた場合に対してのみです。帰りの着替えはありません。

ズボンは秋用で、小屋では夏用のズボン(黒)を用意します、下山後の帰路でも使用します。下着を用意します。
上着は、アイスブレーカー(紺)を毎日着用する予定です。小屋では色違いのアイスブレーカー(黒)を着用します。これはとても暖かくて、汗をかいてもあまり臭いがしません。2016年の秋山の北アルプス縦走でこのパターンを試したところ快適でした。帰路は下山後、熊野神宮でTシャツなど買えたらいいかなあと思います。
防寒具は、ナノパフとフリースを考えています。アウターは、ノースフェイス(黄色)と雨具(モンベルのストームクルーザー黄色)です。通常の行動は、暑かったらノースフェイス(黄色)、雨だったら雨具、寒くなったら、インナーで工夫します。
その他には手袋(薄手のミズノを同じもの2つ、スパッツ、ノースフェイス帽子(赤)を用意します。最後にサングラスです。軽い薄手のタオル二組。
靴下は登山用予備1足、小屋用でユニクロのショート2足、帰路の靴下は今回は用意しません。

登山靴は、以前はシリオのものを使っていましたが、石井スポーツの人の話でAKUの靴を履いています。本当によかったのかどうかわかりません。シリオの一番好きだったモデルが廃版になり、巡り巡ってこうなったというのが現状です。特に気に入っているということもありません。3年間使用し同型のモデルを購入しました。旧いAKUの靴は履きなれたので、ソールを変えるつもりです。
石井スポーツの人のアドバイスでソックスは厚めです。10時間以上歩くと靴擦れを生じることが多いようです。一番ひどい時はえぐれてしまいました。今は、前もって大きめのバンドエイドを用意しています。本当に靴擦れができた場合は靴擦れ用のキズパワーパッドを使用しています。
2017年4月より新しい靴を履きましたが、まだなじめません。旧い靴を利用するかもしれません。

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奥駈男道-食料編
2017/04/12更新-2016/11/10

食について考えます。登山では、一日に何kcal必要でしょうか。
2016年10月号の山と渓谷111-115ページを参考にします。
【エネルギ-消費量(kcal)】=【活動強度(メッツ)】x【体重(kg)】x【時間(hr)】で示されます。METS(メッツ)は、活動の強さが安静時の何倍に相当するのかを表す単位です。
普通歩行(4km/hr)やラジオ体操のメッツは3-4、早めの歩行(6km/hr)は5-6、ゆっくりしたジョギング(4-5km/hr)は6-7、登山のメッツは7.3とされています。
私の体重は70㎏です。メッツ7.3として計算します。

年月日2017/05/022017/05/032017/05/04201/05/052017/05/062017/05/07
日程前泊第1日第2日第3日第4日第5日
歩行予定時間①9hr05min7hr50min11hr00min10hr35min7hr00min
必要予定カロリー46424003562154083577

第3、4日は必要予定カロリーが5000カロリーを越えます。
当初は、全てテント泊を考えましたが、私の年齢、疲労度、ザックの重量、ガスカートリッジ消費量などを考え、宿坊に泊まることにしました。
突っ走るのではなく、ゆっくり。
これに伴い食事は下記のようになります。

年月日2017/05/022017/05/032017/05/04201/05/052017/05/062017/05/07
日程前泊第1日第2日第3日第4日第5日
朝食パン精進食α米α米α米
昼食①パン精進食チョコレートケーキチョコレートケーキα米
昼食②パンパンα米α米クリームグラノーラ
昼食③パンなしα米α米
夕食精進食精進食α米α米
宿泊方法ビジネスホテル宿坊宿坊宿坊宿坊

私は、登山中は4時間毎にお腹がすきます。4時間を目安にエネルギー補給が必要です。脊振の訓練で3-4時間毎の摂取を考えてみました
第1日と第2日は宿坊で食事を頂きます。夕食は精進料理(?)となります。カロリーは低いと推定されます。
第1日はパン食なので高カロリーです。通常のパンは、1個当たり400-500カロリーです。朝食時に2個食べ、昼食①②③などで夕方までにパンを4個食べると総計6個で3000カロリー弱となります。それから精進食を頂くと丁度よいと思います。
第2日目は歩行距離が最も短かく、歩行予定時間は8時間を切っています。出発時間を6時とすると、龍泉寺宿坊で朝食(精進料理)を頂き、昼食①は宿坊のお弁当(精進料理)を頂き、昼食②は、14時前には弥山到着後に弥山で食べることになります。
第3日目と4日目では昼食②に加えて昼食③をとることにしました。これは脊振シリーズの結果から再検討しました。

奥駈男道の後半はα米の食事が主体となります。
当初は、昼食③に組み入れていたグラノーラセットを行動食などとしました。グラノーラセットの利点は、1)高カロリー、2)軽い・コンパクト、3)栄養のバランスがよく、ビタミン、カルシウム、食物繊維も豊富などです。欠点は1)美味しくない、2)パサパサして乾燥している。
美味しくない点は我慢します。グラノーラセットと示しましたが、通常のグラノーラは容積が増すので、板状になったものを用意したので、グラノーラセットとしました。パサパサした感じでは登山中に水分なしに食べることはできません。

長時間歩行となる第3日、第4日の朝食、昼食①、②、③、夕食をみてみましょう。

第3日、第4日の朝食です。アマノとあるのはアマノフーズです。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
尾西α米
白米100g
1003666.31.182.73.9
アマノ親子丼22927.72.59.6669
永谷園
味噌汁FD
9.4322.30.74.1777
131.449016.34.396.41449.9

3日目と4日目の昼食①はファミマの厚切りチョコレートケーキです。これは美味しくて比較的食べやすい。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
チョコレートケーキ964616.730.839.263

3日目と4日目の昼食②はα米のエビピラフです。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
エビピラフ1003618.91.877.31070
BalanceUp
ブランの力
アーモンドと繊維
301242.65.120.06.0
小計13048511.56.997.31140

3日目と4日目の昼食③はα米の田舎ごはんです。但し、昼食①②③の順は決定していません。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
田舎ご飯1003626.61.680.2789
ブランの力
いちじくと繊維
301282.35.620118
小計1304908.97.2100.2907

3日目と4日目の夕食はカレーセットです。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
尾西α米
白米100g
1003666.31.182.73.9
アマノ畑のカレー
野菜アマノ
372094.416.210.1870
アマノ 3種の
チーズの
クリームパスタ
291464.47.315.6496
おさかな
ソーセージ
801467.78.310.1580
24686722.832.9121.31949.9

総計です。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
総計733.4279366.282.1454.45509.8

3日目と4日目の総計です。カロリーとして不足です。行動食として①グラノーラ、②一本満足チョコレートバー、③SoyJoyを入れることにしました。

                    
種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物食物繊維
BalanceUp
玄米グラン
メープルくるみ
301392.75.820.22.2
BalanceUp
玄米グラン
はちみつレーズン
301411.96.320.12.1
BalanceUp
フルーツ
グラノーラ
301332.35.220.32.3
904136.917.360.66.6

グラノーラセット(5組使用した場合)のカルシウム、鉄、ビタミンを示します。

グラノーラセットは、鉄やCa、ビタミンの食事摂取基準(1日量)に到達します。

種類カルシウム(mg)鉄(mg)Vit A(μg)Vit B1(mg)Vit B2(mg)Vit B6(mg)
グラノーラセット116712.4876-22882.332.672.52
1日当たりの
日本人の
食事摂取基準
50-69歳、男性
7007.58501.31.51.4
種類Vit B12(μg)Vit D(μg)Vit E(mg)ナイアシン(mg)葉酸(μg)パントテン酸(mg)
グラノーラセット4.57.28-15.113.0-15.727.345010.4
1日当たりの
日本人の
食事摂取基準
50-69歳、男性
2.45.56.5142405

行動食②と③です。

                    
種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
SoyJoy
プレーン
301314.46.515.6
一本満足
チョコタルトバー
411863.08.924.9
小計/td>713177.415.440.5

3日目と4日目は、その他にポテトチップス、チョコレートを用意する予定です。その他にアミノバイタルの粉末を水筒用(2日分)準備します。

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奥駈男道-宿泊編
2017/04/12更新-2016/11/10

ここでは、主に宿泊、その他について考えます。
当初は、第1日目と第2日目の大峯奥駈(北の道)のみ宿坊に泊り、(南の道)はテント泊と考えていました。
重さの検討から、テント泊を断念しました。

年月日2017/05/022017/05/032017/05/04201/05/052017/05/062017/05/07
日程前泊第1日第2日第3日第4日第5日
宿泊場所下市口龍泉寺弥山持経宿玉置神社
当初の案
宿泊方法
ビジネスホテル宿坊宿坊テントテント
重さ検討後
宿泊方法
ビジネスホテル宿坊宿坊宿坊宿坊

山岳修行という意味から宿坊泊もいいのではないでしょうか。
しかし、1日目の龍泉寺と2日目の弥山は食事が出るそうですが、3日目の持経宿坊と4日目の玉置宿坊は食事はでません。

3日目の持経宿坊は、シュラフが必要のようです。シュラフは夏用でモンベルULダウンハガー#7(391g)を予定していましたが#3に変更しました。脊振で、寒いと眠れないことがわかりました。

モンベルのツェルトを持参する予定です。

食器は、スノーピーク雪峰(大)と計量カップの組み合わせにしました。

ガスコンロ(ガスを含む)とクッカーはペアで考えなければいけません。ガスの使用回数は、湯沸し(500-600ml)を最低7回、高地、低温などを考慮しジェットボイル(マイクロモ)にしました。

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奥駈男道-電器編
2016/11/10

電化製品は、ヘッドライト(ペツル)を同型2個、ラジオ、携帯電話(ガラケー、乾電池式充電器)、GPSです。
単4乾電池(11g)を10本、単3乾電池(23g)を4本です。
ヘッドライトは2個にするか、1個にしてペンライトを用意するか、最後まで考えます。

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奥駈男道-薬剤編
2016/11/10

持参薬は、ロキソニン、カロナール、ムコスタ、タリオン、プレドニン、ベルソムラ、降圧剤、芍薬甘草湯、真武湯、PL顆粒、改源です。
鎮痛薬、風邪薬、胃薬、足がつった時、虫刺され、下痢などに対応しています。その他にロキソニンテープ、バンドエイド各種を用意しました。

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奥駈男道-重量編
2017/04/02更新--2016/11/10

重(荷物の重さ)について考えます。その前に簡単な日程の予定表を示します。
コースタイム①は、新宮山彦さんのネット情報を参考にさせていただきました、スタートは近鉄六田駅です。コースタイム②は昭文社の山と高原地図【大峰山脈】のもので、スタートが吉野となっています。

年月日2017/05/022017/05/032017/05/04201/05/052017/05/062017/05/07
日程前泊第1日第2日第3日第4日第5日
宿泊場所下市口龍泉寺弥山持経宿玉置神社
宿泊方法ビジネスホテル宿坊宿坊テントテント
コースタイム①9hr05min7hr50min11hr00min10hr35min7hr00min
コースタイム②10hr40min9hr30min11hr35min11hr50min7hr40min

(衣類)
種類名称重さ(g)
衣類フリース:行動の防寒258
衣類ナノパフ:宿での防寒304
衣類黄色:超薄手アウター162
衣類アイスブレーカー212
衣類登山靴下(替)120
衣類ズボン277
衣類靴下(short)x280
衣類下着x280
衣類手袋ミズノx296
衣類タオル今治65
衣類タオルストライプ67
衣類スパッツ150
衣類サングラス62
衣類雨具下224
小計2157
                    

着替えらしいのは、アイスブレーカーのみです。
手袋は紛失しやすいので予備を用意しました。
残念ながら、帰路のシャツや靴下は用意しません。


(食器など)
種類名称重さ(g)
水筒Platypus(2L)x266
水筒Platypus(1L)x252
水筒Nalgen(500ml)x2178
浄水器61
食器器(大)126
食器器(小-計量カップ)113
コンロマイクロモ374
ガスカートリッジ194
食器スプーン(木)x222
食器漏斗23
小計1209
                    

水筒は、普通はこんなにいりません。3泊めの持経ノ宿では水を汲みに行くのですが、往復10分くらいだそうです。
その日は遅く到着し、翌日は早立ちです。水汲みは一回で済ませたいと思いました。省くとしたら、ビニール水筒1Lと2Lを各々1個にします。浄水器は非常用です。漏斗も同じような意味合いです


(食物)
種類重さ(g)
α米白米5食500
α米味付5食500
α米用の袋4袋40
クリームパスタ2食(アマノフーズ)86
親子丼・牛丼2食(アマノフーズ)62
味噌汁2食(ドライフーズ)30
ソーセージ2本(セブン)160
カレー2食(アマノフーズ)76
どん兵衛リファイルうどん70
チョコケーキ2個(ファミマ)192
グラノーラ5袋セット
ジブロック
2組336
小計2052
                    

チョコレート、ポテトチップス、クリームグラノータ、行動食(菓子類)を増やす予定です。出発直前まで検討します。朝食にチーズ蒲鉾x2を追加すると+90gになります。


(宿泊・電器)
種類名称重さ(g)
シュラフモンベル#3696
ヘッドライトティカx296
ラジオsony55
単3乾電池4本92
単4乾電池10本110
カメラ電池olympus43
GPSガーミン116
小計1208
                    

予備のカメラを持たないのは初めてです。予備のヘッドライトを持つのは初めてです予備のヘッドライトにするかペンライトにするか(-22g)は最後まで考えます。予備は予備、ペンライトは実用性ありというところでしょうか。
GPSは、北アルプスなら持ちませんが、今回は、車道や歩道が入り乱れているようなので用意しました。これがなければ116gが減り、単三電池が2本に減り、208gが減ります。


(その他)
種類名称重さ(g)
ザックノースフェイス1800
白袋(emergent)α
紺袋(emergentβ
小計1800+α+β
総計8426+α+β

ツェルト250gは追加予定。傘。

増やす候補として、飴、食物、珈琲などです。
9㎏以下にすると、1日目は水2.5Lで11.5㎏です。これなら北アルプスで縦走しているときと同じです。
4日目は水を3-3.5L持つ予定です。食料は約1㎏減っているでしょうから、恐らく3.5Lになっても大丈夫だと思います。

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奥駈男道-心技体知編
2017/04/02更新--2016/11/10

奥駈男道に必要なのは、心技体と知です。そして運。天候、周囲のさまざま条件です。

大峯奥駈を目指し、2016年11月以降の訓練データを示します。

訓練内容時間など
2016年11月約10㎞ウォーキング(自宅までの帰路を利用)約2時間を5回
2016年11月雲仙登山4時間
2016年11月雷山登山7時間
2016年11月高祖山登山2時間
2016年11月の訓練時間約23時間

2016年11月27日(日曜日)雨の中、晩秋の雷山ピストン敢行。行きは4時間、帰りは3時間でした。午前6時、暗い中に出発、冷たい雨の中、登山道では誰とも会うことはなく、静かな素敵な山旅でした。猪が鉄格子の罠にかかっているのを始めてみました。ちょっと不気味。

訓練内容時間など
2016年12月約10㎞ウォーキング(自宅までの帰路を利用)約2時間を4回
2016年12月近くの山登山2時間
2016年12月佐世保裏烏帽子登山7時間
2016年12月雷山・井原山登山8時間
2016年12月高祖山登山2時間
2016年12月の訓練時間約27時間

雷山井原山の周回登山は、8時間で終了。いいタイムだと思います。朝5時起床、6時に出発。
今回は食事の練習を行いました。大峯奥駈男道の3日目と4日目の練習です。朝食はα米と親子丼、味噌汁、昼食①はα米、昼食②はグラノーラ増量セットです。
昼食①は、前日の夜にお湯をいれて作りましたが、朝にお湯をいれて作った方がいいようです。容器はプラスチック製の容器でいいようです。丁度、お弁当の様な感じです。結構ボリュームを感じました。
昼食②のグラノーラセットは単調でした。紅茶はあまりおいしくなかったので、コーヒーに変更する予定です。
何かしら、しっかりとした非常食が必要と感じました。無印のバウムかカルビーのポテトチップスを考えてみます。5月までこんな練習を繰り返していきます。

訓練内容時間など
2017年1月約10㎞ウォーキング(自宅までの帰路を利用)約2時間を6回
2017年1月2日雷山・井原山登山9時間
2017年1月14日雷山登山7時間
2017年1月1日高祖山登山2時間
2017年1月佐世保市街地周回5時間
2017年1月21日浮岳登山7時間
2017年1月の訓練時間約42時間

2017年お正月、元旦は高祖山からの初日の出がきれいでした。早速、高祖山に登り、高祖神社で初詣。
2日は、朝5時半から雷山井原山の周回登山に行きました。年末に雪が降ったのか、尾根沿いは、雪が少し残り凍っていてとても歩きにくかったです。9時間かかりました。12月25日は8時間でしたが、残念。

連休は、佐世保に帰って裏烏帽子など考えていましたが、天気は悪く、体調も悪かったので、市街地を周回しました。その他にも市内を歩いていました。いつも、夜walkingで3時間から3時間半程度でした。
今回は、昼の散策で、景色を眺めました。沢山のお店がしまっており、コンビニが2-3軒増えていました。便利ですが寂しい感じで、地方都市の悲哀を感じます。人口減少に歯止めがかからないのでしょう。

                    

2017年1月中旬、今冬は暖かったのですが、東日本を中心に寒波が襲いました。雷山登山を行いましたが、雪はほとんどなく、つららも少しある程度でした。

                    

2017年1月22日、雪の予報がでていました。福吉駅から十坊山、浮岳、女岳と歩き、荒川岳から筑前深江駅まで戻ってきました。いいことを思いつきました。
奥駈男道の準備として、背振縦走をしてみよう。

                    

2017年1月は42時間歩きました。

訓練内容時間など
2017年2月約10㎞ウォーキング(自宅までの帰路を利用)約2時間を5回
2017年2月二丈岳周回約4時間
2017年2月二丈岳女岳浮嶽十坊山縦走約7時間
2017年2月荒川峠羽金山雷山井原山縦走約12時間
2017年2月虚空蔵山約1時間
2017年2月の訓練時間約34時間

2月は土曜日に当直が2回あるので山歩きはなかなかできないかと思っていましたが、かなり歩けています。

2月下旬、両親の勧めもあって、長崎県の川棚町の虚空蔵山に登りました。登山口までは年老いた父が送ってくれたのですが、林道が荒れており、登山口まで大変でした。帰りは林道を歩いて降りるつもりでしたが、父が心配だったので登山口でそのまま待ってもらいました。
登山口から頂上までは40分と標識に記載がありました。ファミリーコースだそうです。結局35分で往復しました。年老いた母がお弁当とお茶を用意してくれたのです自宅に帰ってから食べました。ゆっくり縦走した方が楽しめそうです。

訓練内容時間など
2017年3月約10㎞ウォーキング(自宅までの帰路を利用)約2時間を6回
2017年3月洗谷雷山神籠石古墳めぐり約11時間
2017年3月浜松研修会場まで往復約2時間
2017年3月脊振1泊2日約22時間
2017年3月の訓練時間約47時間

3月、奥駈までもうすこしです。1泊2日で脊振縦走を行ないましたが楽しめませんでした。

訓練内容時間など
2017年4月約10㎞ウォーキング(自宅までの帰路を利用)約2時間を4回
2017年4月基山散策約3時間
2017年4月雷山千如寺、古墳めぐり約5時間を1回
2017年4月三瀬峠井原山雷山めぐり約6時間を1回
2017年4月雷山避難小屋/荒川峠約7時間を1回
2017年4月高祖山登山3時間
2017年4月の訓練時間約32時間

4月、靴ならしなど最終調整に入っています。

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奥駈男道-番外編-脊振縦走

#0 脊振縦走を思いつく
2017/01/21

Baltoro65のザックを買って、心うきうきしながら、階段を降りると【糸島の山歩き】というパンフレットがふと目に止まりました。以前、雷山・井原山のパンフレットは持っていました。今度のパンフレットは、【二丈岳・十坊山・浮嶽・女岳】です。何気なく手に取り、持って帰っていました。
それが何故か、医局の机の上にあり、福吉駅から登れるのだなあということがわかりました。
早速、調べてみると、福吉駅からどうやら雷山・井原山を経て三瀬峠、脊振山、そして原田駅に歩くルートがあるそうです。約80㎞位だそうです、1日では歩けそうにないので、とりあえず、刻んで歩いてみることにしました。
奥駈男道の訓練には最適のようです。

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#1 福吉駅-荒川峠
2017/01/21

2017/01/20、勤務を終え、近くのスーパーで朝と昼のパンを買い込み帰宅。
早速、明日の準備に取り掛かかりました。天気予報は雪。防寒具は必須ですが、先週、雷山に登っており、おおまかな気温は推測できます。念のため、アイゼン(6本爪)をザックにいれました。水筒は水1L、ホット珈琲350ml用意しました。
手に入れたパンフでは福吉駅から荒川峠まで約6時間、そこから車道を下り、筑前深江駅まで歩くと目測で2時間位、計8時間を予定しました。パンフレットよりも少し早く歩けるかもしれませんが、稜線は雪の筈です。

福吉駅には午前7時前に到着。GPSガーミンをスイッチオンにしましたが、相変わらず調子悪いようです。とりあえずそのまま歩きます。十坊山通過、曇っており展望は良くありません。大きな石があります。

十坊山山頂の割れた大岩

白木峠通過。登り返しがあり、浮嶽到着。途中から積雪がありました。ここでGPSをさわっていると、無事起動しました。とてもよかったです。パンを2個たいらげ、ホット珈琲を飲みました。晴れていたら良い展望のようですが、残念。

                    
浮嶽山頂浮嶽上宮
                    

荒谷峠、女岳、荒川峠と踏んできました。積雪の中に妙に艶っぽい女岳とは。何と読むのでしょうか。「おんなだけ」?、「めだけ」?。

                    
初雪や 今日も元気 女岳
                    

荒川峠からは、車道です。しかし、なんと、登山道よりも凄く荒れています。以前は車道だったのかもしれません。今は、とても車は通れないのではないでしょうか。下り道を少し早めに歩いて約2時間。分岐もどちらに行けばいいのか不安でしたが、浮嶽で動き始めたGPSをみて筑前深江駅に到着しました。登りは3時間で来れるでしょうか、ちょっと不安。

                    
荒廃した車道

福吉駅を午前7時に出発し、筑前深江駅に到着したのは午後2時、7時間の山旅でした。稜線が雪でなければもう少し早く降りて来れたと思います。
次は、筑前深江駅から荒川峠までこの道を登り返し、荒川峠から雷山まででしょうか。

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#2 二丈岳周回 苦戦
2017/02/05

2017/02/04土曜日の午後、当直業務についていました。17時になると、突然、当直室をノックする音、ドアを開くと夕方からの当直の人です。なんと、日当直と思っていたら夕方までの日直だったのです。夕方から帰宅。2月5日日曜日は朝から完全にフリーです。目の前がパッと明るくなりました。

1月に福吉駅から十坊山、浮嶽、女岳、荒川峠、筑前深江駅と歩きました。すぐに、筑前深江駅から荒川峠-雷山-周船寺の周回コースが頭の中に浮かびました。家で準備を楽しみました。しかし、朝5時に起きてみると、風雨が強く即座に中止しました。こんなこともあるでしょう。午前7時を過ぎると雨は小降りになり、風はおさまってきました。
二丈岳くらいは登れそうな雰囲気です。早速、準備にとりかかり、筑前深江駅から二丈岳へ目指しました。地図は糸島市シティセールス課が作成した地図(糸島の山歩き、二丈岳・女岳・浮嶽・十坊山編)です(雨なので2部持っていきました)。
筑前深江駅から二丈岳登山口まで①から⑩まで道順が示してあります、とても正確に記載してあります。腕時計はPROTREKで方位計がついています。
雨は小降り程度ですが、ガスがかかって視界は良くありません。登山道はしっかりしています。順調に歩みを進めていると、二丈岳の往復ピストンでは勿体ないなあと思いはじめました。二丈岳から南に下り、荒川峠まで行き、荒川峠-筑前深江駅の道をもう一度歩こうと思いつきました。そうすれば、次回、筑前深江駅から荒川峠までの道がもっとよく把握できると思ったからです。

糸島市シティセールス課が作成した地図
(糸島の山歩き、二丈岳・女岳・浮嶽・十坊山編)

なかなかいい考えです。あっという間に二丈岳山頂に到着しました。

ガスで視界は不良のまま。風も強くなり、雨脚も強くなってきました。頂上付近をうろうろできる状況ではなかったので、ピストンで筑前深江駅に戻ることも頭をよぎりましたが、やはり荒川峠を目指すことにしました。頂上付近の点線の道はみつけることはできなかったので、筑前深江駅方向とは反対方向へしっかりした登山道を下山することにしました。

地図では緑の線です。荒川峠は途中から青い線の方向へ左折し、それから青い線とピンクの線が重なるところで、ピンクの線の道へ移り、荒川峠を目指すことにしました。もしも青い線とピンクの線が重なっていなかった場合は、次の分岐で青い線からピンクの線にはいれるはずです。

黒い矢印にそって歩く予定でした。

緑の線で示された下山路から、青い線へは、南の方角へ90°左折します。青い線は二丈岳林道と記載されており、登山道と比較すると明瞭な道だと推定しました。

左手に注意しながら歩きましたが、南方向への道はあらわれませんでした。すぐに広い場所にでました。
正面方向は突き当りです、三叉路となっていて、標識は、右は真名子木の香ランド方向、左はキャンプ場方向となっていました。真名子木の香ランドは荒川峠とは逆方向です。キャンプ場はどこのキャンプ場かわかりませんでしたが、こちらに行くことにしました。この道が青い線だとしてもプロトレックの方位計は南を示しません。
私の頭の中はおかしくなってきました。今どこにいるのかわからなくなったのです。
視界はガスで相変わらず悪く、山はみえません。三叉路を右に行けば真名子木の香ランド、左に行くとキャンプ場です。左の道は林道(舗装されいてませんが車道)です。真名子木の香ランドへの道から90°左に曲がるつもりでしたが、180°違う方向です。山の中だから、細かな角度は省略してあり、すぐに角度が変わるのだろうかと都合よく考えながら下っていくと、ジグザグの道で方向感覚を失い、方位計もいろいろな方角を示します。ガスで山もみえません。
①筑前深江駅から登ってきて、二丈岳山頂からは登山口とは違う方向(南)に歩いてきたこと、②今、車道にいること、③真名子木の香ランドとは180°違う方向に下ってきたこと、④林道は等高線にほぼ水平にやや下っていること。⑤緑の線から南へ左折する道はなかったことなどが頭を駆け巡りました。
二丈岳から下ってきた方向が南方向なので、そこから東へ下れば筑前深江駅に、西へ下れば福吉駅に着くだろうと大まかに考えながら歩きました。するとキャンプ場(C)に到着しました。そして、なんと大きく真名子木の香ランドと看板がありました。立派なキャンプ場でした。

                    

糸島市シティセールス課が作成した地図の裏をみると、なるほど、真名子木の香ランドにはキャンプ場があります。私は、その時、地図上の真名子木の香ランド(E)までやって来たと錯覚しました。キャンプ場(C)が真名子木の香ランド(E)と思ったです。キャンプ場には道が交錯していました。青い線とピンクの線が重なっているところかとも考えましたが、その考えはすてました。なにより、キャンプ場には、真名子木の香ランドと大きなプレートがあったのです。真名子木の香ランドの中で北に行く、地図上の緑の道があるはずです。しかし、ありません。もちろん、ガスはかかっていますが、遠方の視界はありませんが、周囲ははっきりと見渡せます。私は既にプロトレックの方位計を信じることは半分やめていました。機械は壊れることがあるからです。
①真名子木の香ランドにいること、②車道にいることははっきりしています。しかし、真名子木の香ランドまで降りてくる間には、青とピンクの線が重なるところや女岳の北登山口に連なるつばきはしがあるはずですが、ありませんでした。真名子木の香ランド内のキャンプ場内には地図があり、キャンプ場の車道に立つと、視界がわるく見えませんが女岳に正対(南向き)しているようです。つまり、車道をこのまま右手に下れば、西の方角、福吉駅方向だろうという具合に推定できました。ということでルールを立てました。この道が下りであればこの車道をおりる。

                    
真名子木の香ランドキャンプ場に到着し、真名子木の香ランドに
到着したと勘違いしました。
赤い矢印は私が歩いた道。
(C)に着いたとき、真名子木の香ランドのプレートを見て
(E)に着いたと勘違い。
                    

もう一度、①真名子木の香ラントにいること(その時は実際はCにいるのにEにいると勘違い)、②車道にいることを確認しました。但し、車道の方角は方位計と一致しません。方位計はあきらめました。道が下っていき、途中で山か海がみえればまた違う判断ができるはずです。時間、飲料水、食料はたっぷり、こんな経験はなかなかできません。すると橋があって女岳北登山口とありました。またまたわからなくなりました。真名子木の香ランドを越えると、出てくるのは女岳西登山口への道では?。糸島市シティセールス課が作成した地図をみなおしてみると、どうしてもおかしい。キャンプ場にもどり、ここが真名子木の香ランドであることをもう一度、確認しました。間違いなく真名子木の香ランドです。
真名子木の香ランドを基準にします。後は車道をおおまかに西方向に下るのみです。同じ道を下り、女岳北登山口と示している橋を越えるとほどなく、右手に比較的大きな建物がありました。地図の標識もあり二丈岳登山口とあります(念のため標識の地図を撮影しました)。ここでも私は何処にいるのかわかりませんでした。
車道を西へ、下る、そうすれば福吉駅に出るはず。今度は、道が二手に分かれました。その付近から右手に海がみえてきたので、私が考えていることはおおまかには正しいことがわかりました。二丈岳と女岳の間を西に下っていくと福吉にでる、と。しかし、今どこにいるのかがわかりません。すると、車道から、右手の方向へ脇道があり大入駅へとの記載がありました。地図を大入駅から逆にたどって、車道にぶつかる点、なるほど、ここが今いる場所です。自分がいる場所がはっきりしました。すると謎が解けてきました。

                    

女岳北登山口とあった橋がつばきばし、真名子木の香ランドは、地図より東側にあったことなどです。つまり、真名子木の香ランドの場所が地図と違うのではないかと考えました。
大入駅について糸島市が作成した地図をじっくりと眺めました。細かいようですが、間違いがいくつかあるようです。

                    
黒丸(A)、(B)が違うのではないか?
真名子木の香ランドキャンプ場(C)と地図には明記すべき?
×印は私が違うのではないかと考えたところです。
黄色の線は、私がこちらの方が正しいのではないかと思い書き加えたものです。
                    

1)二丈岳から下る緑の線から南に下る青い線の林道(A)、これが最初の間違いです。そんなものはありません。緑の線をそのままくだり〇印(F)がありますが、青い線は本来はここから分岐するのです。そうすると三叉路で左右にわかれます。
2)青い線とピンクの線が重なるようにみえるのは、実際には離れていて見えません。(B)
3)一番大きな、誤りやすい記述は、真名子木の香ランド(E)です。地図に記載があるのは、後でネットで調べたら研修所です。明らかな間違いではありません。しかし、真名子木の香ランドは広いのでしょうか?真名子木の香ランドのキャンプ場(C)は、真名子木の香ランドの入り口(研修所)(E)とは別の場所にあります。糸島市シティセールス課が作成した地図には、それを明記したほうがいいのかもしれません。

研修所で私が撮影した標識の地図には、キャンプ場が真名子木の香ランドと示してあるのですから。たぶん、糸島市シティセールス課が作成した地図は、真名子木の香ランドまで車で行って、そこから登山する人を主に対象にしているのでしょう。そうすれば、間違えるはずもありません。

                    
真名子木の香ランド研修所付近の地図の標識
キャンプ場を真名子木の香ランドと記載
公的な地図。
                          

反省。地図は公的なものも準備する必要があることを痛感しました。知らないところに行く時はやはり調べてから行くべきでした(調べすぎると楽しくないのも事実です)。特に天気が悪く視界が悪い時には。いろいろ反省できて、とても楽しめてよかったです。PROTREK方位計は間違いはありませんでした。自分の考え方をもっと反省しなければなりません。知らない道をあるくととてもためになります。
今週末は雪だそうです。当直明けですが、福吉駅-十坊山-浮嶽-女岳-二丈岳-筑前深江駅と歩いてみましょう。楽しみです。持参する地図はもちろん、糸島市シティセールス課が作成した地図です。

                   
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#3 筑前深江駅-二丈岳-女岳-浮嶽-十坊山-福吉駅縦走
2017/02/12

2017/02/12、当直明けです。体を休めることも考えましたが、精神を休める方を選択しました。
当直は午前9時交代です。ザックと登山靴は準備していました。今回も寒波襲来直後です。山には雪が残っているでしょう。アイゼンはザックに入れています。食事は、セブンでパンを購入。水分は、水筒は500mlx2、保温水筒(ホット珈琲350ml)、ペットボトルのお茶500mlで、2L弱。防寒対策も十分、地図は糸島市が作成した地図です。天気は晴れ。

福吉駅からの縦走を予定しました。姪浜を午前9時47分に出発する列車に乗り込むとなんと列車は快速で、福吉駅には停車しないようです。急遽、筑前深江駅で降り、逆方向から縦走することにしました。
筑前深江駅から二丈岳は先週登ったばかりです。あっさり到着。天気も良く、視界良好。ツバキ橋を渡り、女岳へ登頂。雪は約20㎝程度、踏み跡もあり迷うことはありません。頂上には雪だるまがありました

その後、浮嶽、十坊山と登り、福吉駅へ下山。約7時間の山旅でした。雪道を楽しめました。アイゼンは使いませんでした。

二丈岳頂上から玄界灘つばき橋
女岳 今日も元気 雪だるま荒谷峠 工事
浮嶽 頂上十坊山から、浮嶽 女岳 二丈岳
                    
筑前深江駅-二丈岳-女岳-浮嶽-十坊山-福吉駅縦走
GPSのデータより
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#4 筑前深江駅-荒川峠-河童岳-羽金山-雷山-井原山-周船寺縦走
12時間の満足と反省
2017/02/18

2017年2月18日 かねてより予定していた羽金山-雷山縦走を行いました。
列車は周船寺駅を午前6時23分に発車し、筑前深江駅に6時44分到着。午前7時すこし前に筑前深江駅を出発しました。
筑前深江駅から荒川峠まで林道は、今回の山旅の最大の難関と言っていいかもしれません。1月には、下り道で逆コースで歩いていますが、標識もなく、人も歩かず、車もほとんど通らない林道でした。少し不安です。結局、今回も地元の人の車1台とすれちがったのみで、人とは出会いませんでした。
前回の下り道が2時間でしたので、2時間以上を予定していましたが、2時間弱で到着しました。天気は晴れ、雪もとけてなくなっており、歩きやすく、地図の確認の必要もありませんでした。

今回の二つめの難関は、荒川峠から、羽金山、長野峠、雷山までの道のりです。道が不鮮明と記載があり、コースタイムがわからないことです。山と高原地図では、このコースは破線で示されコースタイムの記載はありません。信頼できるコースタイムのデータがありません。
今回は、次回以降の山旅がスムースに行くために出来るだけ情報を得る事を目標としています。私自身のコースタイムを知ることも目的ですが、コース上でいろいろな情報を得るために可能な限り寄り道をするつもりです。
山道には、標識やテープのマークがあり、迷うことはありません。
筑前深江駅から荒川峠までの林道の方がよっぽど不安です。
羽金山の手前に河童岳という面白い名前の山があり寄って行きました(寄り道1)。
浮嶽、女岳、二丈岳が美しい。

羽金山の標識、有難い河童岳

羽金山到着、インターホンでお願いすると、登山者は門の中に入れるということでした(寄り道2)。
羽金山から長野峠までの下り道は滑り易く、とても歩きにくい道でした。
注意が必要です。
途中で水場5分との標識があり、水場を確認しました(寄り道3)。
この縦走路で水場は貴重です。
この水は、そのまま飲む気にはなれないので、テン泊縦走の際には、私の場合は浄水器が必要だということが確認できました。

羽金山頂上水場
雷山避難所雷山頂上から
羽金山、浮嶽、女岳、二丈岳

長野峠まで降り、そこから雷山まで登り返します。
途中で雷山避難所を確認しました(寄り道4)。ドアは開きませんでしたし、清潔感もありませんでした。イノシシが周囲を掘り返し、糞がたくさん落ちていました。
テン泊縦走の際には、この付近をテン泊の候補に考えていましたが、私にはこの場所はテン泊は不適である事を確認しました。

雷山避難所付近から雷山頂上まで、僅かな距離でしたが、急にペースが落ちてしまいました。
いわゆるガス欠。
雷山避難所付近はあまりきれいではありませんでした。雷山頂上で小休止を兼ねて、エネルギー摂取と水分の摂取しようと考えました。結果的にはエネルギー摂取の時間が遅れたのです。水分摂取も同時に遅れてしまいました。時間的には雷山避難所付近でエネルギー補給すべきでしたが、遅れてしまいました。少なくとも水分は補給すべきでした。
雷山頂上到着し、エネルギーと水分の補給。
予定では雷山から下山予定でしたが、テン泊縦走の際には、雷山頂上よりも井原山がいいだろうと考え、このまま井原山まで足を延ばすことにしました。雷山-井原山間は何度も歩いたことがありますが、今回の山旅で歩いてきた延長として感じてみたかったのです。

                   

福吉駅からの背振縦走を考えてみました。
1月下旬には、福吉駅から十坊山、浮岳、女岳、荒川峠を歩きました。稜線が雪で、荒川峠まで5時間かかっています。雪がなければ、もう少し早いかもしれません。
今回、荒川峠から雷山までは5時間弱、井原山までは6時間ちょうどです。
寄り道1(河童岳)、寄り道2(:羽金山)、寄り道4(雷山避難所)はパスするので、もう少し早くなると思います。そのまま計算すると11時間になります。
テン泊では重量が増すので、もう少し時間はかかるのかもしれません。

今回の山旅に戻ります。筑前深江駅から、井原山まで8時間です。
当初は雷山から下山を予定しましたが、予定を変更しました。
雷山と井原山はホームグラウンドです。
私の場合、歩行時間10時間までは、全く問題ありません。
11時間は、少し気をつけ、歩行前後のケアを大事にしています。
12時間以上は、原則、歩かないようにしています。
つまり、現在の私(57歳男性、70㎏)では、10時間までを安全な歩行時間とし、それ以上は、精神的肉体的に前後のケアが必要だということです。
筑前深江駅から雷山まで約7時間でした。予定通りに雷山から下ると、雷山千如寺まで1時間、周船寺まで2時間、10時間で問題なしです。
でも、井原山まで行きたくなりました、こういうことはよくあり、仕方のない予定変更です。
井原山から下山は2時間くらい、なんていい加減な事を考えていました。
そういうところから綻びが始まります。
井原山からキトク橋の登山口まで下山に1時間半かかりました、予定通りです。
そうです、井原山頂からキトク橋の登山口までの時間とキトク橋の登山口から周船寺までの時間を足していませんでした。
ホームグラウンドですから、自分でニコニコしながら、そっか、おばか。
登山口まで1時間半、そこから周船寺まで2時間。忘れてました。
キトク橋の登山口を過ぎて、日は沈みかけ、風が強くになり、気温が急激に低下しました。
帽子、ネックウォーマー、手袋を身につけ、今回購入したナイアガラのキャプリーン1枚をアウターの下に着込みました。快適、大峯奥駈によさそう。残っていたホット珈琲を飲みながらパンを一つ平らげました。
今度は、舗装された道で左の足裏が痛くなってきました。
長時間歩行になると予想していたので、登山靴とソックスは北アルプス仕様の良いものを履いていましたが、皮膚の弱いところにバンドエイドを貼るなどのケアはしていませんでした。そこが痛みはじめたのです。もう少しだったので、そのままゆっくり帰りました。
周船寺に着いたのは19時少し前で、丁度12時間の歩行でした。
感慨深い、思わぬ大満足の1日でした。
なかなか12時間歩く機会はありません。北アルプスで12時間歩くと、通常コースの2日分です。ラッキー。
反省点は、水分摂取、エネルギー補給、身体のケア。いつものことです。
若くないので、無理をしないように心がけたいと思います。
ちなみに12時間ほど歩いたのは、いつ以来かなあ。2016年はありません。2015年に、奥穂から北穂、大キレット、南岳、槍ヶ岳山荘を通り、槍沢ロッジ、徳澤園を経て上高地まで12時間弱歩いたのが最後です。

                    
筑前深江駅-荒川峠-河童岳-羽金山-雷山-井原山-周船寺縦走
GPSのデータより
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#5 番外編-金印に思ふ-
2017/03/03

職場のある姪浜から自宅の周船寺まで約10km、週に1-3度くらい歩いて帰ります。
海岸線に沿った道で、砂浜や松原がきれいです。
途中で美しい島がみえます。能古島という島です、遠目にみると函館山に似ているので、函館を思い出しながら帰ることもしばしばです。慣れてくると、能古島の奥にもう一つ島影を確認するようになりました。どうやら志賀島のようです(あとで地図で確認しました)。
金印で有名な志賀島です。昔、志賀島の金印公園に行ったり、博物館で本物のピカピカの金印を一度、見学したことがあります。

                    
能古島の形は、函館山に雰囲気似ています
能古島の左手奥にうっすらと志賀島が見えます。

これまで雷山や井原山、そして2017年には十坊山、浮嶽、女岳、二丈岳、羽金山、雷山、井原山などの縦走を繰り返しました。縦走路から糸島市や福岡市西区を眺めたり、下山路では、景色を眺めながら歩いたり、山を振り返ったりしました。これまで気づかなかったものが、いろいろとみえてきました。

周船寺に住み始めて、沢山の遺跡があることを知っていましたが、歴史に興味がなく近くの資料館などにも行ったことがありません。いつの事だったか忘れましたが、井原山を降りていると遺構を掘っていました。後で、その付近が、三雲南小路遺跡の近くということを知りました。付近に立派な古い神社が建っていて下山時には目印のひとつになっていました。

2017年2月、久し振りに12時間歩いた時、井原山から下山していると、志賀島がみえました。どうして志賀島という場所で金印が見つかったのだろうかという疑問がわいてきました。金印を漢から持ってくるときに、嵐にあったり、襲われたりして、志賀島に逃げ込み隠したのかな?とか思いましたが、どうも変です。金印は漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)と記されているのは誰でも知っています。漢から委奴国王に授けるものであればとても大切なものです。おかしい。

                                         
井原山付近より眺めた三雲南小路遺跡・細石神社と志賀島
                    

私が思いつくようなことは、誰もが思いつきます。早速、ネットで調べてみました。
大量の情報です。私にとって、面白い点をピックアップします。

                    
  1. 江戸時代に、甚兵衛という人が、田んぼを広げようとして大きな石を動かすとその下に、金印があって届け出たそうです。
  2. 漢学者の亀井南冥、豪商の米屋才蔵、奉行の津田順次郎が絡んで、亀井南冥が金印を鑑定したそうです。その三人はどうやら旧知の間柄のようです。
  3. 亀井南冥は、黒田藩の新しい二番目の藩校の館長に町医者の身分から抜擢されたそうです。黒田藩には、もともと修猷館という藩校がありました。
  4. 亀井南冥が館長に就任した後に、志賀島で金印が発見され、黒田藩から鑑定を依頼されたそうです。
  5. 亀井南冥の金印に対する説は、黒田藩の修猷館の優秀な学者たちの説を凌駕するものでした。
  6. 亀井南冥は晩年には金印に対して、語ることは少なかったそうです。
  7. 亀井南冥の父は亀井聴因です。聴因は、姪浜の村医で三雲の出身です。
  8. 三雲には細石神社があります。細石神社には、金印が宝物としてあったそうですが、盗まれたという伝承があるそうです。
  9. 三雲南小路遺跡は、約2000年前の伊都国の初代の王の墓があるとされています。
  10. 金印は、57年に漢から送られたそうです。

ここまで、都合のいい情報(真偽はともかくとして)をみると、刑事コロンボや古畑任三郎に登場してもらうこともなくある推理がなりたちます。

                    
  1. 三雲南小路遺跡、井原鑓溝遺跡は、伊都国にあったのではないでしょうか。
  2. 委奴国と伊都国は同じではないでしょうか。
  3. 伊都国に金印が送られたのではないでしょうか。
  4. 送られた金印は、近くの細石神社に保管されていたのではないでしょうか。
  5. 亀井聴因は三雲の出身であり、何らかの情報を知っていたのではないでしょうか。亀井南冥も知っていたのではないでしょうか。
  6. 亀井南冥は、豪商の米屋才蔵、奉行の津田順次郎らと一緒に、代々、調べていたのではないでしょうか。ある程度の結論を出していたのではないでしょうか。
  7. 亀井南冥が、黒田藩の藩校の館長になるに当たり、もともとの藩校である修猷館の優秀な学者たちに対抗しうる何かが欲しかったのではないでしょうか。
  8. そのために、金印を利用して、周到にある作戦を練ったのではないでしょうか。
  9. そして、必要がなくなると逆に沈黙したのではないでしょうか。

このように考えると、金印が志賀島で見つかったのも頷けます。この物語は考えるだけで楽しそう。何かの事実が出れば、いろいろな事が明確になるのではないでしょうか。

                    

もし、金印が細石神社から発見されていたらどうなっていたでしょうか。伊都国が、漢委奴国であることが明確となったのではないでしょうか。

                                         

                    

切り口を変えて、今度は、漢委奴国王の金印についてみてみましょう。

  1. 漢委奴国王と5文字です。
  2. 漢という文字が大きくなっています。
  3. 委は倭の略字だそうです。
  4. 漢委奴国王は「かんのわのなのこくおう」と読むとされていますが本当でしょうか。
  5. 印は金印です。
  6. 鈕(つまみ、印を持つところ)は蛇の形で、これは漢から南方の辺境の国に与えられる印の形だそうです。北方の国は駱駝や羊の形だそうです。
                    

魏志倭人伝がありますが、倭の人とあります。倭という国があったと考えられます。では、漢委奴国王の奴という文字は意味は何を表しているのでしょうか。
匈奴という言葉があります。それと同じではないでしょうか。「な」ではなく「ど」ではないでしょうか。
漢という強大な国から、南方の辺境の倭国を認めた、そして威厳を示したということではないでしょうか。漢倭国王であれば、4文字になってしまいます。すると漢と倭が対等になってしまいます。
漢委奴国王と奴を加え、5文字として漢という文字を大きくすることで、漢の威厳を示すということだと思います。さらに倭ではなく、略字の委とすることにより、さらに蔑んだ表現となったではないでしょうか。「かんのなのわのこくおう」ではなく「かんのわどこくおう」ではないでしょうか。
なにかしらもう一つ意味があるような気がしますがわかりません。例えば、「とかいう国」など、どうでしょう。漢の倭で上下関係を示し、単に国とするのではなく、倭「とかいう国」とするのです。漢は威厳を示し、倭はそれに対してうやうやしく頂いたのではないでしょうか。
一方で、最高の金製品の印を渡し、これだけのもの作れるのは漢王朝しかないということを示したのだと思います。鈕も漢の威厳を示し、倭を蔑んだ表現ではないでしょうか。

漢から倭の国王に贈られたものと考えます。ここでは、倭の国イコール伊の国と考えます。倭国王イコール伊都国王と考えます。そして金印は細石神社にあったのではないでしょうか。魏志倭人伝で、伊都国では代々の王がいたことが記載されています。帯方郡の使者にあう時や祭祀の時などに、伊都国の王は、「われは漢の倭の国王である」と金印を示したのではないでしょうか。

                                         
福岡市博物館所蔵 金印
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#6 洗谷・雷山神籠石・古墳めぐり
2017/03/06

単日の距離の訓練はかなり積んだので、リスクのある急坂の訓練を行ないました。近くには井原山の洗谷コースがあるので、2017/03/05にここを登りました。
このコースは昨春に2度登りました。その時は、標識やマップに上級者コースとあったのでチャレンジ精神旺盛でした。今回はそういう張り合いがなかったので、むしろ危険に感じ、ゆっくり登りました。
洗谷コースを登り雷山に移動した後、前回の番外編で紹介した糸島の歴史コースを散策してみました。井原山登山口まで2時間、洗谷コース2時間、雷山まで1時間、雷山頂上で昼食。雷山から降りて、清賀の滝から左折し、雷山神籠石を見学し、下山しました。そこから、古墳コースをうろうろと巡りました。

                    
糸島市のパンフレット。
登った山々とこれまで歩いた道(紺色)と
遺跡、古墳、神社

午前6時出発。井原山の登山口まで2時間の道のりです。途中、高祖山、日向峠から日が昇るのを左手にみながら進みます。

2017/3/5 高祖山、日向峠、王丸山
朝焼け
2016年4月
高祖山日向峠より朝日昇る

瑞梅寺川にかかる橋から去年は桜並木の写真を撮りました。この橋は、三雲南小路遺跡の北にあり徒歩数分の距離です。この橋から井原山と雷山がみえます。
橋を渡ると、右手には平原遺跡、左手に高祖山や高祖神社、左手奥には王丸山、目の前には井原山、雷山の風景が広がります。そして三雲南小路遺跡と道路を隔てた細石神社に到着します。これまで、ずっと素通りしていました。三雲南小路遺跡はメインストリートに面しておらず、民家を一軒隔て人目にふれにくいのです。メインストリートを隔てて細石神社です。細石神社はメインストリートに背を向けています。
登山訓練中ですので、時間をかけて回り込んで見に行くこともできず、帰路で時間が余れば見学することにして足を進めました。すると数10mで井原鑓溝遺跡に着きました。三雲南小路遺跡とは田1枚位でしょうか。二つの遺跡を分けて考えるのが不思議なくらいです。

瑞梅寺川に沿って、瑞梅寺ダムに到着。井原山登山口のバス停でパンをひとかじりし水分補給。スパッツを装着し、洗谷登山ルートへ。
この登山ルートに来る人は稀です。この日は私の前には登山客はいなかったようです。ロープを利用する所は数か所、川を横切るのは無数。道がなくなったなあと思ったら、いいところでケルンが導いてくれます。最後にざらざらとした岩を登り詰めます。この岩の滑面を瑞梅寺川の源流が流れます。

古代の伊都国人は、何を大切にしたでしょうか。大切なのは、生命、食料、水、光、土地などでしょうか、宗教的なものもあったかもしれません。食料は、既に稲作が行われいて、その他に狩猟、魚貝、採集などでしょうか。稲作はどこからどのようなルートで伝わってきたのでしょうか。稲作には、土地、労働力、知識、光、水などが必要です。王は、土地と労働力を保持しているのでしょう。水は重要です。
瑞梅寺川の源流は、井原山の洗谷を遡ったところにあります。最深部では岩の上を静かに滑り流れます。この岩は大切な場所ではないでしょうか。岩原、いわ、いわら。井原(いはら)は、昔は(いわら)と発音したそうです。瑞梅寺川は、三雲南小路遺跡と細石神社の近くを流れ、この平野を潤します。つまり、この平野の水源です。当然、その源を大切にしたのではないでしょうか。その(岩)から、いわら山、井原山となったのではないでしょうか。そして、地名も井原が残ったのではないでしょうか。そうであれば、瑞梅寺川は井原川となるべきです。そして、この【いわ】が【い】とか【わ】とかになったのかなあ等と考えながら滑り落ちないように慎重に登りました。

                    
洗谷 最深部の一枚岩を水滑る
あたかも岩から水が湧出るようです
本来は井原川源流と呼ぶべきか?

井原山、雷山の分岐にでました。急登の訓練は終わり、伊都の歴史散策にうつります。今回は井原山には登りません。視界があまり良くないのと時間節約のためです。分岐部から雷山に向かう途中、伊都の平野をみながら歩きます。伊都と今宿や姪浜を分けるのは高祖山(たかすやま)です。名前はどうでしょう。漢の劉邦の別名は高祖ですね。その隣には日向峠、その隣には王丸山。名前、できすぎてませんか。王丸山は、三雲南小路遺跡付近から眺めると丸い山です。これに王が乗っています。王がいる丸い山?。

高祖山の山並みの西には伊都の平野が広がり、その中で一番大きい川は瑞梅寺川です。平原遺跡のある地域は今は少し小高い大地のようになっています。その両端は木々で覆われています。伊都の平野を東は高祖山系、西は平原遺跡の台地とします。この間が平野で、ここに三雲南小路遺跡と細石神社があり、そして、瑞梅寺川がある。北は周船寺で海、南が井原山、南西に雷山です。この領域を伊都平野と定義してみました。
伊都平野は、東西南の三方を山や台地で、北は海で守られていたと推測されます。

                                         
伊都平野(黄色の線で囲む)と定義してみました。
周囲を各々、高祖山地、平原台地、井原山地、周船寺海岸と名づけ、
これにより囲まれた領域です。
瑞梅寺川、三雲南小路遺跡、細石神社があります。
                                                              
今回の山旅、GPSから。左図に伊都平野を作図。
                    

2017年2月の12時間歩行の際、夕方に三雲南小路遺跡付近を通過しました。周囲を見渡すと、北西に落日の可也山、東に高祖山、西に二丈岳女岳浮嶽、南西に雷山、南に井原山、何とも言いようのない素敵な世界で王様のような気分になりました。ここは王がいる場所ではないかと思いめぐらしました。今回の山行で雷山へ移動中、下界を眺めながらそういう世界を思い出しました。私の中で問題となっている、高祖神社、三雲南小路遺跡、細石神社も見えます。もちろん、瑞梅寺川もみえます。雷山の途中の944mの標識がある場所から振り返ると脊振山がみえます。もちろん、井原山から脊振山はみえます。今は脊振山はレーダーがあるのですぐにわかります。雷山頂上の地面からは脊振山は見えません。頂上の岩に登り上がると、レーダーは見えましたが実際の頂上は見えませんでした。

雷山から雷山神籠石にむかいます。約1300年前の山城の跡だそうですが、本当でしょうか、古代のダムのように見えます。すぐ近くに筒城神社跡があり、昔は筒城という城があったのでしょう。
不動滝に寄って、下山しました。

                                                                                   
雷山神籠石(飛鳥時代)
約1300年前だそうです。
近くにあった
筒城神社跡

次は平原遺跡です。弥生時代後半(2世紀頃)の遺跡だそうです。最大の銅鏡が発見されています。周囲には古墳がいくつかありました。時間が余ったので、朝、通り過ぎた細石神社に戻ってみました。鳥居がメインストリートに面していないので、そちらに回ってみると鳥居と立派な参道があります。この参道の方向に高祖神社と高祖山があります。このまま、高祖神社方向に進みます。
途中、伊都歴史博物館があったのでちょっと寄り道しましたが、私の楽しい想像の世界とはちょっと違う世界なので、すぐに出てきました。歴史・歴史している本来の歴史より、今は私自身の自分勝手な想像の世界に浸っていたほうが楽しいからです。落ち着いたら、ゆっくりと伊都歴史博物館に来てみたいと思います。

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#7 番外編-伊都国に思ふ-
2017/03/09

次回、井原山から脊振山に行く前にもう少し考えてみたいと思います。これまでの経緯からすると、伊都国から最深部にみえる山、脊振山は、伊都国に住む倭人にとって、きっと尊い山に違いありません。
そこで、何かわかるはずです。背振山では、何かがあるはずです。そして、吉野ヶ里や二日市(大宰府)付近では列車から脊振山が見えました。脊振山からは吉野ヶ里や二日市(大宰府)がどのように見えるのか、井原山や雷山がどのように見えるのか、楽しみはつきません。そのためにも地図以外の情報は持ち合わせないで無心で挑みたいと思っています。

伊都国は、西晋の陳寿が3世紀末に書いた魏志倭人伝に記載されています。陳寿はたぶん倭には来ていないと思います。では、魏志倭人伝に登場する伊都国とは、中国人が倭人の倭の言葉や説明を聞いて、それを伝え聞いたものを書きつけたものでしょうか、あるいは中国人が倭人が話す中国語や中国語での説明を書きつけたものでしょうか。それとも仲介の第3者(帯方の人)がいたのでしょうか。では、ネット(東亜古代史出典)から、魏志倭人伝に出てくる、伊都国の記載や興味深いところを抜粋してみてみましょう。

①倭人は帯方郡の東南、大海の中に在る。山島に依って国邑を作っている。昔は百余国あり、漢の時、朝見する者がいた。今、交流の可能な国は三十国である。中略、、、
又、一海を渡る。千余里。末盧国に至る。四千余戸有り。山海に浜して居す。草木茂盛し、行くに前人を見ず。魚鰒を捕るを好み、水、深浅無く、皆、沈没してこれを取る。
(末盧国から)東南に陸上を五百里行くと伊都国に到着する。官はジシといい、副はエイボコ、ヘイキョコという。千余戸が有る。代々、王が有り、みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
(伊都国から)東南、奴国に至る。百里。官はシバコといい、副はヒドボリという。二万余戸が有る。

②人が死ぬと、棺に収めるが、(その外側の入れ物である)槨はない。土で封じて盛った墓を造る。始め、死ぬと死体を埋めないで殯(かりもがり)する期間は十余日。その間は肉を食べず、喪主は泣き叫び、他人は歌い踊って酒を飲む。埋葬が終わると一家そろって水の中に入り、洗ったり浴びたりする。それは(白い絹の喪服を着て沐浴する)中国の練沐のようなものである。

③「魏略(*)いわく、その習俗では正月(陰暦)や四節を知らない。ただ春に耕し、秋に収穫したことを数えて年紀としている。」《*/「魏略」…魏の歴史を記した書、現存しない》

④租税を収め、高床の大倉庫がある。国々に市があって有無を交易し、大倭にこれを監督させている。
女王国より以北には、特に一人の大率を置いて検察し、諸国はこれを恐れはばかっている。常に伊都国で政務を執っている。(魏)国中における刺史の如きものである。王が使者を派遣し、魏の都や帯方郡、諸韓国に行くとき、及び帯方郡の使者が倭国へやって来たときには、いつも港に出向いて調査、確認する。文書や授けられた贈り物を伝送して女王のもとへ届けるが、数の違いや間違いは許されない。

                    

魏志倭人伝の上記①②③④を各々みてみましょう。

①について。対海国(対馬国)、一大国(壱岐国)、末盧国(東松浦半島の東にある唐津)、伊都国は、現在でもその地域が推定できます。
伊都国、私はこれを倭人が住んでいる伊あるいは倭というクニがあって、都のあるところと考えました。これを漢人や魏人あるいは帯方の人が伊都国としたのではないでしょうか。即ち、倭人の都と考えたのでしょう。そして、伊も倭も同じように扱ったのではないでしょうか。倭都国でもよかったのではないでしょうか。
伊都国に住んでいる倭人は自分たちの説明に【岩ら】【いわ】【い】【わ】【岩原】について一生懸命に説明していたと思います。
洛陽の都から遠く離れた辺境の国のことです。漢あるいは魏が、奴とか卑とかいう字を使う場合には、当然、蔑む意味があると思います。
伊都国の場合、わざわざ「都」という字を用いています。漢人、魏人、帯方の人が、彼らの説明を聞いて、伊あるいは倭という倭人の住む地域(クニ)を考え、その中心として、尊厳の意味を込めて都(ミヤコ)と考えたのではないでしょうか。当時、地域を考えると、倭人の世界では国のようなものはあっても、漢の時代の中央集権制度のもと郡、県、州などの考え方はなく、国として扱うしか手段がないため、国が100余国もあったのではないでしょうか。魏志倭人伝の中で、国の名前で伊都国ほどきれいな文字が充てられているのはありません。

対海国は、海を隔てた対岸の国(島)、一大国は一つの大きな国(島)、末盧国は、漢という中央国家より、海を渡りはるばるやってきて、これ以上はないという意味で末という言葉を用いたのかもしれません。記載からすると漢人や魏人ではなく、実際に見たり聞いたりしたのは、帯方の人ではないでしょうか。

方角や距離は正しいのでしょうか。距離は正確ではないようです。方角もあまり正確ではありません。韓国から対馬、対馬から壱岐、壱岐から末盧国まですべて千里だそうです。三国志といえば呂布や関羽が乗っていた赤兎馬は千里をかけるとされていますし、関羽の千里行なんていう言葉も出てきます。三国志演義でしょうか、吉川英二の三国志はよく読みました。千里眼なんていう言葉もあります。遠くに見えるのは千里でしょうか、韓国から対馬は見えますし、私が登った二丈岳や女岳から壱岐が見えました。

方角はどうでしょうか。③をみてみましょう。倭人は、正月や四節を知らず、春と秋はわかっていたそうです。平原遺跡では、墳丘墓の周囲に大きな柱の跡と考えられるひとつの大きな穴とそれとは別に小さないくつかの穴があったそうです。大きな穴は墳丘墓から日向峠を向かっていたそうです。ピッタリではないでしょうか。これを稲作と祭礼に利用していたように考えます。
しかし、正月や四説を知らない倭人が、東西南北の方向を考えたでしょうか。キトラ古墳の時代には玄武白虎青龍朱雀で方向が示され、天井にも星座が示され方角が示されます。伊都国の倭人は東西南北の概念はなく、日の出や日の入の概念が強かったのではないでしょうか。地域を示すには、日の出とか日の入の他に、山とか川とか海とかを利用したのではないでしょうか。
日向峠、井原山などです。そうすると、魏志倭人伝の中の方角は何でしょう。④にあるように、東西南北の概念を有した帯方群の使者が対海国、一大国、末盧国を通り、伊都国まで来ています。しかし、伊都国の倭人には、東西南北の概念がなかったとしたらどうでしょうか。彼らは、方角を日の出とか日の入の他に、山とか川とか海とかを利用したのでしょう。
漢の都から、倭(伊都国)は南(金印の鈕が蛇)です。伊都国からさらに、漢の都から遠ざかるということは、南という表現になるのではないでしょうか。

                    

いつもみえるのは山になります。日の出や日の入りは場所によって異なっていくので難しいのではないでしょうか。
私が定義した伊都平野からは、西に二丈岳、浮嶽、南には羽金山、雷山、井原山、東は高祖山、王丸山がみえ、北は周船寺海岸、と志摩(しま)になります。南東に金山そしてその最深部にみえるのが脊振山です。私の考えでは、倭人は最深部にみえる脊振山を井原山や高祖山と同じくらい崇拝したのではないでしょうか。井原山に登ると脊振山はもっとはっきり見えます
佐世保から博多に帰る列車の中から、吉野ヶ里や二日市から脊振山が見えました。ということは、脊振山から吉野ヶ里や二日市がみえるはずです。東西南北の方位の概念がなければ、山が基準となっていくのではないでしょうか。弥生時代に生きた人々は、吉野ヶ里遺跡をみてわかるように国を形成していたと考えられます。吉野ヶ里や二日市付近の多くの国の場合、伊都国と何らかの交渉を持つ場合、恐らく脊振山、井原山、高祖山などが基準になります。
そして、漢から伊都国よりも遠方の国々は、辺境という概念で南という方角になるのでだと思います。

魏志倭人伝には、奴という字が、たくさん出てきます。蔑みの言葉のほかにも意味があるのではないでしょうか。私のイメージでは、明確なものではない、「なんとか」「というような」など名称のはっきりとしないものをさしているのではないでしょうか。そして、本当は知っていても知らないふりをすることにより、蔑むことに利用しているのではないでしょうか。【漢委奴国王】は、【漢の倭とかいう国の王】です。魏志倭人伝にでてくる○○奴国や奴国は、○○とかいう国、なんとかという国。多すぎてわからないのも事実でしょう。字を当てようにもイメージが沸かない。

                    

②について。伊都国の古墳はこのようになっているようです。

④について。現在は、私が伊都平野と名づけた平野と志摩(しま)は陸続きですが、弥生時代は、志摩その名の通り、まだ島だったと推測されます。そして伊都平野の北側に周船寺海岸と名づけた海岸は、西は現在は波多江と呼ばれています。陸続きになった時、西海岸は波が高く荒れていてそのように呼ばれ、船も近づくのは危険だったのでしょう。現在もJR筑肥線は筑前前原駅より西側では風のために運休になることが多いのです。
その反対側にあたる志摩半島の東側の海岸付近は現在は、周船寺と呼ばれています。由来は主船司で、船を司るところという意味でしょうか、ここに船をつけていたそうです。つまり港です。
魏志倭人伝では、はじめの方の記載では、伊都国に行くには、対海国、一大国、末蘆国を経ています。恐らく三雲南小路遺跡の頃かそのもっと前のことだと思います。
しかし、④の記載のように、倭国への入出国の管理を伊都国で行っています。そこでは、伊都国の一大卒が、倭国への入出国がある時には、出向いて仕事をしているということです。末蘆国まで出向くことは難しいので、この頃(三雲南小路遺跡-平原遺跡の間)になると、直接、伊都国の一大卒が周船寺(主船司)に出向いて、出入国管理及び荷物(文書や贈り物)などの管理を行っていたと考えられます。諸国はこれを恐れ憚っていたそうです。

諸国は伊都国の一大卒を恐れ憚っていた。一大卒は、国の刺史のようなものだと記載されています。流れから内閣総理大臣と外務大臣の兼任の様なものでしょう。大倭という大蔵大臣や豪商のようなものでしょうか。この他に、伊都国には代々、王がいる。
邪馬台国の卑弥呼は惑わしていた幻術師みたいなものでしょう。不思議です。

魏志倭人伝から倭国の構造を想像してみましょう①
私は、渡るとか行くとかいう単語は、
実際の動きがある単語として捉えました。
至るという単語は、○○の方向に行くと□□に着くと意味に捉え、
実際には動かないと考えました。

                                         
魏志倭人伝から倭国の構造を想像してみましょう②
末蘆国、伊都国、不弥国(宇美国?)ここまでは行くと表現してあり、移動します。
不弥国からは行くという記載はないので、南に○○日位のところに□□という国があるというように想像しました。
不弥国(宇美国?)からは、南に水行20日で投馬国(出雲国?)
不弥国(宇美国?)から南に水行10日、陸行1ヶ月で邪馬台国。
ちょっと強引?
邪馬台国より以北には多くの小国があるけれども詳細は不明ということでしょう。
しかし、伊都国と邪馬台国にはどのようか関係があるのでしょう。
                   

井原山-雷山山系の尾根道から眺めた伊都平野、その中心地の三雲南小路遺跡と細石神社と、すぐ近くの古墳群、そして高祖神社・高祖山は、ほぼ一直線の線上にならんでいます。細石神社と高祖神社(高祖山)は、現在もほぼ向かいあっています。
三雲南小路遺跡と細石神社と、周囲の古墳群がほぼ一塊になって存在しています。伊都国の王は、現在の高祖神社付近に住んでいたのではないかと考えました。伊都平野全体が見渡すことができ、朝は、高祖山から日出り、伊都国の倭人に崇められます。そして、先祖の墓である古墳群が日沈む方向の目の前にあるわけです。その古墳群の前に社(後の細石神社)を築き、祭祀および外交の場所とし、高祖の館と細石の社は、一本の道でつながっていたと思います。
私はこのラインをWatokoku Golden Line (倭都国ゴールデンライン)と名付けました。

                                         
Watokoku Golden Line (倭都国ゴールデンライン)

いよいよ、2017年3月脊振山系に挑みます。楽しみです。

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#8 番外編-イワラに思ふ-
伊都国は倭都国だった?
2017/03/16

イハラは、岩原、岩ら、岩 に由来していると思います。もちろん、井原山の洗谷、瑞梅川の源流が由来していると思うからです。
そして、2000年前、伊都平野でクニを作っていた民族は、大陸から訪れた人たちに、自分たちのクニのことを「イワラ」と話したと思います。
大陸の人たちは、彼らの言葉「イワラ」を聞いて、「ワ」と聞こえたのだと思います。ここから、日本人の「ワ」「倭」が完成したのだと思います。
漢の人は、倭人が住んでいる国を倭国として捉え、伊都平野のクニを倭の都としてとらえ、漢の倭の国王という印を与えたのだと思います。
漢委奴国王の「奴」は、「とかいう」「なんとか」という表現方法だと思います。これは、蔑みの意味か、「イワラ」の「ラ」が聞き取れずこのように表現したのでしょうか。「漢の倭とかいう国の王」の印を遣わすということでしょう。

つまり、伊都国は存在せず、倭都国だったと思います。
2000年前、大陸の人は、伊都平野でクニを作っている民族・地域を「倭人・倭の都」「倭都国」として捉え、これに対して、伊都平野の人々は「イワラ」を意識していたと思います。しかし、文字という文化を持っていなかった伊都平野の人々は、魏志倭人伝あるいはそれ以前の文書による大陸からの文化、文字を受け入れるしかなかったのではないでしょうか。
魏志倭人伝の内容をみると誤り(故意?)が多いようです(?)。書き写す際に、倭を伊と間違えるようになったのではないでしょうか(故意かもしれません)。この間違いにより、「倭都国」がなくなり「伊都国」が出現したのだと思います。
漢が委国の印をおくり、魏が邪馬台国に印を送っています。魏も邪馬台国も委(倭)という国は、嫌なのではないでしょうか、そこで、倭という文字を伊という文字に置き換えたのではないでしょうか。魏志倭人伝の中から倭人とはありますが、倭国という記載は、最初の頃の記載にはなく妙なところで出てきます。現在、糸島市にある「いと」は「怡土」です。魏志倭人伝には「伊都国」とあるのですから、ある時代に「伊・都」を快しとしなかったグループが、「土(つち)」の「怡土」に変更したのだと思います。もちろん大和政権でしょう。
その後は、怡土城跡など怡土という単語がみられます。しかし、三雲南小路遺跡付近は今も【井原】です。

伊都国は伊都平野に存在し、人口は多くありません。代々、王が存続できたのは、「漢委奴国王」という漢からのお墨付きがあったからではないでしょうか。漢の時代が終焉を迎え後ろ盾がなくなり、伊都国はその名前の変遷とともに力尽きたのではないでしょうか。

ということで、約1か月の伊都国マイブームは終了いたします。

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#9 苦しみ-脊振山縦走(1泊2日編)-
2017/03/24

奥駈に向けて、2日間歩く山旅:脊振山縦走1泊2日(2017/03/19-20)の訓練登山を行ないました。
コースは周船寺から井原山、三瀬峠、金山、脊振山(テント泊)、蛤岳、九千部山、基山、原田駅です。
井原山まで4時間、三瀬峠まで1時間半、金山まで1時間半、脊振山まで3時間、九千部山まで4時間、その後は不明というコースタイムです。
井原山までは、何度も登っているので、周船寺から4時間前後で歩けます、私自身のコースタイムです。
井原山から九千部山までは、山と高原地図:福岡の山々を参考にアバウトにコースタイムを頭に入れました。
山と高原地図は比較的緩やかにコースタイムを設定されているので、北アルプスの山々ではコースタイムの70-80%で歩けますが、福岡の山々はコースタイムの設定が厳しいようです。
また、九千部山から基山、原田駅までのコースタイムは山と高原地図には入っていません。
理由は九千部山に登ってわかりました。九千部山頂上まで立派な道路があり、山と高原地図の編者が、登山道の必要性を認めなかったのでしょう。

①周船寺-
井原山
登山口
②井原山
登山口-
井原山
③井原山-
三瀬峠
④三瀬峠-
金山
⑤金山-
椎原峠-
脊振山
⑥脊振山-
蛤岳-
坂本峠
⑦坂本峠-
九千部山
⑧九千部山-
基山
⑨基山-
原田駅
コメント慣れた道慣れた道3回目初回初回初回、転倒初回初回
道迷い35分
初回
道迷い45分
所要時間2時間8分1時間42分1時間29分1時間45分2時間3分
1時間26分
1時間31分
1時間22分
2時間18分3時間1分
+35分
1時間26分
+45分
コースタイム
山と高原
地図
2時間20分1時間20分1時間45分1時間45分
1時間25分
1時間10分
1時間
2時間
割合
所要時間/
コースタイム
未処理
                

①周船寺-井原山登山口:苦楽。細石神社、三雲南小路遺跡の間を過ぎ、春分の日前日の朝日をみながら登山口到着。Watokoku Golden Line 堪能しました。今回の山旅で苦しみが多かった中、大きな楽しみでした。
②井原山登山口-井原山:苦闘。ホームです。慣れた道、急登も楽し。最初は、緩やかな登りを、アンノ滝などいくつかの滝を眺めながら歩き、十三曲りの急坂、直登の急坂、を自分のリズムで歩き、井原山登頂。春霞、視界不良。慣れた山道で、山と高原地図のコースタイムより短縮して歩けたのはこの区間だけでした。後はルートファインディングが必要だったり、気力がなかったり、単純に脚力および体力の不足。

                

③井原山-三瀬峠:苦心。逆コースは数年前に2回利用したことがありますが、井原山からのコースは初めてです。通行止めの区間ありと情報でした。迂回指示がありましたが、迂回したくなかったので、歩けそうなところを探しながら歩行しました。
④三瀬峠-金山:苦労。三瀬峠から東への脊振の方向へ歩くのは初めてです。脊振山頂上や金山、金山の下の水場などチェックしたいところがいくつかあります。コースタイム1時間半、大体そのようなものでした。金山の水場はとても良い状態でした。金山から福岡市西区(勤務先)を確認しました。

                

⑤金山-脊振山:苦戦。今回の山行で、苦しみを感じ始めたところです。
私の頭の中の予定では、山と高原地図を参考に、金山から椎原峠、椎原峠から脊振山を各々1時間30分、計3時間としていました。しかし、椎原峠まで2時間かかっていました。
日差しが強く、水分補給がいい加減でした。まだ寒く、水はそれほど必要ないと思い、1日目の全行程で水分は1.5Lしか準備していませんでした。脊振前では濃縮尿となり、脱水に陥っています。
こんなに時間がかかるのはおかしいとか思いながら、1時間30分のコースタイムを2時間もかかるようなら、全体の予定を大幅に修正するしかないなどとネガティブ思考が支配してきました。景色も殆んど変化なく経過。ペースも全く上がりませんでした。
後で調べると、正確なコースタイムは1時間45分で、いろいろな悪条件が揃うと2時間3分はそれほど悪くないタイムです。

テント泊:寒苦。苦衷、苦言。今回の苦行の全てはここにあったのかもしれません。標高1055m、恐らく夜間は氷点下。とても寒かったのです。いい加減な準備で、シュラフは#7、夏用です。シュラフカバーで覆い、メリノ長袖シャツ、キャプリーン4、フリースを着込みましたが寒すぎ、眠れません。ニットの帽子とネックウォーマーの一体型を前腹部にあて腹巻の代わりに、フリースの両側の手袋を両側の前胸部に潜りこませ、さらに雨具をシュラフカバーの上にかけ、なんとか午前1時頃にウトウトし始めました。
午前1時半、大きな人声が複数?、なんとトレイルランナー(?)が夜間に到着。そして出発を繰り返し、大声で話しあうという信じられない状況に遭遇しました。朝4時までです。夜に走り、大声を出すトレイルランナーは、??。

⑥脊振山-坂本峠:苦痛。それから30分寝れました。4時半に起床。テントなど撤収。食事をとり、シュラフ、シュラフカバー、シュラフなどの後片付けに思いのほか時間がかかり、出発は午前6時20分。予定より20分遅い。
寝ていないので、これから起きるであろう状況は予想できました。注意力や集中力の低下に伴う事故です。蓄積された睡眠物質(アデノシンなど)は解消されず、朝からの行動はオレキシンに頑張ってもらい、ノルアドレナリン、ヒスタミンなどの覚醒物質を鼓舞し行動するしかありません、しかし、脳や体は正直に反応します。なんでもない、下り坂の突き出ていた木の根っこに右足が引っ掛かり転倒。右前頭部を打撲、右手および右第1指打撲。倒れたまま深呼吸をして受傷部位を確認、眼は見えます、前額部からの出血はなし、右第1指から出血、右手(MP関節)付近の打撲が最も重症。
精神を落ち着け、傷の処置、打撲部位に湿布をまき、出血部位は止血し絆創膏をはり、ゆっくりと歩行開始しました。

                

⑦坂本峠-九千部山:苦悩。右前額部打撲、右手の打撲のショックを引きずり、歩行。気持の昂揚もなく只管歩行しました。坂本峠を経て、七曲峠でチョコレートケーキで糖分と水分を補給しました。
九千部山の稜線がみえ、その麓までは比較的なだらかでそこからの急坂がみえます。これから歩くペースがみえます、急に歩く力が湧き上がってきました。今回の山旅で活力が湧いてきたのは初めてです。九千部山登頂。そこは、テレビ塔が乱立し、立派な車道。興醒め。

⑧九千部山-基山:苦悶。九千部山頂上で興醒めな気持ちに浸って下山路探します。車道を降りて途中から山道に入るらしいのですが、さっぱりわかりません。車道を降りていると頂上まで1.5㎞の表示。明らかに降りすぎています。九千部山頂上へ戻ることにしました。すると、車道に並行する山道があり、これまでの道にあった標識もあり、強引にそちらに移動。約35分間のロス。惨めな気持ちが襲ってきます。
大峠、柿の坂峠をへて基山へ。柿の坂峠から、山道に入ると、今度は数多く杉の大木が倒れ、荒れ果てています。こんなに荒れ果てた道ははじめてです。もうやめようかと何度となく思いました。荒れ果てたた道を登りきると今度は苔むした石段です。九千部山からは雨も落ち、とても滑りやすい状態です。気持はさらに落ち込みます。石段を下ってしまうと今度は、車道。延々と車道です。
地図で確認しました。このまま歩き、右手に基山。基山に登った後、元に戻って、左手に降りればいいのだと確認しました。しかし、基山が左手に出現。いつかの二丈山に続き、disorientationに陥りました。草スキーみたいな坂を登って基山登頂。道路沿い標識まで再び降りて、標識をにらみ、周囲を歩き、地図をみて、標識をみて、よくわかりません。

                

⑨基山-原田駅:苦難。どうやら、基山山頂から下山路があるようです。もう一度、草スキーみたいな坂を登り返して、下山路捜索。全くわかりません、原田駅に降りる下山路がわからないのです。冷たい雨が降り続いています。45分、ロス。
今までとったことない最終手段を選択しました。道がわからないので、GPSを100%信じることにしました。すると、広い頂上の端の方に狭い登山道を発見し、薄暗い山道を降りていきました。この道に標識はありませんでした。雑誌についていた地図は、もうみません。
基山からJR原田駅の地図は不詳だったので、GPSにルートを入力していました、それとGPSの現在位置の矢印の進む方向をナビゲーションにして歩きます。GPSはトラッキング痕跡にしかほとんど利用していなかったので、このような本来の使用方法は初めてです。持っているGPSは15年前のもので操作性はよくありません。
下山しているはずなのに、登り返すこともしばしばあり、道がなくなるとまた基山方向に登り返すこともあり、不安に駆られることもありましたが、GPSを信じ歩きました。方向は原田駅に進んでおり、途中から原田駅方向との標識も出現するようになりました。GPSを辿り原田駅へ到着。冷たい雨に打たれ、体が動いていた間は体も暖かったのですが、心は冷え切っていました。
駅について立ち止まると今度は体が急速に冷えて震えてきました。明らかに低体温症です。水分を補給し、駅なので着替えるわけにもいかず、雨具の下に一枚、キャプリーン4の上着を着て何とか落ち着きました。この時には右手親指はもうほとんど動かなくなっていました。雨具のジッパーをはずすのも、服を着るのも困難でした。

電車の中で暖まりながら、奥駈の最終訓練として予定していた福吉駅からの原田駅までの縦走はやめようと決めました。入浴後、午後8時に就寝。

                

男心と春の空。翌日、今回の山旅でなにが悪かったのか反省しました。準備は、全てにおいてよくなかったのか。重さ。食料。水の量。食事を摂るタイミング。気力。
福吉駅から原田駅までは、1日目の宿泊が雷山から三瀬峠付近となり、あのイノシシの暴れた痕跡をみると1日目に泊まる気持ちはなくなっていました。そして、金山の下の水場はとてもよかったので、この水場の水をうまく利用し、羽金山の下と荒川峠の水を利用すると上手くいくのではないか、そうするとの原田駅から福吉駅への縦走がいいのではないかと考えるようになりました。

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#10 挑戦-対策編-脊振山縦走(2泊3日編)⇒断念
2017/03/31更新-2017/03/28

原田駅から福吉駅までの対策を考えます。脊振縦走2泊3日。前泊は鳥栖。
下記コースタイムは、天候、気力、体力、十分な睡眠などに恵まれた場合の予想コースタイムです。

①原田駅
-基山
②基山
-九千部山
③九千部山
-坂本峠
④坂本峠
-脊振山
⑤脊振山
-金山
⑥金山
-雷山
⑦雷山
-荒川峠
⑧荒川峠
-浮嶽
⑨浮嶽
-福吉駅
1時間30分3時間2時間3時間30分3時間30分4時間5時間2時間3時間
登る舗装道を
かなり歩く
七曲峠
まで下る
登り
脊振で
テント泊
金山で
水補給
雷山で
テント泊
羽金山で
水補給
登る下る
                

対策(1):寒さ。前回、寒さで眠れなかったので、モンベルのシュラフを#7から#3に変更しました。

                

対策(2):重量。前回の脊振1泊2日に比較して約1㎏減量しました。9884g+γ+水+初日のパンが出発前の重量になります。

ウルトラライトにむけて(食①)
種類名称重さ(g)
水筒Platypus(2L)36
水筒Platypus(1L)26
水筒Platypus(1L)26
水筒Nalgen(500ml)89
水筒Nalgen(500ml)89
浄水器61
食器器(大)126
食器器(小)113
コンロマイクロモ374
ガスカートリッジ194
食器スプーン11
食器漏斗23
小計1168
ウルトラライトにむけて(食②)
種類名称重さ(g)
α米白米4食400
α米味付2食230
クリームパスタ2食(アマノフーズ)86
親子丼・中華丼2食(アマノフーズ)62
味噌汁2食(ドライフーズ)30
ソーセージ2本(セブン)160
カレー2食(アマノフーズ)76
チョコケーキ+ケース2個(ファミマ)294
グラノーラセット
ジブロック
2組336
小計1674
ウルトラライトにむけて(住・電器)
種類名称重さ(g)
テントカミナドーム1242
シュラフモンベル#3696
マットNEMOテンサー
インシュレーティッド20S
265
ヘッドライトティカ47
LEDライト百均37
ラジオsony55
単3乾電池4本92
単4乾電池11本121
カメラ電池olympus43
GPSガーミン116
小計3100
ウルトラライトにむけて(その2)
種類名称重さ(g)
ザックグレゴリー2300
白袋(emergent)α
紺袋(emergentβ
小計2300+γ
総計9698+γ
                

対策(3):水。飲水量を2時間で500gは最低摂るようにしました。もう少し、多めに。
水の補充場所は、①脊振山、②金山下、③蛤岳下、④羽金山下、⑤荒川峠、⑥その他を予定しています。
同時に食事摂取のタイミングを考えました。朝食と夕食の他に下記を考えました。4時間毎で摂っていたのを3時間毎を目安に摂ることにしました。
第1日:基山、九千部山、七曲峠、蛤山でパンを摂取。
第2日:金山でチョコレートケーキ、井原山でα米を摂取、雷山でグラノーラセット。
第3日:羽金山でチョコレートケーキ、浮嶽でα米、十坊山でグラノーラセット。
その他に行動食を考えています。

                

対策(4):食事。前回の脊振1泊2日では道迷いで食事きちんと摂れなくて最終的に低体温までなったので食事摂取には気を付けることにします。
出発直前まで重量と相談しながら考えます。

                
日程第1日第2日第3日
朝食パンα米α米
昼食①パンチョコレートケーキチョコレートケーキ
昼食②パンα米α米
昼食③パングラノーラセットグラノーラセット
夕食カレーセットカレーセット

2日目と3日目の朝食です。アマノとあるのはアマノフーズです。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
尾西α米
白米100g
1003666.31.182.73.9
アマノ親子丼22927.72.59.6669
永谷園
味噌汁FD
9.4322.30.74.1777
131.449016.34.396.41449.9

2日目と3日目の昼食①はファミマの厚切りチョコレートケーキです。これは美味しくて比較的食べやすい。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
チョコレートケーキ964616.730.839.263

2日目と3日目の昼食②はα米のエビピラフとチキンライスです。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
エビピラフ1003618.91.877.31070

2日目と3日目の昼食③はグラノーラで、最高5個です。

                    
種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物食物繊維
BalanceUp
玄米グラン
メープルくるみ
301392.75.820.22.2
BalanceUp
玄米グラン
はちみつレーズン
301411.96.320.12.1
BalanceUp
フルーツ
グラノーラ
301332.35.220.32.3
BalanceUp
ブランの力
アーモンドと繊維
301242.65.120.06.0
ブランの力
いちじくと繊維
301282.35.620118
15066511.828100.6188

グラノーラセットのカルシウム、鉄、ビタミンを示します。

グラノーラセットは、鉄やCa、ビタミンの食事摂取基準(1日量)に到達します。

種類カルシウム(mg)鉄(mg)Vit A(μg)Vit B1(mg)Vit B2(mg)Vit B6(mg)
グラノーラセット116712.4876-22882.332.672.52
1日当たりの
日本人の
食事摂取基準
50-69歳、男性
7007.58501.31.51.4
種類Vit B12(μg)Vit D(μg)Vit E(mg)ナイアシン(mg)葉酸(μg)パントテン酸(mg)
グラノーラセット4.57.28-15.113.0-15.727.345010.4
1日当たりの
日本人の
食事摂取基準
50-69歳、男性
2.45.56.5142405

1日目と2日目の夕食はカレーセットです。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
尾西α米
白米200g
20073212.62.2165.47.8
アマノ畑のカレー
野菜アマノ
372094.416.210.1870
アマノ 3種の
チーズの
クリームパスタ
291464.47.315.6496
おさかな
ソーセージ
801467.78.310.1580
24686722.832.9121.31949.9

2日目の総計です。カロリーとして不足です。8時間歩行で不足、10時間歩行ではかなり不足です。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
総計723.4284466.597.8434.84720.8
                

気魄をもって謙虚に。2017年4月挑戦です。睡眠を十分にとる予定です。難しければ途中で撤退します。
2泊目のテント場は雷山山頂にしていますが、雷山避難小屋、長野峠、羽金山下の水場などを候補に考えています。体力と到着時間、天候、気分次第です。いずれにしても金山下で3.5-4Lの水を補充するつもりです。奥駈男道の4日目は、水場がないので3-3.5Lは持って歩くことになります。
脊振縦走コースは、私にとって、まだ楽しく思えないコースですが、何回か歩いていると楽しくなることがよくあります、今回は出来るだけ楽しむつもりです。
奥駈男道では、1日目2日目は宿坊泊予定です。3日目-5日目は食料は自給となり、今回の2泊3日は丁度よい訓練となる筈です。
ザックの重量も、今回のザック重量が基本になり、これからテントとマットの重量が減り、衣類や非常食が増量となります。


2017/03/31 朝、天気予報をみると、2017/04/01の予報で脊振山は雷雨だそうです。いろいろ考えましたが中止しました。
4月は、土日に当直や町内会の掃除とかあるので脊振山縦走は難しいようです。機会があったらチャレンジしたいと思います。
とりあえず、①原田駅から基山の登山道の確認、②三瀬の新村の水場の確認、③荒川峠の水場、④羽金山の水場、⑤雷山避難所の再確認など地道に行いたいと思います。

いよいよ、大峯奥駈のイメージトレーニングに入ります。
1月からの脊振シリーズで如何に自分が道に迷いやすいか、思い込みが強いのかなどが把握できました。

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#11 基山頂上で、何故迷ったのか
2017/04/03

2週間前、2017/03/20の15時過ぎ、薄暗い冷たい雨の中、基山頂上でJR原田駅方面への下山路がわからず、45分間のロスと最終的にはGPS(相当古い為、地図もあやふやで下山路の入力もかなりいい加減、これをナビゲーションとして利用)を使用し下山しました。

4月上旬の2泊3日の脊振縦走計画は天候、その他の理由で中止しました(結局、大峯縦走の前に2泊3日の訓練は行えなくなりました)。
2017/04/01土曜日、勤務を終え、原田駅に向かい基山に登りました。基山頂上でわからなくなった理由を調べたかったのです。原田駅からは、高速道路の高架の下を歩いていくと、基山まで小さいのですがきちんと道標がありました。
迷うことはありません。原田駅から基山頂上まで一気に登り55分、下り45分でした。もちろん、2週間前に私が降りた道とは違っています。

何故、わからなかったのか。
①地図(雑誌についていた)がわかりにくかった?読めなかった。
②頂上付近には原田駅方向への明確な標識がなかった。
③基山には、JR原田駅またはJR基山駅方向などの平地から登ってくる人が殆んどで、脊振から歩いてくる人は少ない。
④脊振から歩いてくる人は、殆んど基山に来たことがあり基山からの下山路を知っている、または前もって調べている。
⑤背振で寒さと騒音のため、30分しか眠れていなかった。
⑥蛤岳への下山路で転倒し外傷を負い精神的に落ち込んでいた。

                                         
周船寺-井原山-三瀬峠-金山-背振山-九千部山-基山-原田駅。
2017/03/19-20 GPSデータより
                                                              
基山草スキーの標識。
2017/03/20は、九千部山から
歩いてきました。
基山草スキーの標識。
標識の地図
                                         
基山頂上から原田駅には、B、C、Dのコースがあり、
BとCの間に、最もポピュラーなルート(標識の地図のルート)があります。
2017/03/19-20 GPSデータより。
赤い線が私が辿ったルートです。Aは九千部山からの舗装道です、
草スキー場を登ったり降りたりウロウロしているのがよくわかります。
私は最も人が通らないであろうDコースを降りています。
深い林の中でGPSの電波は途切れています。

残念ながら、最もポピュラーなルートは、私が利用したネット上の国土地理院のマップには記載されていないようです。

補足、九千部山からの下山ルートがわからなかったのは何故でしょう。
頂上からは、立派な下山道が一本ありました。これは南に延びていました。私が進みたいのは、北東です。まず最初に南への道は降りれないなあと感じました。GPSをみてみましょう。

                                         
九千部山から、南への下山路(A)があり、
これは、その後、大きく北へ迂回しています。
頂上付近の標識には、舗装道路(B)から、登山道に入る(E)ようなイメージの地図がありました。私は(E)を発見できず、(C)で頂上まで1.5㎞の標識をみつけ、おかしいと感じ、頂上へ戻っています。
左手に登山道があるはずと注意深く覗き込みながら歩き、(D)で登山道を発見し、強引に登山道に戻っています。
2017/03/19-20 GPSデータより。

登山で道を間違えやすいのは、最初に登山口をきちんとみつけることができるかです。背振シリーズで頂上からの下山の難しさを知りました。
大峯奥駈に参考にしたいと思います。

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#12 三瀬峠から雷山避難小屋へ
2017/04/10

当直明け、老いた心身にむち打ち、三瀬峠から雷山避難小屋を経て周船寺まで、約6時間歩きました。
とても静かな素敵な山の散策でした。
今回の目的は、①新しい登山靴になれる、②三瀬峠から井原山までの新村コースの確認と水場の確認、③三瀬峠から井原山、雷山、雷山避難小屋でテントが張れる場所を探す、④その他です。

①新しいAKUの靴を履きました。大峯奥駈に備えてです。6時間使用しました。前の靴の後継だそうです。異和感はありませんでした。登りで右の脛骨に靴ひもが当たるところが痛みます。新しい靴ではいつもの事です。下りで、両側の小指に異和感。5時間過ぎた時点で、左第1趾に痛み出現、背屈が原因のようです。
来週、試してダメなら古い靴で奥駈へ行きます。

②新村コース、登山口がわからず迷いそうでしたが、糸島市作成の地図、水場になりそうな川があり、事なきを得ましたが、迷わずに登山口に行けそうな標識はありませんでした。
水は豊富です。但し、水場の登山道にテントは張れそうにありませんでしたが、新村大橋付近では良い場所はたくさんありました。

③井原山頂上の直下には2-3ヶ所、雷山頂上では、大きな岩の陰に1ヶ所、テントが張れる場所がありました。どちらもいいテント場です。天候が悪い時は頂上は嫌ですね。
今回の確認では、雷山避難所は使用可能でした。前回はよく見ていなかったのかもしれません。一人ではいいのですが、誰か人がいると嫌かもしれません。

①、②、③の目的は達しました。天気は小雨、ガスっていましたが、気持ちのいい山旅でした。雷山避難所から雷山中宮まで舗装した道を下っていると、突如、道が崩壊していました。驚きましたがいい経験でした。迂回路をまわり無事下山しました。

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#13 雷山避難小屋から羽金山
荒川峠、三度
2017/04/1

組長となったので、公園の清掃当番が回ってきました。朝早くの出発ができなかったので、先週の続きを試みました。雷山避難小屋-長野峠-羽金山-荒川峠-筑前深江駅のコースです。

今回の目的は、①新しい登山靴になれる、②前回みた雷山避難小屋下の水場の確認、③羽金山下の水場の確認、④α米の田舎ご飯が行動食としてどうか、⑤雷山避難小屋-長野峠-羽金山-荒川峠でのテントが張れる場所の確認です。

①新しいAKUの靴、2回目です。今回は7時間。全く問題はありませんでした。あと2週間、2回ならします。

②雷山避難小屋の下、ショートカットを使うと数分のところに、雷山川西源流というところがあります。その下は水量は豊富のようでしたが、渇水期にはわかりません。

③羽金山の下(東側)、水場確認。林道があり平地もありテントは張れます。

④α米の田舎ご飯を行動食として試しました。比較的良かったので、行動食パターン変更します。

⑤雷山避難小屋-長野峠-羽金山-荒川峠でのテントが張れる場所の確認しました。長野峠はあまりよいところはありませんでした。羽金山は、水場近くで張れます。河童山分岐のところ食事をとっておられる方がいました。ここにはテント張れます。荒川峠、テント張れますが、近くに猪の罠あり、気持ちの良いものではありません。荒川峠を北に下るとすぐに水が流れています。浄水器または煮沸で使用できると思われました。

①-⑤を歩き、福吉駅から三瀬峠はほぼ一往復したので大体の傾向がわかりました。縦走計画に結びつけたいと思います。暖かくなって小さな虫、蜘蛛の巣が邪魔になってきました。
二度と歩くことはないと思った、荒川峠-筑前深江駅、3回目です。

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奥駈男道-夢は叶わず-
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激震-奥駈男道-中止!
2017/05/6

半年間、準備を行なった奥駈男道、中止しました。

理由は、①2017年4月1日に始まった左顔面(左上顎2番の歯根部付近)-頭部の痛みがどんどん悪化したからです。しかし、半年間、準備を重ねてきて、そう簡単には中止を決定できる状況ではありませんでした。
②2017年5月1日、大峯の天候を知る為、ヤマテン(山の天気)に再入会しました。5月2日昼前に、ヤマテンから1通のメールが届きました。5月6日(土曜日)の天候が思わしくない。この情報で即座に中止を決定しました。
自分の体と心が良い状態ではないことはわかっていたので、ヤマテンが後押しをしてくれたのです。
ヤマテンが5日間、晴天を予報していたら無謀にも、行っていたのではないでしょうか。そしてどこかで倒れて発見されたのではないでしょうか。

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疼痛編
2017/05/08

2017年4月1日より始まった左顔面(左上顎2番の歯根部)-頭部の異和感、痛みは今(2017/05/08朝)も続いています。

経過を確認しましょう。
2017年4月1日(土曜日)は、もともとは、脊振縦走の日でした。天候やその他の理由があって、2泊3日の脊振縦走も中止となり、嫌な日々が続いていました。
4月1日は基山の道を確認に行った日でした。春の日差しを浴びながら、ゆっくりと基山に登り、行動食を食べていると、左上顎2番の歯(左の中切歯)の裏側に食塊が触れ、何かしら異和感を覚えました。そういえば、2月の定期受診(歯科)をさぼっていたことを思い出し、4月3日(月曜日)に歯科に電話をかけ5日(水曜日)の予約をとりました。

4月4日夜に、左上顎2番の歯に激痛が襲いました。ロキソニンを飲んでみましたが効いたのやら効いていないのやら?。よく考えてみると、左上顎2番の歯ばかりでなく、左下顎2番の歯の付け根付近も痛んでいるような感じです。左上顎奥歯(左上顎の奥全体)、そして左コメカミも痛みます。嘔気はありません。痛みの性状は拍動性ではありません。

4月5日受診。歯科では診察を受け、レントゲンを撮りました。異常はないそうです。痛みは歯からではありませんと明言されました。ホッとしました。歯の治療は嫌ですからね。
なにやら思い当たる点があります。痛む場所が多すぎるのです、どちらにしても左側です。ズキンズキンではありません。歯の痛みは歯の痛みの感じです。
痛みの広がりから、副鼻腔炎か三叉神経の障害かなと考えました。

2017年4月6日、頭部および副鼻腔のCTを撮りました。脳神経外科専門医、頭痛専門医の目からみて、画像上、異常はありませんでした。ホッとしました。
多分、気のせい。ロキソニンを集中して飲んで痛みから脳を開放してやれば大丈夫かなという、頭痛専門医のあま~い判断です。
ロキソニンを集中して内服し、実際に痛みはなくなりました。調子に乗って、実家でお酒を飲みました。山も歩きました。これらは頭痛には決して良い事とはいえません。何故なら、アルコールは血管を拡張させますし、私の山登りは少しハードのようです。

痛みは再燃しました。今度は前回ほど甘くありません。1日中の痛みです。軽度の頭痛と激痛発作が交互に襲ってきます。
カロナール400-800㎎又はロキソニンを内服しました。カロナールは400㎎は全く効果ありません。600-800㎎(3-4錠)でわずかに効果があります。
カロナールを一回に1000㎎内服するようになりました(1回使用最大量)。ロキソニンは、はっきりとした効果があります。ロキソニン1錠のほうが、カロナール1000㎎よりも効果があります。
痛い時には、ロキソニンを1日に3錠飲みました。すると手首足首がむくんできました。ロキソニンの副作用の浮腫です。
困りました。激痛にはロキソニンしか効果ありません。激痛が襲ってくる時間は、14時、19時、1時など覚えているだけでもさまざまです。

診断は何なのでしょうか。私はあくまで二次性頭痛だと思います。
原因があるはずです。歯科、耳鼻科、口腔外科の領域でしょうか。歯科受診では、歯が原因の痛みではない(歯根部を含めて)といわれました。副鼻腔はきれいです。思い余って、脳MRを撮ってみました。異常はありません、三叉神経や脳幹はきれいです。血液検査では異常はありません。
では、原因がはっきりしない、一次性頭痛でしょうか。

                    

本来、本HPは頭痛について考えるものでしたから、一次性頭痛の意味をここで説明する必要はないと思います。敢えて説明します。簡単に言うと、脳腫瘍とか、脳血管障害とか、髄膜炎とか、明らかな原因があるものは二次性頭痛です。
一次性頭痛とは、CTやMRIで異常のなく、明らかな原因のはっきりしない頭痛のことで、片頭痛や緊張型頭痛、群発頭痛などをさします。

1日中、毎日続く頭痛。そして、左半側のみ。併発症状として軽い耳の閉塞感と鼻の閉塞感。瞳孔をみてみたら、左の方が若干小さい(?)、自分の瞳孔など日頃はみたこともありませんから、これが異常なのか正常なのか、境界領域といったところでしょう。激痛発作の時は、保冷材をハンカチで巻いて左眼やコメカミを押さえて只管、べっどの上で我慢している。だらっとではなく力が入っている感じ。
これが事実としたら、一次性頭痛では、一つの病気しか思い当たりません、持続性片側頭痛です。しかし、非常に稀な疾患で、私は一度もみたことがありません。診断基準では3ヶ月以上続くこと、インドメサシンが効果かあることという項目があります。3ヶ月は待っていられません。インフリー200㎎をためしに飲んでみましたが全く効果ありません。持続性片側頭痛ではありません、もちろん片頭痛や群発頭痛でもありません。
新規発症持続性連日性頭痛は診断基準上、否定はできませんが、違うと考えます(3ヵ月は経っていません)。
やはり二次性頭痛を考えていくしかありません。鎮痛剤を内服して効いていたのですが、次第に左上顎2番の歯根部付近の痛みは残り、右に比べると若干ですが動揺します。原因は歯根部ではないでしょか。

5月2日にもう一度、歯科を受診しました。歯からのものではありません。ペインクリニックという方法もありますとのコメントでした。顔面神経痛の疑いもありますとのコメントでした。(思わず、三叉神経痛ではありませんと言ってしまいました。相変わらずです、黙っていればいいものを。顔面神経は、主に運動神経で、顔面神経の神経痛は中間神経領域で外耳道領域に限局する痛みです。
歯科では、神経を抜く方法や歯を一部削る方法がありますと説明を受け帰宅しました。

現時点では、腎機能、浮腫に注意しながら、鎮痛薬を使用していくしかありません。痛みは基本的に2つです。

①左上顎2番の歯根部の痛み。これはずっとあります。特徴は2番の歯を刺激すると痛みはピークに達しますが、刺激を加えないと痛みは我慢できる程度です。
②左こめかみから眼窩にかけての痛みは、①からの副産物と考えています。拡がったものでしょうか、三叉神経第2枝から1枝の軸索反射が関係しているのでしょうか、三叉神経節や上位中枢の感作によるものでしょうか。

①鎮痛剤は、カロナールを中心にします。効果は低いのですが副作用を気にする必要があまりありません。
ロキソニンは副作用に注意しなければいけません。特に脱水には注意です。注意深い水分の補給が必要です。山行では、ロキソニン使用に際しては、1錠使用したら十分に水分を補給するつもりです。
②浮腫対策には五苓散、③頭痛や顔面の疼痛の基本処方として、漢方を五苓散、呉茱萸湯、桂枝加朮部湯、芍薬甘草湯を用意しました。

5月1日(出発前夜)は頭痛対策に追われました。高山では気圧が下がり頭痛が誘発されやすくなります。エスケープルートを確認しました。撤退の判断も重要です。しかし、後半は、エスケープルートはあっても、降りた場所からの交通手段があまりないようです。

荷物の最終の確認し、ザックに詰め、5月2日の朝、いつもより20分程度早く自宅を出て、駅のコインロッカーにザックと新幹線の中で食べる夕食などを放り込みました。夕方まで仕事です。奥駈男道、いよいよ始まります、しかし、気分の昂揚は全くありません。お昼前にヤマテンからの1通のメールが届きました。

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ヤマテン編
2017/05/08

気象庁、NHKの天気予報あまりみません。気象庁も山の有料サイトを作ったようですがみたことはありません。
ヤマテンの4月末にだされたGW情報は5月6日(土曜日)はあまりよくないようです。これくらいだったら普通は行くよねというのが正直な感想でした。それとは裏腹に4月29日以降、私の左顔面-頭部の痛みは悪化の一途。4月30日は靴を慣らすため、金山に行く予定でしたが、あまりの痛さのためモチベーションはあがらず寝込んでしまいました。こんなことは初めてです。

それでも行くつもりでした。5月2日昼前にヤマテンからの1通のメール。1度ではよくわからないので、何度か読み直しました。頭痛のため、判断能力はどんどん低下していました。

どうやら、5月6日土曜日の天気は崩れるようです。予想が難しく2パターンの記載がありますが、どちらとも天気は悪いようです。
5月6日は奥駈男道の第4日目に相当し、持経の宿から玉置神社まで、私が計画したコースの中で、山と高原地図では11時間50分と記載されているロングコースです。
エスケープルートはあるのはあるのですが、降りたところから公的な交通機関が殆んどありません。つまり、土地勘がない私にとっては、素直にロングコースを歩いたほうが公的交通機関に辿り着くようです。
ヤマテンからのメールをみて、何度も読み直し、5月2日お昼前に中止を決定しました。とても残念でしたが、今の自分の状況を考えると正直ホッとしました。
いつ、激痛発作が襲ってっくるかという恐怖と、どうしたら痛みが来ないのか、痛みが来たらどうしたらいいのかを考えることで精一杯だったからです。その他の思考回路は殆んど停止していました。
5月2日は、吉野(下市駅)への移動のために16時でお休みをとっていましたが、その足で歯科に駆け込みましたが、前述のように、歯からの痛みではなく、ペインクリニックをお勧めしますとのコメントでした。ペインクリニックで考えることは鎮痛方法は、おそらく頭痛外来で考える方法とよくにています。ペインクリニックは、頭痛を含めて痛み全般を対象とし、頭痛外来は頭痛を対象とするということだと思います。
自分で安全な鎮痛方法を考えるしかないということでしょう。しかし、私の診断は二次性頭痛で、歯関連です。二次性頭痛の場合は、原因の治療が最優先されます。
振り返ると、自分で最終訓練と課していた脊振縦走をしていなかったので、私には奥駈男道にはまだ早いということかもしれません。

2017年5月2日の1日の行動
午前6時50分自宅を出る
7時20分駅のロッカーにザックを放り込む
7時40分出社
11時30分ヤマテンからメール届く
繰り返し内容を確認
奥駈男道中止決定
12時00分宿泊、交通機関の予約をキャンセル
16時退社。駅でザックを取り出し、
歯科を急遽予約し、受診。
脊振ウォーキングを思いつく
24時左こめかみから眼窩にかけて激痛発作。
ロキソニン著効
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気分は奥駈男道/脊振ウォーキング(1)
福吉駅から雷山避難小屋
2017/05/08

5月2日歯科でそのような診断を頂き、自分で疼痛対策を考えました。

1)左上顎中切歯(2番の歯)を刺激すると痛むので刺激はしません。これは既に体得していました。食べ物は開口時から全て右側で食べるようになっていました。歯磨きや歯間ブラシを左(患側)に用いる時は、ロキソニンやカロナールが効いている間に行う。
2)左こめかみから眼窩にかけての痛み。これが出てくると、なにもできません。
対策としては、激しい痛みの時はロキソニン、中等度から重度の時はカロナール1000㎎を頓服として使用する。回数はロキソニンは1回まで、カロナールは1-2回までとする。特にロキソニンの使用には注意する。

漢方は1日に3回、五苓散3p3x(浮腫対策を含む)、桂枝加朮附湯3p3xの2剤併用。五苓散は浮腫対策の意味合いが強く、桂枝加朮附湯は頭痛外来をしていた頃、難治のヘルペス帯状疱疹後の痛みの患者様に効果があったのを思いだし内服してみると若干ですが効果ありました。呉茱萸湯はあまり効果はありませんでした。芍薬甘草湯は効果あったと思いますが、副作用を考え連用は避けました。

半年間にわたり準備した大峯奥駈を中止したことへの自分自身の精神的ケアのため、4月上旬に中止した脊振縦走(原田駅から福吉駅)を急遽、脊振ウォーキング(福吉駅から原田駅)としてやってみることにしました。
4月に計画し中止したコースの逆コースです。むしろ今度のコースの方が歩きなれています。名前を変えたのは縦走では、気が重くなります、ウォーキングは軽い感じがしますね。コースは福吉駅から、十坊山、浮嶽、女岳、羽金山、雷山、井原山、金山、脊振山、九千部山、基山、原田駅です。
ウォーキングですが、1日で歩けないので雷山避難小屋に宿泊、脊振でテント泊をすることにしました。

1日目は、福吉駅から、雷山の避難小屋まで、私自身のコースタイムでは9時間半の予定です。
もちろん、疼痛のため、大峯奥駈を中止したため、心は後ろ向きです。始発の列車に乗り込む予定でしたが、駅の手前で携帯を忘れたのに気づき、とりに自宅に戻ったので次の列車に乗りこむ始末です。
NHKの天気予報は、GW中、福岡でのアウトドアの行楽は、5月3-4日がおすすめで、5日は曇り、後半の6日7日はよくないとのことでした。
出発直前に、そんなに天気がいいのなら雨具を持っていくのはやめて荷物を軽くしようかと考えましたが、山では何が起こるかわからないのでやはり持っていくことにしました。

鎮痛剤を使用するので、脱水を避けることを再確認しました。起床時から福吉駅に着く前まで十分に水分を摂取。朝食はパン2個を食べ約1000カロリー弱です。
予定としては、羽金山下の水場までに2.5Lの水分を摂り、羽金山下の水場で給水予定。水分摂取は、2時間で少なくとも500mlはとるルールを設定し、出来たら3時間で1L摂りたい。食事摂取は、十坊山付近でパン1個、浮嶽付近で2個、羽金山付近で1個、約2000カロリーとしました。

福吉駅出発、薄曇り。それほど天気がいいわけではありませんが、雨は降りそうではありません。
正直に言うと、脊振ウォーキングの楽しみがどこなのかよくわかりません。景色がいいわけでもなく、花がきれいなわけでもなく、岩場や急登があるわけでもなく、単調なアップダウンの繰り返しで、頂上付近はフェンスばかりで、主要な山頂には舗装された道路が通じています。
独りになるのはいいかもしれません、特に福吉側から入ると雷山まで人と出会うことは殆んどありません。

十坊山登山口から山道に入ります。激痛発作が来ないように祈ります。
ここで、脊振ウォーキングコースで使用する痛みのグレードを示します。

脊振ウォーキングコースで使用する痛みのグレード
グレード痛みの程度説明
グレード0全くなし痛みが全くない。
グレード1なし痛みがほとんどない。
グレード2軽度軽い痛み。
頓服の薬剤を必要としない。
グレード3中等度なんとか我慢できる痛み、
カロナールが必要。
グレード4重度我慢できない痛み、
ロキソニンが必要。
グレード5激烈動けなくなるほど痛い。

痛みは基本的に2つです。①左上顎中切歯の歯根部の痛み。これはずっとあるのですが刺激を加えるとmaxになりますが、刺激を加えないと逃げ切れます。
②左こめかみから眼窩にかけての痛みは、①からの副産物と考えていますが、②の痛みに対して上記グレードを使用します。

朝からは五苓散と桂枝加朮部湯します。この2剤が基本形です。これに頓服のカロナール、ロキソニンを加えます。
5月2日深夜に、ロキソニンを内服しています。今回の頭痛発作ではロキソニンは4-8時間の効果があります。朝からは前日のロキソニンの御加護を受けています。
大峯奥駈を想起し、「六根清浄」と掛け声をかけることにしました。

十坊山通過。心は後ろ向きということは、突っ込んで歩くことができません。つまり、とぼとぼと歩きます。十坊山からの下り道は、土が乾燥しており、滑ることもなく歩き易かったですね。浮嶽への登りをしっかり歩きます。
痛みのグレードは2程度です。痛みと語らっていると、登り坂やお腹がすいてくると痛みが増すことに気づきました。グレード3に近づきます。静荷重、静移動を心掛けます。食べ物を口の中に放り込むと、痛みはグレード2に戻ります。
空腹は痛みの閾値を下げ痛みやすくなるようです。食べ物は、パンでも飴でもα米でも効果があります。血糖値が上がるからでしょうか。それとも食べ物を食べることによる報酬系の賦活が痛みを和らげるのでしょうか。低血糖は疼痛の閾値を下げるという論文があったような気がします。定かではありません。

                    
十坊山 頂上の岩浮嶽
                    

天気は薄曇り。「六根清浄」
恥ずべきことですが、この年まで六根清浄(ろっこんしょうじょう)の意味を知りませんでした。六根清浄とは、人間に具わった六根を清らかにすることだそうです。
六根とは、五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)と、意識だそうです。
六根は人間の認識の根幹であり、それが我欲などの執着にまみれていては、正しい道を往くことは行えない。そのため執着を断ち、心を清らかな状態にすることを言うそうです。そのため不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために俗世との接触を絶つことが行なわれてきたそうです。
これって、片頭痛のかたの過敏な脳の状態、扁桃体の状態につながりますね。

女岳通過、荒川峠には、時間で到着。昼間のウォーキング中は、疼痛対策として桂枝加朮附湯を用い、空腹になるとパンなどを食べて疼痛のグレードを下げることに成功しています。
羽金山登山口にかかると南西の方向から何やら怪しい黒い雲影。エッ、今日は晴れでしょう?。
次第に雨がポツリポツリ、そんな筈はないと思いながら、これはすぐにあがる雨だから雨具なしで歩きましょう。
すると、14時半頃から雷鳴とともに本降りの雨になってしまいました。雨具の上下を着込み、スパッツをつけ、ザックカバーを装着、雨具対策フル装備です。こんな筈じゃなかった。
雷は30分もすると通り過ぎるよね、雷の時は大きな木から離れて安全な場所へ移りましょうと自分自身に話しかけます。しかし、ここは羽金山中腹でまわりは杉の木の大木ばかり、ちょっとやそっと歩いても大きな木から離れられません、雷鳴は延々と頭の真上で轟いています。足は次第に進まなくなり、立ち止まり座り込んでしまいました。雷は鳴り続けます。約20分は座っていました。頭の真上で鳴り続ける雷鳴を聴きながら、死を身近に感じました。原因が未だ明らかなではない激痛は進行性です。歯の疾患でも副鼻腔炎でもなければあまりいい病気は思い浮かびません。
座っていても歩いていても危険性は同じかなあ?と思い直し、避難小屋には明るいうちに着きたいと考え、雷鳴轟く中、歩き始めました。

                    
女岳
痛いだけ 六根清浄 女岳
雨に濡れた羽金山 電波塔
ここにもフェンス

羽金山を過ぎると、次第に雷鳴は遠のき雨はあがってきたようです。今度は羽金山からの滑りやすい急坂を降りなければなりません。ストックはウォーキング用に壊れていたものを持って来ていたので、滑りやすいぬかるんだ急坂では使えません。正規の道は滑りやすいので数m離れたところを注意深く降りました。この道は乾いていても滑りやすいので注意が必要です。

羽金山の下の水場で500mlの水を浄水器(スーパーテリオス)で浄水し、ナルゲン水筒に入れ、2L分の水をプラティパスに汲みました。雨で少し濁った水です。使う時には浄水します。長野峠を経て、雨が上がり、陽がうっすらと射す雷山避難小屋に着いたのは18時12分でした。福吉駅を出発したのは7時30分でしたから、10時間40分です。予定より1時間10分遅れでした。

持ってきた着替えは、キャプリーン4、下着、ユニクロのショート靴下のみで、直ぐに着替えました。グレード3の痛み出現しカロナール5錠内服し効果ありました。α米・カレー・スープを食べた後、雨に打たれ、疲れた体を癒すため、20時過ぎには、シュラフの中に潜りこみました。4日午前4時頃、グレード4の痛み発作で目が覚めロキソニンを内服しました。

雷山避難小屋付近避難小屋で
食事を作る
お湯を注ぐだけ
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気分は奥駈男道/脊振ウォーキング(2)
雷山避難小屋から脊振山
2017/05/08

午前5時起床。今日は2日目。ロキソニンを内服し1時間、痛みはなくなっています。予定通り、お湯を沸かしてα米にお湯を注ぎます。白ごはんができるまで15分。
ジェットボイルは2分半でお湯が沸くので朝の時間節約にはうってつけです。ご飯ができるまでさまざま準備などが行なえます。シュラフの片づけやら着替えやら、、、。
その間にももう一度お湯を沸かして行動食(α米)の田舎飯とエビピラフを作りました、お湯をいれるだけです。ジェットボイルは重さや容量の面で躊躇しましたが、この速さに驚きです。

一息入れて、出発は6時30分頃、快晴です。が迎えてくれます。心地よい朝のウォーキングです。ロキソニンのおかげで痛みはありません、グレード1です。

                    
ここを抜けると雷山朝の雷山頂上
雷山頂上のもう一つの岩
この岩に登ると
脊振が見えます
古湯方向?
日本昔話みたいな風景

雷山、井原山。井原山からの南の方角は視界良好で、雲仙がみえました。ここから雲仙がみえたのは、私にとっては初めてです。昨日の雨で空気中の不純物がなくなったのではないでしょうか。

雲仙、眉山もみえます
佐賀平野、有明海
                    

三瀬峠を経て金山へ。痛みと語らいます。「六根清浄、歯根は無常(情)」とか唱えていました。相変わらず、痛み対策は、五苓散、桂枝加朮附湯を基本とし、頓服を準備。空腹時には行動食をとる、そして、物を食べる時には左側は使わないなどです。そして、新たな方法を編み出しました。「雷山、脊振の神様、お助けください」と神頼みをするのです。比較的効果があるような気がしました。流石は頭痛指導医と人知れず感心しました。

金山の下で給水しました。きれいな水です。念のため、1Lは浄化器を通し、1.5L はプラティパスにそのまま入れました。
独り、水を汲んで入ると遠くで野犬の吠声が聞こえました。こちらに来なければいいなあと、思っていると、蛙の声でした。

金山金山直下の水場
金山の 野犬恐れる カエルかな

金山から椎原峠、そして脊振山へ。金山から椎原峠は頑張って歩きましたが、山と高原地図のコースタイムには追い付きませんでした。80歳の背振-金山往復ピストンさんにも抜かれたし、そんなものかなあ。
途中、あれだけの雷をはずした(?)背振レーダーに寄り道しました。脊振山に着いたのは14時53分、約8時間20分のウォーキング。今夜はテント泊です。

背振レーダー
外れてもまた外れても お叱りもなし じっとレーダーをみる by ダメダス
テント泊
背振山

「六根清浄、六根清浄」と、大峯奥駈を心掛けましたが、無常(情)。大峯で修業を積んだはずの役行者様は、航空自衛隊とフェンスに守られています。脊振山の頂上まで舗道があり、車でカップルや家族連れが大勢賑わっています。六根清浄とは無縁の世界です。

何想う フェンスの中の 行者様六根清浄 無縁

疼痛対策を行ないながら、α米・カレー・スープ、クリームグラノーラ、粉末珈琲頂きました。20時頃休みました。氷点下まで下がった3月のテン泊と違い暖かです。気温ももちろん高くなっていますが、今回はマット、#3のシュラフ、ナノパフなど装備も上がっています。夜半、雨が降り、遠くでバイクの轟音が聞こえましたが、雨の深夜にバイクを一人走らせるのも大変だなあと感心しながら眠っていました。5日午前2時、グレード4の頭痛あり、ロキソニン内服しました。もちろん、ロキソニンを内服する時には水分を十分にとり、胃薬(ネキシウムやムコスタなど)を内服しています。

最終日は、歩行時間が少し長くなり、テントなどの撤収時間も増すため4時頃、起床です。

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気分は奥駈男道/脊振ウォーキング(3)
脊振山-原田駅
2017/05/08

午前4時7分起床。予定通り、最初にお湯を沸かし、α米にお湯を注ぎます。白飯ができるまで、準備を進めます。

午前5時半に出発。夜半の雨はあがっていますが、道は濡れたままです。慎重な歩行が望まれます。3月の転倒事故の悪夢を思い出します。水分は、なんと4Lザックに詰めました。物理的は食料を消費している分、重さは軽くなっている筈ですが、いろいろなものが水を含み重く感じます。

疼痛対策は同じです。ただ、なんとなく、痛みはジワリジワリと一段階あがってきているようです。これまでグレード5の激痛発作はありませんが、恐怖感で押しつぶされそうです。

「六根清浄、六根清浄」と、大峯奥駈を心掛けます。

前回、転倒した場所を慎重に通り過ぎ、蛤岳、九千部山と至ります。九千部山では、此処をホームとしている人でしょうか、今日はいい眺めだと言われていました。

水分補給は行っています。七曲峠で一休みし行動食摂取。本来であれば、九千部山で2回目の行動食を摂る予定でしたが、暑さのためかとれませんでした。九千部山から基山への登山道は相変わらずわかりにくく適当なところから入り込みました。大峠で座って休憩。暑さに参ったかもしれません。水分摂取は心がけました。2回目の行動食を座って摂りました。柿の原峠を通って、次は、3月に歩いた時、信じられないほどの荒れた登り道と滑りやすい苔むした石段です。今コース最大の難所で覚悟してかからなければなりません。なんと、倒木で荒れ果てた登り道は、きれいに伐採され、ただの急な登り坂になっていました。あっという間に通過して拍子抜け。苔むした石段も雨はあがっており、前回ほどは滑りません。慎重に下りました。

後は、舗装された九州自然道という意味のない道を数キロ歩き、草スキーを楽しむ家族やカップルの中、基山を登り、迷うことなく原田駅14時52分到着。9時間22分、予定より22分の遅れ。

脊振ウォーキンクでは満たされるものはなく、ただの訓練という感じでした。千発の雷鳴を身近に体験し、原因不明の激痛発作に恐れおののきながら、50代も既に半ばを過ぎ、死を身近に感じる貴重な脊振ウォーキングだったと思います。

六根清浄、歯根は無常(情)

雷山、脊振の神様、お助けください

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振り返って
2017/05/10

ここでは、①コースタイム、②重量、③食事と水、④疼痛について振り返りたいと思います。

― コースタイム ―

2017年からの歩行訓練でイメージはつかめています。急遽、予定を変更し脊振ウォーキングになっても問題になることはありません。
心技体が充実して、天候が良ければ、私の中で、福吉駅→原田駅、逆向きの原田駅→福吉駅はコースタイムは同じと考えています。実際には微妙に異なるかもしれません。
福吉駅から雷山までが10時間、雷山から金山までが4時間30分、金山から脊振山までが3時間30分、脊振山から原田駅までが9時間で、計27時間です。
根拠は、これまでに自分が歩いたデータです。
2017/01/21に雪の尾根道を歩いた福吉駅から十坊山、浮嶽、荒川峠が5時間でした。
2017/02/18に12時間歩行を行なった時、荒川峠から羽金山、雷山を経て井原山までが6時間でした。雷山避難小屋から雷山まで30分、雷山から井原山まで1時間とすると、荒川峠から雷山避難小屋までは4時間半ということになります。。
2017/03/19-20で1泊2日で井原山から金山、脊振山(テント泊)、九千部山、基山を経て原田駅まで歩きました。その時は初めて歩くところで道がわからないところがありました。
この時は脊振山から原田駅まで11時間弱かかりましたが、道迷いが2時間弱なのでこれを差し引くと脊振山から原田駅は9時間になります。井原山から金山を経て脊振山までの時間もその時の時間を参考にします。
私の乏しい経験からの私自身の参考タイムになります。その道に慣れてくるとペース配分もわかります。ザックの重量、天候、体調、心理状態によって時間は変わってくると思います。

その他に、山と高原地図から福吉駅から九千部山までのコースタイム、金山頂上にある標識からのコースタイムを各々示します。

おおまかには、1日目が福吉駅から、雷山避難小屋まで9時間半、2日目が雷山避難小屋から脊振まで8時間半、3日目が脊振から原田駅まで9時間、一日平均9時間で、3日で27時間といったところです。

区間①福吉駅
-浮嶽
②浮嶽
-荒川峠
③荒川峠
-羽金山
④羽金山
-雷山避難小屋
⑤雷山避難小屋
-金山
⑥金山
-脊振山
⑦脊振山
-九千部山
⑧九千部山
-基山
⑨基山
-原田駅
私の
コースタイム
予想時間
3時間2時間2時間2時間30分5時間3時間30分5時間3時間1時間
山と
高原地図
コースタイム
3時間10分2時間30分破線羽金山から
長野峠まで
破線
4時間50分3時間10分4時間20分記載なし記載なし
金山の標識
コースタイム
6時間半4時間記載なし
脊振
ウォーキング
結果
3時間9分2時間20分2時間13分2時間59分5時間05分3時間27分5時間05分3時間44分50分
コメント雷鳴
休憩
20分含む
雨で
濁った水
水汲み
20分含む
きれいな
水場で
水汲み
10分含む
気象台
レーダー
寄り道
12分含む
七曲峠で
休憩
10分含む
九千部山
展望台
休憩
10分含む

暑さで
ばてる
大峠で
休憩
15分含む

山と高原地図から福吉駅から九千部山までのコースタイムは記載されていますが、基山までの記載はありません。車道を通ることが多く、地図の意味はないと判断されたのかもしれません。今回の結果について、もう少し詳しくみてみましょう。

    
第1日(福吉駅から雷山避難小屋まで)
場所到着時刻
(出発地は
出発時)
そこまでに
かかった時間
コメント私の想定時間山と高原地図
コースタイム
福吉駅7:30
十坊山8:541時間24分足が
前に進まない
1時間1時間30分
浮嶽10:391時間45分白川峠まで
道が乾燥して
歩きやすい
2時間1時間40分
女岳12:001時間21分淡々と歩く1時間1時間20分
荒川峠12:5959分雲が怪しい1時間1時間20分
羽金山15:122時間13分雷雨、
20分間
立ち止まる。これを含む。
2時間破線の
コース
長野峠17:071時間55分羽金山下の
水場で
水汲み。
20分含む。
1時間45分破線の
コース
雷山避難小屋18:111時間04分薄日さす45分40分
小計10時間41分40分の休憩・水汲み含む
雷。
9時間30分

奥駈男道中止のため、気分は昂揚しません。そのための最終訓練をしていなかった一抹のうしろめたさを払拭するための脊振ウォーキングです。心も頭もはれないためか、足取りは重いままです。

自身の設定タイムより、山と高原地図のコースタイムに近いですね。
私見ですが、心と体が元気ならば、自身のコースタイムが正しいと思います。山と高原地図のコースタイムは、福吉駅から雷山までのコースタイムは、三瀬峠から脊振、九千部山までのコースタイムより少し甘く設定してあるようです。
荒川峠から羽金山、長野峠まで破線で示してありますが、道は明瞭で破線にすべきではないのではないかと思います。。

                    
第2日(雷山避難小屋から脊振山まで)
場所到着時刻
(出発地は
出発時)
そこまでに
かかった時間
コメント私の想定時間山と高原地図
コースタイム
雷山避難小屋6:22五月晴れ
心地よい
雷山6:4422分30分20分
井原山8:081時間24分コバノ
ミツバツツジ、
マバユイ
1時間15分1時間25分
三瀬峠9:281時間20分心地よく
歩く
1時間30分1時間20分
金山11:271時間59分水場で
水汲み
10分含む
1時間45分1時間45分
椎原峠13:221時間55分頑張って
歩く
2時間1時間45分
脊振山14:541時間32分気象台
レーダー
寄り道
12分含む
1時間30分1時間25分
小計8時間10分22分の休憩・寄り道含む8時間30分8時間

五月晴れ、深夜のロキソニンが効いており、足取り軽やか。金山から椎原峠、一生懸命歩きましたが、山と高原地図のコースタイムにはおいて行かれました。前回よりはきちんと歩けました。
この日が一番、体調がよかったように思います。
気象台レーダーにあがってみました。こんなに立派な施設があっても予報は難しいようです。

                    
第3日(脊振山から原田駅まで)
場所到着時刻
(出発地は
出発時)
そこまでに
かかった時間
コメント私の想定時間山と高原地図
コースタイム
脊振山5:21
蛤岳6:421時間21分水4Lが
重い
1時間30分1時間10分
坂本峠7:561時間14分体が重い1時間1時間
九千部山10:262時間30分七曲峠で
休憩
10分含む
2時間30分2時間
大峠11:271時間01分九千部山
展望台で
休憩
10分含む
45分記載なし
柿原峠12:2053分大峠で
食事休憩
15分含む
45分記載なし
基山14:101時間50分暑い
ペースあがらず
1時間30分記載なし
原田駅15:0050分下り、
ペースダウン
1時間記載なし
小計9時間39分35分休憩含む9時間

精神的には状態は良いのですが、頭痛のレベルが一段階上がり、辛い一日でした。
暑くて、頑張って水分摂取しましたが、脱水かなあ。九千部山過ぎて、パタッと足が止まりました。
九千部山の後、原田駅まで単調な辛い道のりです。
私は殆んど休憩とかとらないのですが、休憩ばかり。


― 重量 ―

第1日は、朝から水2500ml、パン5個をザックにいれ、ザックの重さは11㎏弱です。

衣類
種類名称重さ(g)
衣類ナノパフ:宿での防寒304
衣類黄色:超薄手アウター162
衣類キャプリーン赤157
衣類靴下(short)x280
衣類下着40
衣類手袋ミズノ48
衣類手袋ノースフェイス37
衣類タオル今治65
衣類タオルストライプ67
衣類スパッツ150
衣類サングラス62
衣類雨具下224
衣類雨具上257
小計1663

衣類は、行動中の防寒のフリースと替えの登山用靴下を持って行かないことにしました。
しかし、替えの登山用靴下は必要でした。雨に濡れると着替えが必要なので、大峯奥駈では、もう一枚、上のシャツが必要と思いました。

食器・水筒
種類名称重さ(g)
水筒Platypus(2L)36
水筒Platypus(1L)26
水筒Platypus(1L)26
水筒Nalgen(500ml)89
水筒Nalgen(500ml)89
浄水器61
食器器(大)126
食器器(小)113
コンロマイクロモ374
ガスカートリッジ194
食器スプーン11
食器漏斗23
小計1168

食器や水筒など、これ以上、減らすことができません。大峯奥駈では、これに新しいプラティパス2L(30g)が加わります。

食事
種類名称重さ(g)
α米(朝夕)白米4食400
α米(行動食①>田舎ごはん2食200
α米(行動食②>エビピラフ2食230
クリームパスタ2食(アマノフーズ)86
親子丼・牛丼2食(アマノフーズ)62
味噌汁2食(ドライフーズ)30
カレー2食(アマノフーズ)76
パウンドケーキ+ケース2個(ファミマ)110+42
クリームグラノーラ2袋77
一本満足チョコ+ソイジョイ1個+1個74(42+32)
小計1389

食事は、夕食のソーセージを持っていきませんでした。朝食が500カロリ-弱で、少ないことがわかりました。行動食もα米だけでは足りません。食事は大幅に見直す必要があります。

居住・電器
種類名称重さ(g)
テントカミナドーム1242
シュラフモンベル#3696
マットNEMOテンサー
インシュレーティッド20S
265
ヘッドライトティカ47
ライトブラックダイアモンド85
ラジオsony55
単4乾電池10本110
カメラ電池olympus43
小計2588

テントもマットも良い製品だと思いました。シュラフはモンベル#3で暖かくよく眠れました。
大峯奥駈では、いつ行くかで微妙に異なります。5月ならやはりモンベル#3ですね。

種類名称重さ(g)
ザックノースフェイス45L Tellus1800
白袋(emergent)α
紺袋(emergentβ
小計1800+γ
総計6808+γ

ザックは使い慣れたノースフェイス45Lです。グレゴリーバルトラ65Lよりも500g軽い。
大峯奥駈に行くことがあれば、ノースフェイスカイルス50L(1200g)を準備したいですね。そうすると、ノースフェイス45Lよりも600g軽くなります。


― 食事と水 ―
                
日程第1日第2日第3日
朝食パンα米α米
昼食①パンパンフルーツパウンドケーキ
昼食②パンα米α米
昼食③パンα米α米
夕食カレーセットカレーセット

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
尾西α米
白米100g
1003666.31.182.73.9
アマノ親子丼22927.72.59.6669
永谷園
味噌汁FD
9.4322.30.74.1777
131.449016.34.396.41449.9

3日目の昼食①はファミマのフルーツパウンドケーキです。チョコレートケーキもおいしいのですが重いので今回はこちら。これは美味しくて比較的食べやすい。これに1本満足チョコバーとソイジョイを追加しました。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
フルーツパウンドケーキ43260

2日目と3日目の昼食②はα米の田舎ごはんです。③はα米のエビピラフ。3日目の昼食③は手をつけませんでした。疼痛のレベルがあがってきて、激痛発作を誘発しそうでした。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
エビピラフ1003618.91.877.31070

1日目と2日目の夕食はカレーセットです。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
尾西α米
白米200g
20073212.62.2165.47.8
アマノ畑のカレー
野菜アマノ
372094.416.210.1870
アマノ 3種の
チーズの
クリームパスタ
291464.47.315.6496
16672115.124.6111.21369.9
種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
総計497.4193446.932.3365.14678.8

2日目の総計は、これにパン(500カロリー)と、クリームグラノーラ(350カロリー)を加えた2784カロリーです。6METS、体重70㎏で計算すると、8時間歩行(3560カロリ-)で不足、10時間歩行(4200カロリ-)ではかなり不足です。
反省すべきです。大峯奥駈では、朝食、夕食、行動食全て再検討が必要です。ウォーキングということでかなり減らしたのが原因です。疼痛がなくなれば、食事もとれるようになると思います。

水場は、羽金山、金山、背振を予定しました。それ以外では雷山避難小屋下の雷山源流、背振-蛤岳間なども容易に水を確保できます。


― 疼痛 ―

今回の疼痛は、繰り返しになりますが、二次性頭痛と考えています。原因は歯根部です。それが、歯科領域なのか、口腔外科領域なのか、耳鼻科領域なのかはわかりません。最初の症状を考えると歯科領域です。
そこから波及した頭痛なので二次性頭痛と考えています。
一次性頭痛を含め、私が考えた頭痛を表記します。

一次性/二次性頭痛頭痛診断考え
二次性頭痛11.6
歯・顎の障害による頭痛
これだと思います
二次性頭痛11.5
鼻・副鼻腔疾患による頭痛
これも考えましたが、CTやMR、Xpで異常はありませんでした
二次性頭痛13.1
三叉神経痛
痛みの性状が異なります。
二次性頭痛7.2
低髄液圧による頭痛
痛み発作の時に横になると楽だったので頭の中をかすめました
二次性頭痛7.4
頭蓋内新生物による頭痛
MRをとってみました
二次性頭痛5.2
頭部外傷による頭痛
違うかなあ
二次性頭痛13.11
持続性特発性顔面痛
こんなのもあります、
除外診断で残ります
一次性頭痛1.1
前兆のない片頭痛
片頭痛の既往はありません
一次性頭痛3.1
群発頭痛
これかなと思いましたが、ロキソニンが著効する群発頭痛はないのではないかと思います
一次性頭痛3.4
持続性片側頭痛
インフリー試しましたが全く効果ありませんでした、
違うと思います
一次性頭痛4.10
新規発症持続性連日性頭痛
否定できません、除外診断でのこります
                    

その後の経過については下記に示します。まだ最終的な結論は出ていません。

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エピローグ
2017/05/12

頭痛山歩という本HPは、患者様の頭痛をお聴きし、その原因や診断、治療など、頭痛について山を歩きながら考えるということが本来の目的でした。

今回、私自身の頭痛と対話(怯えながら)しながら、山を歩くという、本HPの本来の意図とは異なる新しい局面(頭痛に耐えながら山を歩く)を体験し、新たな一歩を踏み出しました。

この頭痛がなかったら行きたかったなあ、奥駈男道!


追記。
2017/05/06:出社。激痛発作(グレード5)、禁を破りロキソニン1錠を2回内服。
2017/05/07:激痛発作頻回、起きていられません(グレード5)。再度、禁を破り、ロキソニン1錠を3回内服。2番の歯根部と上唇の間、丁度、唇と歯肉の間付近にプヨプヨとした柔らかな膨らみを舌で感じるようになりました。そして、著効していたロキソニンは、こめかみの痛みは消失するのですが、ここ数日出現している2番の歯根部から鼻にかけての痛みはとれません。歯科の疾患と思いましたが、耳鼻科を受診することにしました。
2017/05/08:朝一で出社し可及の仕事を行い、午前8時半、受診に備えロキソニン内服しました。○○○○センターの耳鼻咽喉科を受診しました。2番の歯根部付近に膿瘍を形成しています。痛いでしょう、と2番の歯をコンコンと叩かれます。その度に脳卒中で気絶しそうな痛みに襲われました(ロキソニン内服し防御しているにも拘わらず)。歯科を紹介します。歯科では切開されドレーン挿入。歯は悪くありませんとのお話。理由はわかりませんが細菌が入ったのでしょう。
麻酔は一寸痛いですよと言われましたが、何ともありません。切開された瞬間に全ての痛みは消失し、頓服の鎮痛剤も全ての漢方薬も全く内服していません。
痛みはなくなったのですが、 どうして、歯が悪くないのに、菌が入ったのか不明だそうです。X線写真で写らないような骨折があればそこから菌が入った可能性があるそうです。そうなると歯を抜く必要があるそうです。まだまだ。以後の治療はかかりつけの歯科で。。。。

                    

今回、奥駈男道行かなくてよかったなあ、行ったら、どこかで倒れていたかな。
奥駈男道、いつか行きたい。

                    
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奥駈男道-再挑戦へ-
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再挑戦を考えてみる
2017/05/15

大峯奥駈男道。再挑戦を考えてみます。時期は夏です。
駄目なら秋かGWですが、次のGWの5連休は2020年です。2020年のGWまで精神力、体力とともに、体自体がもつかどうか心配です。

現在は、歯根部の疾患も不安がつきまといます。

歯根部の疾患はしばらく治療していきます。あの激痛発作が来ないことが前提です。
激痛発作が来ない限り、ロキソニンには手を触れない。
それまでにいくつかのトレーニングを行なう。肉体的・精神的なトレーニングの通常のトレーニングの他に、痛みへの対応と痛みへの不安の対応です。

脊振はやめておきます。
近場の山を楽しみます。

これらをクリアしたら、真夏の挑戦。

お盆休みを利用します。今年は、扇沢から種池山荘を経て、針ノ木岳、蓮華岳、烏帽子岳のチャレンジルートを予定していました。これは楽しみなので、後にとっておきます。

真夏の大峯奥駈男道。ちょっと、難しいかな。台風もあるし、その前に恒例の北アルプスもあるし。
考えるだけでも楽しい。

                    
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暑さ対策
2017/05/15

奥駈男道。コースは同じ。まだ決定していないので、宿や宿坊、小屋はまだ予約していません。
出来たら、前回行けなかった同じ宿や宿坊、小屋を予約します。2017年8月10日は当直です。当直明けで、お盆休みの混雑の中、吉野まで気持はゆっくりと移動します。吉野まで移動します。吉野に宿がとれたので安心です。
中止となったGWでは、仕事を夕方までやってそれからの移動、宿は吉野にとれず、下市口の宿を予定していました。登山初日、朝一のタクシ-を予約しましたが午前6時も難しい塩梅で登山スタートがかなり遅れそうでした。
今度は朝一で5時には出発できそうです。

第1日目(2017/08/12)と2日目(08/13)は、心技体全てに余裕を残して行動したいと思っています。第3日目(08/14)と4日目(08/15)は勝負。5日目(08/16)は熊野本宮を目指します。

暑さには弱いので、要注意。水分摂取に注意します。

そのためには水分をきちんと摂取する。そのためには十分な水分量を持つ。水分を摂取できるように工夫する。例えば好きな味、飲みやすい味にする。
水分のボリュームを持つためには、ザック自体の重さを再考する。食事摂取でカロリーをきちんと摂る

帽子、服を考える、などでしょうか。

                    

持っていく食料が3日目以降に消費するので、それまでは、重量との戦いです。4日目は水場がないので4-5L必要なのかもしれません。脊振ウォーキングで4Lをザックに持つ訓練をしましたが持てました。

                    
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衣類/再考
2017/05/15

寒くないのでフリースとナノパフを両方持っていく必要はありません。古いナノパフが着心地がいいのでこちらを選択。

長袖シャツは、今持っているのが、ノースフェイスの古いものなので、パタゴニアのキャプリーンライトを調べてみます。現時点ではノースフェイス長袖。

寝る時はキャプリーン4ブルーに着替えます。夜の替え(帰りも使用)のズボンは、夏なので、ショートのズボンに変更すると277g→○gとなります。
。Tシャツ1枚、帰りに使用。

後は、変わりません。雨具はストームクルーザーです。上着は今年購入しましたが、洗濯など難しい。

衣類
種類名称重さ(g)
衣類ナノパフ:宿での防寒304
衣類黄色:超薄手アウター162
衣類キャプリーン4青193
衣類ノースフェイス紺164
衣類ユニクロ半袖97
衣類ズボン277
衣類靴下(short)x280
衣類下着x280
衣類手袋ミズノ48
衣類手袋ノースフェイス37
衣類タオル今治65
衣類タオルストライプ67
衣類スパッツ150
衣類サングラス62
衣類雨具下224
衣類雨具上257
小計2267
                    
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食事/再考
2017/05/15

脊振ウォーキングで、気づいたのが、朝食や夕食が本当に足りるのかどうかです。
この食事は、朝日岳(百名山完登のラストの山)で狐小屋で食べたものと同じです。その時は、狐穴小屋から大朝日岳を登り、古寺鉱泉まで降りました。昼食はパンを持っていきました。狐穴小屋で食べた夕食も同じです。
長距離になるとどうでしょうか。

年月日2017/05/022017/05/032017/05/04201/05/052017/05/062017/05/07
日程前泊第1日第2日第3日第4日第5日
朝食パン精進食α米α米α米
昼食①パン精進食α米α米α米
昼食②パンパンα米α米クリームグラノーラ
昼食③パンなしパウンドケーキパウンドケーキ
夕食精進食精進食α米α米
宿泊方法ビジネスホテル宿坊宿坊宿坊宿坊

1日目、2日目は、パン食、宿坊の食事となります。3日目以降、自分で食事を確保しなければなりません。私は、登山中は4時間毎にお腹がすきます。4時間を目安にエネルギー補給が必要です。
夏です。暑さの中、食べれるでしょうか。最近、真夏に大峯奥駈くらいのあまり高くない山は歩いたことがありません。ほとんど北アルプスか北海道の山でした。

奥駈男道の後半はα米の食事が主体となります。
昼食①、②はα米と繊維のグラノーラです。 当初は、昼食③に組み入れていたグラノーラセットはばらしました。昼食①と②に組み込んだ繊維のグラノーラと他3種、計5種類のグラノーラを組み合わせたグラノーラセットの利点は、1)高カロリー、2)軽い・コンパクト、3)栄養のバランスがよく、ビタミン、カルシウム、食物繊維も豊富などです。欠点は1)美味しくない、2)パサパサして乾燥している。
美味しくない点は我慢します。パサパサした感じでは登山中に水分なしに食べることはできません。

長時間歩行となる第3日、第4日の朝食、昼食①、②、③、夕食をみてみましょう。

第3日、第4日の朝食です。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
尾西α米
白米100g
1003666.31.182.73.9
アマノ親子丼22927.72.59.6669
永谷園
味噌汁FD
9.4322.30.74.1777
131.449016.34.396.41449.9

3日目と4日目の昼食①はα米の田舎ごはんまたは五目ごはんです。但し、昼食①②③の順は決定していません。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
田舎ご飯1003626.61.680.2789
ブランの力
いちじくと繊維
301282.35.620118
小計1304908.97.2100.2907

3日目と4日目の昼食②は、当初はα米のエビピラフでしたが、体調の良くなかった背振では食べれませんでした。白飯にふりかけとごま塩にしてみます。トレーニングでまずければ五目ごはん試してみます。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
尾西α米
白米100g
1003666.31.182.73.9
BalanceUp
ブランの力
アーモンドと繊維
301242.65.120.070
小計1304908.96.2102.773.9

3日目と4日目の昼食③はファミマのパウンドケーキです。これは美味しくて比較的食べやすい。前述のグラノーラ3種。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
パウンドケーキ63260
                    
種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物食物繊維
BalanceUp
玄米グラン
メープルくるみ
301392.75.820.22.2
BalanceUp
玄米グラン
はちみつレーズン
301411.96.320.12.1
BalanceUp
フルーツ
グラノーラ
301332.35.220.32.3
904136.917.360.66.6

3日目と4日目の夕食はカレーセットです。白飯を150gにしてみました。クリームシチューとカルパスを加えました。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
尾西α米
白米150g
1505499.451.65124.055.85
アマノ畑のカレー
野菜アマノ
372094.416.210.1870
アマノ 3種の
チーズの
クリームパスタ
291464.47.315.6496
クリームシチュー21.51043.55.210.9546
カルパス
セブン
60298
297.5130621.7530.35163.451917.85

総計です。

種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
総計841.9344966.8579.15553.054387.65

行動食として①クリームグラノーラ、②SoyJoy、③一本満足チョコレートバーSoyJoy、④ポテトチップスを二組用意しました。1組は、最終日の2番目の昼食です。
もう一組は非常用ですが、この中のチョコバーとソイジョイは3日目の釈迦ヶ岳前で食べたいと思います。3日目と4日目の単純な総計は3449カロリーです。6METSで体重70㎏で10時間歩行では4200カロリーです。3日目は行動食②と③を加え、4日目はポテトチップスを加え、3700-3800カロリーです。

                    
種類重さカロリー蛋白脂質炭水化物Na(mg)
①クリームグラノーラ
レモン1袋2枚
361752.29.422.063
②SoyJoy
プレーン
301314.46.515.6
③一本満足
チョコタルトバー
411863.08.924.9
④チップスター
うすしお
502643.014.829.9148
                    

グラノーラセット(5組使用した場合)のカルシウム、鉄、ビタミンを示します。

グラノーラセットは、鉄やCa、ビタミンの食事摂取基準(1日量)に到達します。あくまで数値上です。

種類カルシウム(mg)鉄(mg)Vit A(μg)Vit B1(mg)Vit B2(mg)Vit B6(mg)
グラノーラセット116712.4876-22882.332.672.52
1日当たりの
日本人の
食事摂取基準
50-69歳、男性
7007.58501.31.51.4
種類Vit B12(μg)Vit D(μg)Vit E(mg)ナイアシン(mg)葉酸(μg)パントテン酸(mg)
グラノーラセット4.57.28-15.113.0-15.727.345010.4
1日当たりの
日本人の
食事摂取基準
50-69歳、男性
2.45.56.5142405

5日目の朝は、α米(白飯)にリフィルうどん、昼食①はα米五目飯、昼食②は非常食セット(①クリームグラノーラ、②SoyJoy、③一本満足チョコレートバーSoyJoy、④ポテトチップス)です。これで全て完食です。

その他にアミノバイタルや珈琲粉末などを準備します。

とらぬ狸の皮算用

                    
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重量など/再考
2017/05/15

衣類は上述しました。
食器や水筒など、これ以上、減らすことができません。大峯奥駈では、脊振ウォーキングに新しいプラティパス2L(30g)が加わります。
ジェットボイルは容量をとり、少し重いのですが、クッカーを考えると僅かな差です。お湯の沸くスピードが断然早いです。110缶でも500mlのお湯が22回沸かせるのでガス容量を考える必要がありません。
食器(小)は計量カップです。

                    
食器・水筒
種類名称重さ(g)
水筒Platypus(2L)36
水筒Platypus(1L)26
水筒Platypus(1L)26
水筒Nalgen(500ml)89
水筒Nalgen(500ml)89
浄水器61
食器器(大)126
食器器(小)113
コンロマイクロモ374
ガスカートリッジ194
食器スプーン11
食器漏斗23
小計1168

次は食料の重さです。食料の各論は上述しました。

食事
種類名称重さ(g)
α米(朝夕)白米8食800
α米(行動食①)田舎ごはん2食200
α米(行動食②)五目飯食115
クリームパスタ2食(アマノフーズ)58
クリームシチュー2食(アマノフーズ)43
親子丼2食(アマノフーズ)62
味噌汁2食(ドライフーズ)30
カレー2食(アマノフーズ)76
パウンドケーキ2個(ファミマ)126
クリームグラノーラ2袋77
ソイジョイ1個+1個64
一本満足チョコ1個+1個84
ポテトチップス2個100
グラノーラ5個2セット300
リファイルうどん1個70
小計2205

居住・電器
種類名称重さ(g)
シュラフモンベル#7400
マットモンベルツエルトS250
ヘッドライトティカ47
ライトペンライト25
ラジオsony55
単4乾電池8本88
カメラ電池olympus43
単3乾電池4本92
GPSガーミン116
小計1116

ザックは軽量のものを準備します。これだけで-600gです。

種類名称重さ(g)
ザックノースフェイス
カイルス50L
1165
白袋(emergent)α
紺袋(emergentβ
小計1165+γ
総計7921+γ

5月に予定した大峯奥駈と8月予定で重量を比較しますで使用予定の道具とその重さを示します。その差1㎏は、ザックとシュラフの差になります。

重量比較
項目中止したGWの奥駈夏の奥駈の予定
衣類24142267
食器・水筒12091168
食料20522205
居住・電器14581116
その他18001165
89337921

白袋αは、ティッシュペーパー、軟膏、絆創膏、薬剤、靴紐の予備など。青袋βは寝る時に枕元に置く薬剤やペンライトなどです。

さて、どうなることやら。

                    
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体調戻らず、ヤヤ復活
2017/07/10

2017年6月2日に左上2番の歯の治療が終了して1ヶ月になります。
治療が終わった瞬間から、同部位から左顔面の圧迫感、異和感続いています。痛みはありません。5月2日に歯科でペインクリニック受診を勧められましたが、今こそ心療内科受診が必要です。
治療は終了しても、再発のリスクがあり、左顔面の圧迫感、異和感から、いつも不安感がつきまとい、walkingや里山歩きすらできません。
この状況は、頭痛外来をしていた頃、原因不明の顔面の疼痛を訴えてみえていた患者様と同様です。

6月には、山を歩けたのは、約4時間歩行の二百名山を2座のみです。帰宅のwalkingも、できませんでした。
お酒を欲しない、お風呂やシャワーも億劫。つまり、温かいのは嫌ということでしょうか。
このままでは、奥駈男道、夏山、秋山難しい。
6月24日土曜日、雷山ではなく、雷山神宮まで往復4時間、歩みは遅いです。
6月26日、会社が終わり、帰り平田ナーセリーに寄ってみました。会社は17時に終わり着替えて15-20分のところにあります。平田ナーセリーは18時までなので20-30分みることができます。
バラ害虫の薬剤を買って帰りました(まだ使っていません)。
帰りにこんな便利なところがあるなんて。今まではバラにそんなに興味がなかったので1年に2度位寄っているだけでした。
6月27日から、左顔面の圧迫感、異和感はあるのはあるのですが、ネガティブな思考になりません。もともとポジティブではないのですが少し戻った感じです。
6月2日の治療終了後、嫌な感じがしなかったのは、6月11日三瓶山登山の時だけです。6月27日以降はそれに近い状態です。 家まで10㎞歩いて帰れました。ビールも飲めました。
7月に入り、高祖山に2回登れました。調子はあがってきています。 7月の3連休で信州の二百名山を考えています。どうでしょうか。一歩一歩、前に進みたいと思います。
いよいよ、その後、今年最大の目玉というより、一生の思い出となるであろう、雲の平が待っています。一寸、大げさ。
毎年、同じようなこと言っています、槍、劔、穂高、白馬、大キレット、ジャンダルム、、、、、、、、、、

                    
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心身充実せず、奥駈中止
2017/08/12

2017年8月10日、大峯奥駈中止しました。
現在の心身の状態では大峯奥駈の修業を中止せざるを得ません。
理由をあげれば、いくつもあげられます。
①最大の山場である3、4、5日目の天気予報が悪い事。
②エスケープルートとして、前鬼小仲宿坊の宿泊を思いついてしまったこと。これにより、通しで歩かなくても、分けて歩く方法がみつかったこと。
③前鬼宿坊は田中陽気さんが泊まったところでもあります。
④今年の山旅のために購入した登山靴が雲の平で破損し修理に出したこと。
⑤ザックの重さが水分なしで10.8㎏になってしまったこと。
⑥暑さに弱い事。
⑦虫が嫌な事。
⑧血尿になった事。
⑨当直明け 忙しかった
⑩なにより、気持ちが挑戦という気持ちになりません。自信がないのでしょうか。重量、距離、天候、体調、、、、

ザックも軽くしたのに、どうして10.8㎏にもなるのでしょう。
カメラを一つにして、ナルゲン水筒を一つにして、ナノパフをやめて、ツエルトをピコシェルターにしたにも関わらず。

                    
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10.8kg 検証
2017/08/10

ザックも軽くしたのに、どうして10.8㎏にもなったのでしょう。

カメラを一つにして、ナルゲン水筒を一つにして、ナノパフをやめて、ツエルトをピコシェルターにして、手袋を一つにしたにも関わらずです。
10.8㎏を検証してみます。

現在、検証中です。青袋、白袋、白袋(長)、薬ビニール袋の重さも測ってみます。ついつい、つまらないものを増やしてしまった。

衣類
種類名称重さ(g)
衣類黄色:超薄手アウター162
衣類アイスブレーカー200x2
衣類アイスブレーカー150
衣類モンベル半袖
衣類ズボン277
衣類靴下(short)x3120
衣類下着x280
衣類手袋ミズノ48
衣類タオル水色
衣類タオル厚手
衣類スパッツ150
衣類サングラス62
衣類雨具下224
衣類雨具上257
小計

ナノパフを持っていかないことにしたので僅かですが軽くなっている筈です。タオルを厚手のものを2枚にしたのは失敗です。

                    
食器・水筒
種類名称重さ(g)
水筒Platypus(2L)36
水筒Platypus(2L)
水筒Platypus(1L)26
水筒Platypus(1L)26
水筒Nalgen(500ml)89
浄水器61
食器器(大)126
食器器(小)113
コンロマイクロモ374
ガスカートリッジ194
食器スプーンx222
食器漏斗23
小計

ナルゲンを一つにしたので減量しています。スプーンを2個にしたのは失敗。

食事
種類名称重さ(g)
α米(朝夕)白米8食600
α米(行動食①)白2食200
α米(行動食②)山菜飯食x2230
クリームパスタ2食(アマノフーズ)58
クリームシチュー2食(アマノフーズ)43
親子丼2食(アマノフーズ)62
味噌汁2食(ドライフーズ)30
カレー2食(アマノフーズ)76
パウンドケーキ2個(ファミマ)126
オレンジケーキ2個(H)
クリームグラノーラ2袋77
ソイジョイ1個+1個64
一本満足チョコ1個+1個84
グラノーラ5個2セット300
リファイルうどん1個70
天然酵母パン2個
小計

居住・電器
種類名称重さ(g)
シュラフモンベル#7400
ツエルトピコシェルター
ヘッドライトティカ47
ライトペンライト25
ラジオsony中
単4乾電池10本110
カメラ電池olympus
単3乾電池4本92
GPSガーミン116
小計

これは殆んど変わっていません。

種類名称重さ(g)
ザックノースフェイス
カイルス50L
1165
白袋(emergent)α
紺袋(emergentβ
小計1165+γ
総計○+γ

結局、ここに出てくる分はあまり変わっていません。非常食の飴、青袋、白袋、薬剤の重さでしょうか。水なしでは、10㎏以下、出来たら8㎏以下にしたい。

奥峰を通す場合、替えの登山靴下を一つにする、タオルを一つにする、GPSを持っていかない、これだけで400g減ります。兎に角、減量したい。

2度も中止したのですから、私自身に何かの問題があると思います。
1度目は体調が悪すぎた。2度目は、出発数日前に、前鬼小仲宿坊におりるエスケープルートを思いつき、雲の平・高天ヶ原からの心身の回復・登山靴の損傷などが尾を引き、チャレンジする気持ちが萎えてしまった。
奥峰を通す前に、前鬼小仲宿坊で、北部&南部に分けて歩いてみるのも一つの方法かもしれません。

北部だけを歩くと食器と食料は必要ないし、水筒も通常通りでよいのです。南部だけでも、若干ですが重量は減るでしょう。
私は3泊4日までしか歩いたことがない。4泊5日になった場合の後半のエスケープルートがはっきりしない。ない?

吉野から熊野まで歩きたい気持ちと理由はあるのですが、一旦、中止して、自分の心身の動きを眺めたいと思います。

                    
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三度目の正直vs二度あることは三度ある
2017/08/18

懲りずに挑戦へ。但し、前半(北)、後半(南)に分けることも考えています。つまり一つは明らかなescape routeを確保しました。
重量は絞ります。シュラフはモンベル#7でいいのでしょうか。ナノパフ復活させました。食料減らしました。

衣類
種類名称重さ(g)
衣類ナノパフ:宿での防寒304
衣類黄色:超薄手アウター162
衣類アイスブレーカー200茶212
衣類アイスブレーカー200黒221
衣類ズボン277
衣類靴下(short)x280
衣類登山靴下x1137
衣類下着x280
衣類手袋ミズノ48
衣類タオル水色78
衣類タオル今治67
衣類スパッツ150
衣類サングラス62
衣類雨具下230
衣類雨具上(黄)297
小計2405

雨具上(青)は333g、キャプリーン4は193g。ですが、却下。

                    
食器・水筒
種類名称重さ(g)
水筒Platypus(2L)36
水筒Platypus(2L)x260
水筒Nalgen(500ml)89
浄水器61
食器器(大)126
食器器(小)113
コンロマイクロモ374
ガスカートリッジ194
食器スプーンx111
食器漏斗23
小計987

Nalgen水筒を1本にし、1L水筒2個を2L水筒1個に変更(計2L水筒3個)

食事
種類名称重さ(g)
α米(朝夕)白米5食500
α米(行動食①)白2食200
α米(行動食②)田舎飯食x2230
クリームパスタ2食(アマノフーズ)58
クリームシチュー2食(アマノフーズ)43
親子丼2食(アマノフーズ)62
味噌汁2食(ドライフーズ)30
カレー2食(アマノフーズ)76
クリームグラノーラ2袋77
ソイジョイ1個+1個64
一本満足チョコ1個+1個84
グラノーラ5個2セット300
リファイルうどん1個70
天然酵母パン2個164
小計1958

オレンジケーキとパウンドケーキを中止、天然酵母パンの分だけ重くなっています。クリームグラノーラまずいので、何か美味しいのを探します。

居住・電器
種類名称重さ(g)
シュラフモンベル#7400
ツエルトピコシェルター126
ヘッドライトティカ47
ラジオsony中99
単4乾電池8本88
カメラ電池olympus2個50
カメラolympusT3211
小計1021

検証:紺袋。ここにはラジオ、ヘッドライト、電池、消毒・消臭のpaperが入ります。g

検証:白袋。ここには、ティッシュ、予備の靴ひも、テーピング、軟膏類が入ります。g

検証:ビニール袋。ここには薬剤、アミノサン製剤、インスタントコーヒーが入ります。g

検証:free袋。ここにはmap等が入ります。g

種類名称重さ(g)
ザックノースフェイス
カイルス50L
1165
白袋α
紺袋β
ビニール袋β
free袋β
衣類2405
食料1958
食器・水筒987
居住・電器1021
総計7536+γ

傘、忘れました。総計、8.5㎏にしたい。1日目は水分2.5L、パン5個。

                    
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奥駈男道-準備編-part2
2017/11/02

2017年5月、8月と失敗した大峯奥駈男道。2018年再挑戦したいと思います。
失敗の原因は、私は3泊4日までの山旅しかしたことがなく、4泊5日の経験がないことだと思います。後は、年々、心身が衰えていることです。
難しいかもしれませんが、再挑戦を考えます。

                    
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奥駈男道 2018版
2018/03/26

検討中 2018/03/24-25の脊振テント泊訓練をへて荷物を再考中です。食べ物は食べることができるように考えを改めました。

衣類
種類名称重さ(g)
衣類ナノパフ:宿での防寒304
衣類黄色:超薄手アウター162
衣類アイスブレーカー200茶212
衣類アイスブレーカー200黒221
衣類ズボン277
衣類靴下(short)x280
衣類登山靴下x1137
衣類下着x280
衣類手袋ミズノ48
衣類タオル水色78
衣類タオル今治67
衣類スパッツ150
衣類サングラス62
衣類雨具下230
衣類雨具上(黄)297
小計2405
                   
食器・水筒
種類名称重さ(g)
水筒Platypus(2L)36
水筒Platypus(2L)x260
水筒Nalgen(500ml)89
浄水器61
食器器(大)126
食器器(小)113
コンロマイクロモ374
ガスカートリッジ194
食器スプーンx111
食器漏斗23
小計987
食事
種類名称重さ(g)
α米(朝夕)白米5食500
α米(行動食①)白2食200
クリームシチュー2食(アマノフーズ)43
親子丼2食(アマノフーズ)62
味噌汁2食(ドライフーズ)30
カレー2食(アマノフーズ)76
クリームグラノーラ2袋77
ソイジョイ1個+1個64
一本満足チョコ1個+1個84
グラノーラ5個2セット300
リファイルうどん1個70
天然酵母パン2個164
チョコケーキ2個(ファミマ)192
ポテトチップス2個100
カルパス2個(セブン)120
小計1958

オレンジケーキとパウンドケーキを中止、天然酵母パンの分だけ重くなっています。クリームグラノーラまずいので、何か美味しいのを探します。

居住・電器
種類名称重さ(g)
シュラフモンベル#7400
ツエルトピコシェルター126
ヘッドライトティカ47
ペンライト25
ラジオsony中99
単4乾電池8本88
カメラ電池olympus2個50
小計1021

検証:紺袋。ここにはラジオ、ヘッドライト、電池、消毒・消臭のpaperが入ります。g

検証:白袋。ここには、ティッシュ、予備の靴ひも、テーピング、軟膏類が入ります。g

検証:ビニール袋。ここには薬剤、アミノサン製剤、インスタントコーヒーが入ります。g

検証:free袋。ここにはmap等が入ります。g

種類名称重さ(g)
ザックノースフェイス
カイルス50L
1165
白袋α
紺袋β
ビニール袋β
free袋β
衣類2405
食料1958
食器・水筒987
居住・電器1021
総計7536+γ

傘、忘れました。総計、8.5㎏にしたい。1日目は水分2.5L、パン5個。

                    
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奥駈男道 2018年5月中止
二度あることは三度ある
2018/05/02→2018/05/10更新

弥山の小屋で前日に翌日のお弁当を2食分もらえることがわかりました。3日目の朝食と昼食を準備する必要がなくなりました。
準備をみなおします。

衣類
種類名称重さ(g)
衣類ナノパフ:宿での防寒304
衣類黄色:超薄手アウター162
衣類アイスブレーカー200茶212
衣類アイスブレーカー200黒221
衣類ズボン277
衣類靴下(short)x280
衣類登山靴下x1137
衣類下着x280
衣類手袋ミズノ48
衣類タオル水色78
衣類タオル今治67
衣類スパッツ150
衣類サングラス62
衣類雨具下230
衣類雨具上(黄)297
小計2405
                   
食器・水筒
種類名称重さ(g)
水筒Platypus(2L)36
水筒Platypus(2L)x260
水筒Nalgen(500ml)89
浄水器61
食器プラスチック(大)
食器プラスチック(小)
コンロマイクロモ374
ガスカートリッジ194
食器漏斗23
小計
食事
種類名称重さ(g)
α米(朝夕)白米4食500
α米(行動食4日目)五目1食200
クリームシチュー2食(アマノフーズ)43
親子丼2食(アマノフーズ)62
味噌汁2食(ドライフーズ)30
カレー2食(アマノフーズ)76
クリームグラノーラ2袋77
ソイジョイ1個+1個64
一本満足チョコ1個+1個84
グラノーラ5個2セット300
無印バナナバーム(5日目)1個164
チョコケーキ2個(ファミマ)192
ポテトチップス2個100
カルパス2個(セブン)120
小計

弥山小屋で3日目の朝食と昼食を頂けることが判明し、2食分軽くなっています。3日目の夜、4日目の朝と夜、5日目の朝に食事を準備します。

居住・電器
種類名称重さ(g)
シュラフモンベル#7400
ツエルトピコシェルター126
ヘッドライトティカ47
ラジオsony中99
単4乾電池8本88
カメラ電池olympus2個50
小計1021

検証:紺袋中止、ジブロックに。ここにはラジオ、ヘッドライト、電池、消毒・消臭のpaperが入ります。g

検証:白袋。ここには、ティッシュ、予備の靴ひも、テーピング、軟膏類が入ります。g

検証:ビニール袋。ここには薬剤、アミノサン製剤、インスタントコーヒーが入ります。g

検証:free袋。ここにはmap等が入ります。g

種類名称重さ(g)
ザックノースフェイス
カイルス50L
1165
白袋α
ビニール袋β
free袋β
衣類2405
食料
食器・水筒987
居住・電器1021
総計7536+γ

残念ながら、ヤマテン、5月3日、4日の悪天候(吹雪)を予報しました。中止します。三吉野桜庵、今回はキャンセル料50%。やむなし。また来年、再来年のチャレンジとなりますが体力、精神力、身体が持っているかどうか不安です。

天候が回復した連休後半に蒜山にテント泊で登りました。その時に得た反省点を示します。
①衣類で、アイスブレーカー150を試しました。
②食器でプラスチックを試しました。全く問題ありません。減量に成功。
③食事で、カルパスは脂質が多すぎて難しいようです、行動食のα米もこってり系は避けた方がよさそうでした。 ④天候は5日間予想することは困難です。今回のGWで、3-4日の悪化、気温の低下は当たりました。しかし、7日の曇りは最悪の天候となっていました。中止は結果的には正解だったと思います。
⑤エスケープルートで玉置神社からのルートも考えた方がよいのではないでしょうか。 ⑥もちろん、予備日があればかなり楽かもしれません。

                                         
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奥駈男道-心技体知編
2017/11/08

2017年11月の訓練データを示します。

訓練内容時間など
2017年11月約10㎞ウォーキング(自宅までの帰路を利用)約2時間を5回
2017年11月高祖山登山約2時間30分
2017年11月大杉谷約8時間
2017年11月の訓練時間約20時間30分

大峯奥駈を目指し、2017年12月の訓練データを示します。

訓練内容時間など
2017年12月約10㎞ウォーキング(自宅までの帰路を利用)約2時間を3回
2017年12月30日高祖山登山約2時間30分
2017年12月の訓練時間約8時間30分

約20日にも及ぶ気道系の炎症、尿管結石と体調は最悪で、歩行もままなりませんでした。2017年は体調は良くありませんでした。
12月の月間歩行時間は、記録をとり始めてから過去最低です。


大峯奥駈を目指し、2018年1月の訓練データを示します。

訓練内容時間など
2018年1月2日約10㎞ウォーキング(平田ナーセリーまで)約2時間
2018年1月約10㎞ウォーキング(自宅までの帰路を利用)約2時間を5回
2018年1月3日雷山井原山周回約9時間
2018年1月7日十坊山・浮岳・女岳約7時間
2018年1月20日二丈岳・女岳・浮岳・十坊山約7時間
2018年1月の訓練時間約35時間

年末の12月30日に高祖山に登ることができました。
年が明けて、快晴の1月2日に平田ナーセリーまで歩行(会社から自宅までの逆コースに相当)しました。バラの剪定ばさみ購入のためです。初売りでお得でした。
1月3日まで雷山ピストンを予定しました。天候もよく、雷山頂上で、雷山-井原山周回コースに変更しました。ラフな気持ちで足のケアなどせず、登山ソックス、登山靴を履きました。9時間かかりました。調子が良い時よりも1時間余計にかかりました。
歩行では足裏のマメ、左膝の大腿二頭筋腱付近の痛みが出ました。殆んど1ヶ月動いてなかったので、良い教訓となりました。マメ予防のケア、膝のケアなど重要な事がわかりました。今年は、大峯奥駈までの訓練は昨年よりも軽めに行う予定です。


大峯奥駈を目指し、2018年2月の訓練データを示します。

訓練内容時間など
2018年2月雷山頂上の下約7時間
2018年2月約10㎞ウォーキング(自宅までの帰路を利用)約2時間を5回
2018年2月の訓練時間約17時間

2月4日朝、起きてみるとうっすらと雪化粧。雪の雷山を目指しました。
清賀の滝を越え、山道に入ると、雪道になってきました。凍った地面や氷の上に数㎝の積雪です。滑りやすい。頂上の下で、下山が難しくなるかなあと考え、あっさり下山。長年、履いている靴なのにどうも右足との相性が悪い。
シリオの靴が好きだったのですが、○○スポーツになく、勧めに応じて、AKUの靴を購入。最初から相性が悪かったのです。
ケアが必要になり、勉強になりました。次に購入する時は、時間の余裕をもってよく考えたいと思います。


大峯奥駈を目指し、2018年3月の訓練データを示します。

                                                      
訓練内容時間など
2018年3月高祖山登山約2時間30分
2018年3月古墳往復約2時間
2018年3月約10㎞ウォーキング(自宅までの帰路を利用)約2時間を2回
2018年3月4日筑前深江駅-荒川峠-河童岳-羽金山-雷山-井原山-周船寺縦走約12時間
2018年3月18日周船寺-洗谷コース-井原山-周船寺周回約8時間30分
2018年3月24-25日脊振1泊2日約21時間
2018年3月の訓練時間約50時間

3月4日、12時間コースのwalkingを行いました。寄り道はしなかったのに、去年と同じ時間がかかりました。
3月18日、1年振りに洗谷コースを歩きました。雨上がりだったので水量がやや多く、徒渉(10回以上)するのに難渋することがありました。ロープ場は7カ所くらい。約2時間の洗谷を楽しみました。
少し、慣れてきたので、自分なりに名前をつけていくことにしました。
先ず、滝に名前を付けることにしました。三股の滝、三尋の滝、三段の滝(こちらは正式名称は二段の滝だそうですが、三段にみえるので)です。チャンスがあれば、増やしていきます。

3月24-25日、周船寺-井原山-三瀬峠-金山-椎原峠-脊振山(テント泊)-蛤岳-坂本峠-七曲峠-九千部山-基山-JR原田駅の縦走を行ないました
脊振山は15-20cmの積雪がとけておらず難渋しました。朝は氷が張ってとても寒かったのです、昨年の経験が生きて、シュラフはモンベルの#3、防寒具もきちんと用意してよく眠れました。暗い中、凍った雪道を歩くのは危険なので、午前6時過ぎから歩き始めました。
この経験を生かして、奥駈男道の道具を再考したいと思います。

                    
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大峯奥駈を目指し、2018年4月の訓練データを示します。

                         
訓練内容時間など
2018年4月約10㎞ウォーキング(自宅までの帰路を利用)約2時間を5回
2018年4月高祖山登山約2時間
2018年4月尾鈴山市房山約11時間
2018年4月の訓練時間約26時間

2018年4月は、九州の二百名山、尾鈴山、市房山登りました。

                    
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脊振縦走 コースタイム整理 2018/03/28

2018年1月から3月にかけて、JR福吉駅から、十坊山、浮嶽、女岳、羽金山、雷山、井原山、金山、脊振山、九千部山、基山、JR原田駅と3区分に分けて歩きました。
昨年は、1度は同じように3区分で歩き、1度は2泊3日で通して歩きました。
振り返って、コースタイムを残します。

3度、福吉駅から原田駅まで脊振山系を歩いたわけですが、全く条件が異なっています。
分割したこともあれば、2泊3日で縦走したこともあります。
積雪していたこともあれば、雷鳴に恐れおののいて足が止まったこともあります。1度目の登山で、道に迷ったことを除くと、全て食事時間や休憩時間、水場の給水時間を含んだ時間となっています。純粋な歩行時間はもう少し短くなります。
次回歩くことがあればこれが参考になります。想定時間も再考する必要があります。
途中の空欄は写真を撮っていなくて、正確な時間がありません。次のところの地点までの時間となります。
歩いた道に違いはありません。

福吉駅から原田駅まで
場所私の想定時間所要時間
2泊3日
2017年5月
3-5日
所要時間
3分割
①2017年
1月21日
②2017年
2月18日
③2017年3月
19-20日
所要時間
3分割
①2018年1月
07日
②2018年3月
04日
③2017年3月
24-25日
GW2泊3日テント泊①福吉駅から
筑前深江駅へ
②筑前深江駅
から周船寺へ
③周船寺から
原田駅へ
1泊2日テント泊
①福吉駅から
筑前深江駅へ
②筑前深江駅
から周船寺へ
③周船寺から
原田駅へ
1泊2日テント泊
福吉駅
十坊山1時間1時間24分1時間18分1時間22分
浮嶽2時間1時間45分1時間35分1時間42分
女岳1時間1時間21分1時間23分1時間17分
荒川峠1時間59分52分53分
羽金山2時間2時間13分2時間05分2時間0分
長野峠1時間45分1時間55分1時間38分
雷山避難小屋45分1時間04分56分
雷山30分22分27分2時間55分
井原山1時間15分1時間24分1時間22分1時間20分
三瀬峠1時間30分1時間20分1時間29分1時間24分
金山1時間45分1時間59分1時間45分2時間02分
椎原峠2時間1時間55分2時間03分2時間02分
脊振山1時間30分1時間32分1時間26分1時間27分
蛤岳1時間30分1時間21分1時間31分1時間37分
坂本峠1時間1時間14分1時間22分1時間26分
九千部山2時間30分2時間30分2時間18分2時間19分
大峠45分1時間01分
柿原峠45分53分
基山1時間30分1時間50分3時間01分3時間27分
原田駅1時間50分1時間25分1時間08分
                    
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奥駈男道-番外編part2-小辺路編

小辺路を歩こう
2018/05/12

奥駈男道を計画し、既に3回中止しています。
2018年GW、中止した奥駈男道の代わりに登った蒜山(下蒜山登山口でテント泊)、金剛山を歩きました。
金剛山からの展望台から奥駈の山々がみえました。
伯母子岳、よくわかりませんでしたが、展望台からの俯瞰図には伯母子岳の記載がありました。次は伯母子岳かなあ。
高野山からのアクセスするようですが、公共の交通手段などは殆んどないようです。
しかし、調べてみると高野山から熊野本宮大社までの熊野古道(小辺路)の途中に伯母子岳があるそうです。これは行くしかありません。

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小辺路のルート
2018/05/12

                    

コースを紹介します。和歌山県観光連盟の熊野古道小辺路街道マップを参考にします。

第1日(高野山から伯母子峠)
高野山(千手院橋バス停-薄峠55min
-高野龍神スカイライン合流1hr30min
-水ヶ峰分岐25min
-大股バス停2hr05min
-萱小屋跡45min
-伯母子峠1hr35min
7hr15min

第2日(伯母子峠から観音堂)
伯母子峠-上西家跡45min
-伯母子岳登山口1hr40min
-三十丁の水1hr20min
-三浦峠40min
-西中バス停2hr10min
-柳本橋2hr
-観音堂1hr40min
10hr15min

第3日(観音堂から熊野本宮大社)
観音堂-果無峠25min
-七色分岐1hr
-八期尾バス停42min
-熊野本宮大社1hr23min
3hr30min

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小辺路 テント2泊3日-装備編-
2018/05/12

衣類
種類名称重さ(g)
衣類ナノパフ:宿での防寒304
衣類黄色:超薄手アウター162
衣類アイスブレーカー200黒212
衣類アイスブレーカー150154
衣類ズボン277
衣類靴下(short)x280
衣類登山靴下x1137
衣類下着x280
衣類手袋ミズノ48
衣類タオル水色78
衣類タオル今治67
衣類スパッツ150
衣類サングラス62
衣類雨具下230
衣類雨具上(黄)297
衣類スリッパ
小計2338
                   
食器・水筒
種類名称重さ(g)
水筒Platypus(2L)x130
水筒Platypus(1L)x126
水筒Nalgen(500ml)89
食器プラスチック蓋有(大600)78
食器カップ64
コンロマイクロモ374
ガスカートリッジ194
小計855
食事
種類名称重さ(g)
α米(朝夕)白米4食400
α米(行動食2日目)五目1食100
クリームシチュー2食(アマノフーズ)43
親子丼2食(アマノフーズ)62
味噌汁1食(ドライフーズ)15
うどん1食(ドライフーズ)30
カレー2食(アマノフーズ)76
クリームグラノーラ2袋77
ソイジョイ1個32
一本満足チョコ1個42
グラノーラ5個1セット150
チョコケーキ個(ファミマ)96
ポテトチップス2個100
小計1223

居住・電器
種類名称重さ(g)
シュラフモンベル#7696
テント1242
テントシート163
ピロー77
マット273
ヘッドライトティカ47
ライト85
ラジオsony中99
単4乾電池9本99
カメラ電池olympus1個43
小計2824

検証:ジブロックに。ここにはラジオ、ヘッドライト、電池、消毒・消臭のpaperが入ります。g

検証:白袋。ここには、ティッシュ、予備の靴ひも、テーピング、軟膏類が入ります。g

検証:ビニール袋。ここには薬剤、アミノサン製剤、インスタントコーヒーが入ります。g

検証:free袋。ここにはmap等が入ります。g

種類名称重さ(g)
ザックノースフェイス
カイルス50L
1165
白袋α
ビニール袋β
free袋β
衣類2338
食料1223
食器・水筒855
居住・電器2824
総計8405+ザック+γ

水分は1.5㎏以上は持ちません。

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小辺路 小屋・宿利用-装備編-
2018/05/12

熊野古道は相性がよほど悪いのでしょう。
未だ、奥駈には到達していません。
今回、計画した小辺路修行を前に左肋骨を骨折してしまいました。計画を変更し、テント泊は中止し、小屋と宿を利用することにしました。
テントが不要となり、食事も宿で食べれる分は不必要になります。

衣類
種類名称重さ(g)
衣類ナノパフ:宿での防寒304
衣類黄色:超薄手アウター162
衣類アイスブレーカー200黒212
衣類アイスブレーカー150154
衣類ズボン277
衣類靴下(short)x280
衣類登山靴下x1137
衣類下着x280
衣類手袋ミズノ48
衣類タオル水色78
衣類タオル今治67
衣類スパッツ150
衣類サングラス62
衣類雨具下230
衣類雨具上(黄)297
衣類スリッパ
小計2338
                   
食器・水筒
種類名称重さ(g)
水筒Platypus(2L)x130
水筒Platypus(1L)x126
水筒Nalgen(500ml)89
水筒タイガー(200ml)112
食器プラスチック蓋有(大600)78
食器カップ64
コンロストーブ118
クッカークッカー125
ガスカートリッジ213
小計755
食事
種類名称重さ(g)
α米(朝夕)白米2食200
α米(行動食2日目)五目1食100
クリームシチュー1食(アマノフーズ)22
親子丼1食(アマノフーズ)36
味噌汁1食(ドライフーズ)15
カレー1食(アマノフーズ)38
クリームグラノーラ2袋77
ソイジョイ1個32
一本満足チョコ1個42
グラノーラ5個1セット150
チョコケーキ個(ファミマ)96
パウンドケーキ個(ファミマ)63
ポテトチップス2個100
小計971

居住・電器
種類名称重さ(g)
シュラフモンベル696
テントシート163
ピロー77
マット273
ヘッドライトティカ47
ライト85
ラジオsony中99
単4乾電池9本99
カメラ電池olympus1個43
小計1582

検証:ジブロックに。ここにはラジオ、ヘッドライト、電池、消毒・消臭のpaperが入ります。g

検証:白袋。ここには、ティッシュ、予備の靴ひも、テーピング、軟膏類が入ります。g

検証:ビニール袋。ここには薬剤、アミノサン製剤、インスタントコーヒーが入ります。g

検証:free袋。ここにはmap等が入ります。g

種類名称重さ(g)
ザックノースフェイス
カイルス50L
1165
白袋α
ビニール袋β
free袋β
衣類2338
食料971
食器・水筒755
居住・電器1582
総計5646+ザック+γ

水分は1.5㎏以上は持ちません。

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小辺路 -挑戦できるでしょうか-
2018/11/28更新-2018/11/12

もはや、何とも表現できません。その後、甲状腺疾患、心疾患にみまわれ、半年が過ぎました。なんとか歩けるようになり、小辺路に行ってみたくなりました。11月上旬は天気は良かったのですが、どうでしょうか。

コースを紹介します。和歌山県観光連盟の熊野古道小辺路街道マップを参考にします。

第1日(高野山から伯母子峠)
高野山(千手院橋バス停-薄峠55min
-高野龍神スカイライン合流1hr30min
-水ヶ峰分岐25min
-大股バス停2hr05min
-萱小屋跡45min
-伯母子峠1hr35min
7hr15min

第2日(伯母子峠から観音堂)
伯母子峠-上西家跡45min
-伯母子岳登山口1hr40min
-三十丁の水1hr20min
-三浦峠40min
-西中バス停2hr10min
-柳本橋2hr
8hr35min

宿は、民宿松乃屋さんを予約できました。素泊まりです。


第3日(観音堂から熊野本宮大社)
柳本橋-観音堂1hr40min
観音堂-果無峠25min
-七色分岐1hr
-八期尾バス停42min
-熊野本宮大社1hr23min
5hr10min

衣類
種類名称重さ(g)
衣類ナノパフ:宿での防寒304
衣類アイスブレーカー200黒212
衣類紺ノースフェイスフリース
衣類ズボン277
衣類靴下(short)x280
衣類登山靴下x1137
衣類下着x280
衣類手袋ミズノ48
衣類タオル78
衣類タオル67
衣類スパッツ150
衣類サングラス62
衣類雨具下230
衣類雨具上(黄)297
小計2338
                   
食器・水筒
種類名称重さ(g)
水筒Platypus(2L)x130
水筒Platypus(1L)x126
水筒Nalgen(500ml)89
水筒タイガー(200ml)112
浄水器61
食器プラスチック蓋有(大600)78
食器カップ64
コンロストーブ118
クッカークッカー125
ガスカートリッジ213
小計816
食事
種類名称重さ(g)
α米(朝夕)白米2食200
α米(行動食2日目)五目1食100
クリームシチュー1食(アマノフーズ)22
親子丼1食(アマノフーズ)36
味噌汁1食(ドライフーズ)15
カレー1食(アマノフーズ)38
クリームグラノーラ2袋77
ソイジョイ1個32
一本満足チョコ1個42
グラノーラ5個1セット150
チョコケーキ個(ファミマ)96
パウンドケーキ個(ファミマ)63
ポテトチップス2個100
小計971

居住・電器
種類名称重さ(g)
シュラフモンベル696
テントシート163
ピロー77
マット273
ヘッドライトティカ47
ライト85
ラジオsony中99
単4乾電池9本55
カメラ電池olympus1個43
小計1538

検証:ジブロックに。ここにはラジオ、ヘッドライト、電池、消毒・消臭のpaperが入ります。g

検証:白袋。ここには、ティッシュ、予備の靴ひも、テーピング、軟膏類が入ります。g

検証:ビニール袋。ここには薬剤、アミノサン製剤、インスタントコーヒーが入ります。g

検証:free袋。ここにはmap等が入ります。g

種類名称重さ(g)
ザックノースフェイスを
カイルス50L
1165
白袋α
ビニール袋β
free袋β
衣類2338
食料971
食器・水筒755
居住・電器1582
総計5646+ザック+γ

水分は1.5㎏以上は持ちません。

2018/11/28 追記。寒くなり、伯母子峠の避難小屋は、外気とほぼ同じような気温のようなので、シュラフを#7を追加、シュラフを2枚重ねることにし、フリースやダウンも厚めのもの変更しました。
しかし、ヤマテンは11月22日夜に吹雪くこと、23日の夜は氷点下7度まで下降を予報しました。
野迫川村のホテルに尋ねてみると野迫川村(標高600m)の気温も氷点下3度で、避難小屋はそこより600m高いので、やはり氷点下7度前後になるのではないかと予想されました。天候は晴れを告げていましたが、残念ですが中止しました。

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小辺路を歩きました
2019/05/07

奥駈男道を計画し、既に3回中止しています。小辺地は2回計画し、それも全て中止しています。
結局、熊野本宮大社は5回中止しているということです。
余程、世界遺産の熊野古道には縁がないのでしょう。
2018年12月に病気が再発しました。病気は山行の前後に起きています。これまで、発作は3回あり、特に7時間以上歩いた後に起きているような気がします。
ルールを作りました。5時間以上歩かない、コースタイムより早く歩かないというふたつのルールです。

元気な頃に計画した2泊3日の小辺路の山旅は、21時間のコースタイム(和歌山県観光連盟の熊野古道小辺路街道マップ)でした。単純に3で割ると7時間になってしまいます。
ルールを守れません。3泊4日にしました。さらに、宿に泊まることにし、荷物を軽くしました。
心臓に負担をかけないために、もう一つ、工夫をしました。
小辺地のルートは、熊野古道ですが、舗装されたアスファルトの道が含まれます。ここをバスやタクシーを利用することにしました。

ルートの紹介をします。前回までは和歌山県観光連盟の熊野古道小辺路街道マップを参考にしていました。
今回は、山と高原地図の熊野古道・小辺路を発見し、このマップを参照します。山と高原地図のマップは北アルプスなどでよく利用し信頼性が高いからです。

第1日(高野山から大股)
高野山(千手院橋バス停)-水ヶ峰分岐4hr35min
-大股バス停2hr10min
6hr45min

第2日(大股から三浦口)
大股-萱小屋跡50min
-伯母子岳1hr55min
-三浦口3hr
5hr45min

第3日(三浦口から柳本橋)
三浦口-三十丁の水1hr15min
-三浦峠45min
-西中バス停2hr15min
-柳本橋2hr20min
6hr35min

第4日(柳本橋から熊野本宮大社)
柳本橋-観音堂2hr10min
-果無峠30min
-八木尾バス停1hr55min
-熊野本宮大社1hr55min
6hr30min

コースタイムで全て5時間を超えています。1日目、3日目、4日目は舗装された道がかなりあるので、バスやタクシーを利用する作戦です。2日目の5時間45分は許容範囲内とします。

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奥駈を あきらめ歩く 小辺路旅(1)
高野山-大股
2019/05/03

世間は10連休だそうですが、4月30日と5月2日は出勤、5月1日は日直でした。
5月2日仕事が終わって大阪へ。ここで1泊。
5月3日午前5時起床。なんばを7時24分に出発。8時44分に高野山到着。
9時45分発の山行きの急行バスを利用し、野迫川観光案内所(ほぼ水ヶ峰分岐)まで歩きません。。山旅は久しぶりなので1日目は軽く行きたいと思っています。
天気は晴れ、気温は上昇しそうです。

10連休のGWで高野山は観光客で一杯です。バスは30分程度で野迫川総合案内所に着く予定でしたが、50分かかり10時35分に到着しました。

ここから出発します。残念なことに舗装された道路がまだ続きます。所々が山道で、ゆっくり歩きます。
2時間弱で12時30分大股に着きました。コースタイム、ピッタリ。
ゆっくり歩くということは、コースタイムと同じということがわかってきました。

ホテルの人が大股まで迎えに来てくれるということでした。
電話してみると、チェックインは15時で今は迎えには来れないということでした。
宿まで約3㎞ 45分間を歩きました。
この日から気候が変わり、夏日になりました。油断していました。北国育ちなので??、暑さには弱いのです。
宿に到着しましたが、まだ部屋には入れないので、宿のレストランで食事をとることにしました。
ハヤシライスとカツカレーがメニューにあり、カツハヤシライスを頼んでみるとOKでした。有難くいただきました。
本日の歩行時間は2時間45分。ゆっくり、コースタイムも守ったし、歩行時間5時間以内、合格でしょう。
今年、はじめて暑いと感じました。暑さにまいって、軽い脱水でしょう。夕方に少し休みました。
簡易心電計で心電図をとってみましたが、脈は58と少し早くなっていましたが不整はありませんでした。

                    

宿は、観光客で一杯です。小辺路、熊野古道、世界遺産で外人さんが多いようです。なにかしら勘違いしているのではと思われるような人達もおられました。
案の定、翌日、三浦口では救急車で二組が搬送されていました。
山はごく普通の1000m級の山ですが、観光とは違います。1日登るだけならまだしも、2-3日は続きますから。

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奥駈を あきらめ歩く 小辺路旅(2)
大股-三浦口
2019/05/04

5月4日。2日目です。5時少し前に起床。宿の前にあった山の神に小辺路の旅の安全を祈りました。
今日は伯母子峠、伯母子岳です、今日がメインでしょうか。そんなことはありません。
宿から大股までバスで送ってくれます。昨日、45分歩いた道は、バスでは5-6分程度です。

8時10分頃から登山開始。最初が登り坂です。赤沼さんは腕を前で組んで歩かれますが、私は短くしたトレッキングポールを後ろで組んで、ゆっくりゆっくりなどと唱えながら歩きます。
こんなにゆっくり歩いたことはありません。最初は登り坂でしたが次第に平坦となり、頭痛、RCVSについて考えました。山旅で頭痛の事を考えたのは久しぶりです。考えていたら、すぐに伯母子岳到着しました。
さして感動もなく、三浦口へ降りました。途中、昨年の台風のため、迂回路という表示があり、そこを下りました。
熊野古道を歩いています。
宿には13時40分到着。歩行時間5時間30分(昼食時間を含む)。コースタイムより15分程度早く、しかも、5時間を少し超えましたが、許容範囲内とします。

                    

人生はじめての民泊です。明日の登山口を確認し、認知症の本をパラパラとめくりました。面白くありません。

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奥駈を あきらめ歩く 小辺路旅(3)
三浦口-十津川温泉
2019/05/05

5月5日。3日目です、今日は三浦峠です。天候は晴れ。熱中症になりたくないので、朝6時に出発しました。
三浦峠を越え、西中バス停まで歩き、そこからは舗装された道路区間はバスに乗る予定です。そうすると歩行時間は4時間程度です。
西中バス停のバスは10時台と14時台の2便です。
しかし、朝6時に出発した時点で、このお馬鹿さん(勿論、私のことですが)は、西中バス停でバスに乗ることを躊躇するのではないかと危惧されました。
自分に甘く5時間以上は歩かないというルールを破ってしまいそうです。

                    

吊り橋を渡り登山口に入ります。古道を三浦峠へ登り西中に下ります。
10時に西中バス停に到着しました。コースタイムとほぼ同じです。
10時台のバスにまにあいましたが、やはりバスに乗ることなく、バスを見送ってしまいました。
心臓は心配ですが、足が4-5時間程度の歩行では全く満足しないようです。今回は大目にみてやることにしました。
柳本橋手前で右折し迂回、明日入る果無峠への登山口を確認し、民宿に到着しました。
余分に2時間程歩きましたが、十津川村の民宿のチェックインは15時からということでした。まだ3時間近くあります。荷物はその付近においてよいとの返事でした。
することもなく、座るところもなく、時間をつぶせそう所もないので、果無集落に行くことにしました。ここまで6時間歩き、既に5時間ルールを破っています。とても残念です。果無集落までは、柳本橋から、登り50分程度かかるようです。
無駄な言い訳をします。果無集落はメインと考えていました。
青空のもと、果無集落、天空の小辺路の景色を眺めたいと考えていました。翌朝がこんなに晴れるとは限りませんから。

                    

果無集落到着。素晴らしい。小辺路を歩き、ついに最果ての天空の場所に辿り着いたと深く感動していました。
おや、なんとなくおかしい、この山道を歩いていたのは私唯一人の筈なのに、高価な重い一眼レフをお持ちの御高齢のカメラマンがぞろぞろおられます。
なんと、そこから2-3分のところにバス停があり、乗用車で簡単に来れるのです。最果て??、唖然、興醒め。

                    

十津川温泉につかり、休みました。ルールを破って8時間も歩いてしまいました。明日は絶対にルールを守ろうと誓いました。

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奥駈を あきらめ歩く 小辺路旅(4)
十津川温泉-熊野本宮大社
2019/05/06

5月6日。4日目、とうとう最終日です、今日は果無峠です。4時30分頃起床。苦節3年、6回目のチャレンジで熊野本宮大社を目指すことができます。
5時30分出発、曇っています。前日、登った果無集落にガスがかかっていました。昨日、登ったことは、間違いではなかったようです。
果無峠へ到着。小辺路の熊野古道は残すところあとわずかです。寂しい。
10時に八木尾バス停に到着、予定通り4時間30分です、コースタイム通り。
熊野本宮まで歩いてもいいのですが、昨日を猛省し、心臓の事を考え、グッと我慢して、タクシ-を利用しました。

熊野本宮を参拝しました。ここが熊野本宮大社。私は、魏志倭人伝に出てくる狗奴国はここと考えていました。来れてよかった。
病気が治るようにお守りを購入し、山に行けなくなった時のために、熊野本宮大社の御朱印帳を購入しました。

                    

小辺路の旅も終わりました。
奥駈を あきらめ歩く 小辺路旅
小辺路来て 奥駈の夢 甦り

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小辺路 宿利用-装備編-
2019/05/08

今回の小辺路旅の装備を振り返ります。

衣類
種類名称重さ(g)使用について
衣類ナノパフ:宿での防寒304
衣類黄色:超薄手アウター162使用せず
衣類オレンジモンベルアウター162着て行きました
衣類アイスブレーカー200黒212宿で着る
衣類アイスブレーカー200紺154着ていきました
衣類アイスブレーカー200黒212宿で着る
衣類アイスブレーカー200紺154着ていきました
衣類秋ズボン277
衣類ベージュ夏ズボン277宿と帰路
衣類靴下(short)x380
衣類靴下x3137
衣類下着x280
衣類手袋ミズノ48
衣類タオル桃78
衣類タオル今治67
衣類スパッツ150使用せず
衣類サングラス62
衣類雨具下230使用せず
衣類雨具上(黄)297使用せず
衣類帽子
小計2338
 

今回の小辺路旅の装備を振り返ります。

                  
水筒など
種類名称重さ(g)
水筒Platypus(1L)x252使用せず
水筒Nalgen(500ml)89
青・プラスチック容器(中)Nalgen(500ml)89非常食を入れる
青・プラスチック容器(小)Nalgen(500ml)89薬剤を入れる
小計

Nalgenの容器は古くなるとよくないので新しいものを購入したほうがよい

青・プラスチック容器(中)には非常食を入れました。青・プラスチック容器(小)には薬剤を入れました。

食事
種類名称重さ(g)
グラノーラ5個1セット150
ビスコ1個150
菓子1個150
小計971

1食分の非常食程度か

検証:紺袋に。ここにはラジオ、ヘッドライト、電池、簡易心電計が入ります。

                    
青袋
種類名称重さ(g)
ヘッドライトティカ47
ラジオsony小99
単4乾電池5本99
カメラ電池olympus1個43
簡易心電計
小計

このラジオも古く買い換えた方がよい。

検証:白袋。ここには、ティッシュ、予備の靴ひも、テーピング、軟膏類が入ります。

                    
白袋
種類名称重さ(g)
ティッシュ3個
ウェットティッシュー1個
テーピングテープ1本
予備靴ひも1本43
軟膏2本
携帯充電器1個
携帯充電電池単3 2本
バンドエイド24枚
漢方薬とPL適宜
小計

検証:オレンジ袋。ここには小さな雑多なものを入れます。g

                    
オレンジ袋
種類名称重さ(g)
財布など
携帯など
小計

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小辺路 宿の紹介編
2019/05/08

小屋利用やテント泊などを考えていましたが、今回、より軽くをめざし、宿を利用しました。
1泊目が、大股近くのホテル野迫川さんです。2泊目が三浦口の民泊岡田さん、3泊目が十津川温泉の民宿やまとやさんです。

宿場所など価格
check in
評価
(優、良、可で評価)
ホテル野迫川大股近く
1泊2食弁当あり
温泉あり
15000
15時。
部屋に入れたのは
14時30分
高いがGWで
仕方ない
民泊岡田三浦口
素泊まり
お風呂有
6000
15時?
部屋に入れたのは
到着した
13時30分
安い、清潔
価格を考えると
優に近いが
民宿やまと屋1泊夕食
朝食と弁当は
頼まなかった
温泉あり
7600
15時
食事普通、
温泉よい
 

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