行雲流水 | 55歳からのハローライフ | 北アルプスから漢方薬を連想 | 雪の雷山 リハ認定臨床医試験 受験顛末記 |
睡眠について ベルソムラの使用経験 | 睡眠について | 耳順の挑戦 認知症専門医試験 受験顛末記 |
2012年8月越後駒ヶ岳に登った時のことです。私とほぼ同じペースで歩かれる男性(五一ワインにお勤めとか、五一さんとお呼びします)がおられました。コースタイムの6-7割位でしょうか。ルートファインディングも同じような考え方で、小高い所に登ってまだ道が続きそうでしたが、そのまま進むと迷いそうな気がしてあっさり元の道に戻りました。
午前8時少し前に、私達2人を含めて数人が越後駒の山小屋に着きました。越後駒の小屋番さんが、「8時にこれだけの人が登ってきたかあ」と少し驚かれていました。下りのペースは五一さんの方が若干早く(登りは私の方が若干早い)、いろいろな山の話をしながら下りました。私が、飯豊山縦走を1泊2日で行った話をすると、「そうか2日で、できるんだなあ」と興味深そうに言われていました。お互いの歩くペースを知ったので、何処の山にはどれくらいの時間がかかるということがはっきりわかったのです。
五一さんは、「次は平ヶ岳に登る」と言われ、いくつかコースを説明してくれました。実は、私もその年の9月末に平ヶ岳に登る予定にしていたので、お話を興味深く拝聴しました。私は、後日、清四郎小屋からピストンで登ったと記憶しています。
枝折峠の登山口まで降り、銀山平温泉に連れて行っていただき、汗を流しました。登山後にこんなに立派な温泉に入ったのは初めてでした。予約していたタクシーをキャンセルし、小出駅まで送っていただきました。小出駅前の美味しそうな地酒のお店に立ち寄りました。ワイン屋さんの五一さんも眼は柔らかく厳しくお酒をみていました。
五一さんは、「行雲流水という山登りのHPをみている」とおっしゃっていました。五一さんと行雲流水のHPのオーナーさんとが歩くスピードがほぼ同じだそうです。帰ってから、時々そのHPを眺めました。
行雲流水、行く雲、流れる水のように自然に移り変わっていくという意味のようです。
私は、脳神経外科一般から始まり、脳神経外科顕微鏡下手術、リサーチ、そして、脳神経外科の顕微鏡下の手術だけでは治せない病があると、脊髄脊椎の手術、末梢神経の治療、脳血管内治療と続けてまいりました。
大脳、小脳、脳幹は頚髄や腰髄などの脊髄があり、そして末梢神経に連なっています。脳動脈瘤などの脳血管疾患には顕微鏡下手術だけでは治療できず、脳血管内治療が必要となることがあります。佐世保で横山先生に一番最初に叩き込まれたのは、頭痛でくも膜下出血を見逃してはいけないということです。当に頭痛診療の第一歩です。この第一歩に始り、横山先生のもとで、顕微鏡下の手術、患者様との向き合い方を学び、福岡で脳血管内治療を学び、釧路や沼津で脊椎脊髄・末梢神経を学び、再び佐世保にもどり頭痛外来を開いた時には、これで自分の長かった脳神経外科診療も一息つくのだなあと感じました。脳神経外科手術、脊髄脊椎手術、末梢神経治療、脳血管内治療とそれぞれたくさんの先生に教わってきました。頭痛診療は、患者様に教えていただきました。不思議な体験でした。しかし、まだまだ学ぶことは多くあり道半ばです。
と思っていたら、なんと、全く興味のなかったリハビリの世界へと、行く雲、流れる水のように自然に辿り着きました。医者っていうのはいろいろなことができるんだなあと驚いています。リハビリについては、まだあまり考えることは多くありません。しかし、リハビリの患者様は様々な病態をお持ちです。様々な病態がいろいろな面で、頭痛診療・頭痛科学と結びついます。
このページでは、そんなところを考えていきます。
昨年(2014年)、鉄板焼きの信玄さんで、【55歳からのハローライフ】というテレビ番組をちょっと見て、話しました。それから、再放送を見ました。美味しい鉄板焼きを食べながら、焼酎を飲みながらだったので、あまりよく覚えていませんが、身につまされるような内容でした。ご覧になったでしょうか。
さて、私の場合の55歳からのハローライフ、いや、ハローワーク ちょっと違いますが同じようなものです。
私の場合、頭痛外来を続けたかったのですが、世の中、そうは上手くいきません。
東野圭吾さん原作の映画【麒麟の翼】をご覧になったでしょうか。映画の中で、新垣結衣さん演じる中原香織さんが「好きな事ばかりやっていて生きていけるほど人生甘くないよ」と恋人をなじります。
今まで、脳神経外科のマイクロサージェリー、血管内治療、脊髄治療、頭痛外来・・好きな事ばかりやってきました。
なるほど。
ということで、リハビリテーションの世界に入ることになりました。
頭痛外来の患者様の年齢層は40代が中心になっています。30代50代20代、と、中(高年)・若者となっています。
一方、回復期リハビリ病棟では、80代から90代が中心となっています。先日、インフルエンザ後の肺炎をこじらせた患者様を感染症科の先生に診ていただきました。超高齢者のインフルエンザ後の肺炎についてのコメントがありました。
なるほど、私の55歳からのハローワークでは、【ゅ】から【ょ】へ転職したのだなあと実感しました。
2015年4月1日からリハビリ専従医となりました。PCで「せんじゅうい」と入力すると「千十い」と最初に出ました。ちょっと笑えます。数字で表すと、1011です。ちょっと変えると1110です。自分の名前に似ています(川口)。
リハビリ専従医となって、頭痛を考える機会がほとんどなくなりました。が、頭痛外来で培ったいろいろなことが役に立っています。例えば漢方。
回復期リハビリの専従医って何をするのでしょうか。よくわかりません。とりあえず、リハビリがスムースに進むように努力する。具体的にはどういうことでしょうか。リハビリには力がいります。気力、体力です。
①気力
②体力
頭痛外来では、株式会社ツムラのパンフレットを参考にしたり、漢方の勉強会などに出席したり、西洋の医療で難しい場合、患者様と一緒に、漢方薬を積極的に取り入れていました。
例えば、気力が足りない場合は補中益気湯、嘔気を伴う頭痛(片頭痛)には呉茱萸湯、痩せた人の頭痛には桂枝人参湯、、、、などなどです。予想以上に効果がありました。
漢方薬は、患者様の症状も大切ですが、患者様の状態・状況も大切も大切となります。
体力に目を向けてみましょう。まず、食事が入らなければなりません。山登りではよくシャリ切れと言われます。
食事をとるには、食欲(気力を含む)が必要になります。次によく噛んで、飲み込む必要があります(嚥下)。消化吸収したら、最後に排泄の必要があります。
全てに漢方は効果がありますが、片頭痛に対するトリプタン製剤のような特効薬ではありません。
もともと、私は漢方に興味は全くありませんでした。漢方は、頭痛外来の患者様から教えていただいたといっても過言ではありません。日本で一番大きな漢方薬の会社は株式会社ツムラです。ここには、百数十種類の漢方薬が登録されています。
覚えるのは難しいのですが、漢字を読むことさえ難しいのです。
例えば、腰痛の人に牛車腎気丸(ごしゃじんきがん)を処方すると、病棟の看護師さんの申し送りでは「うしくるまなんとか」とかいう漢方がでています、とか、単に漢方がでています、と申し送られる始末です。私もそうだったなあと思わず苦笑いしてしまいます。もちろん、今でも、全てを覚えているわけではありません。
折角、百名山を登ったわけですから、北アルプスの山々から漢方薬を、漢方薬の名前から北アルプスの山々を連想してみます。
長くなるかもしれないので、北アルプスの山から漢方薬を、漢方薬の名前から北アルプスの山々を連想するページを作ってみます。お見苦しい点もありますがご容赦ください。
北アルプスの地図を示します。槍ヶ岳、奥穂高岳、剱岳、白馬岳の四つの名山を赤い三角で示しています。
呉茱萸湯 | 五苓散 | 女性三大漢方薬 | |||
長くなりそうなので、各々飛んでもらうことにしました。
2015年4月1日からリハビリ専従医となりました。
リハビリテーション科という科があり、1996年に設立されたそうです。一般的に馴染みはうすいのではないかと思います。
リハビリテーション科には、専従医やら専門医や認定臨床医やら、○○医がたくさんあります。ちょっとやそっとでは理解不能です。
リハビリテーション医学の授業は、私の学生時代にはありませんでしたので、リハビリ専従医になった時に、リハビリテーション科の医師とは、どういうものかイメージがつかめませんでした。
1年経っても同じです。
病態別実践リハビリテーション医学研修会という研修会に出席しているうちに、専門医とは別に(下に?)認定臨床医という制度があることを知りました。どうやら、私にも受験資格があるようです。そぞろ受けたくなってきました。
(専従医とは違うようです。専従医は2日間研修を受けるとなれますが、認定臨床医は試験を受けなければなりません)
私は、これまでに専門医は、脳神経外科専門医、脳血管内治療専門医、脊髄外科専門医、脳卒中専門医、頭痛専門医(指導医)と取得してきました。手術もしなくなったので、脊髄外科専門医と脳血管内治療専門医は、高齢者の自動車免許みたいに返納しました。
リハビリテーション科専門医の受験資格は、大学みたいな訓練施設で”訓練”を受けなければならないそうです。
2016年3月世界卓球選手権準決勝(女子)で、日本と北朝鮮が死闘を繰り広げていました。福原選手、石川選手、伊藤選手らが大活躍していました。相手の北朝鮮のカットマンの人たちは、痩せた体で涙ぐましい奮闘をみせていました。TV解説の宮崎義仁さんのお話では、北朝鮮の選手たちは、朝6時から灰色の施設で凄まじい訓練を行っていたと話されていました。
私はそういう”訓練”を受けていません。私の現在の勤務は8時半から17時まで、お昼休みもきちんとあります。
リハビリテーション専門医の受験資格はないので、リハビリテーション認定臨床医を受験することになりました。
簡単な流れを示します。
2015年、楽しかった夏山&秋山を終えました。例年なら、引き続き、日本頭痛学会の発表ですが、発表なしの日本頭痛学会参加でさびしい限りです。
11月にリハビリテーション認定臨床医の認定審査書類を提出。
12月は、忘年会やらTNT研修会などの参加があり、やっと試験勉強に取り組んだのは12月23日頃からです。
2012年夏の頭痛専門医試験の時は、頭痛の本はあまりなく、緑色の国際頭痛分類第2版と青色のガイドライン位でした。九州の西の端で、頭痛外来を開設し、頭痛に真摯に取り組み、国際頭痛分類やガイドラインで患者様の頭痛を解決できなければ、よく考える、論文などを調べる、というように、毎日患者様より課題を出されているようなものでしたから、試験勉強は全くしないで合格しました。先生は、患者様でした。不思議な体験でした。患者様がネットをみて、遠く熊本、鹿児島から佐世保まで受診にみえたり、対馬や五島から飛行機でみえたりすることもあって、こちらも必死だったのかもしれません。頭痛専門医試験(2012年8月)の試験前、海の日の3連休は、燧ヶ岳、尾瀬ヶ原、至仏山縦走、試験が終わった後も、飯豊山縦走で、試験とは全く別に、山で頭痛を考えました。
今回のリハビリテーション認定臨床医は、全く畑違いです。考え方が違います。例えば、脊髄損傷でC5損傷と言えば、脊髄外科の世界ではC5レベル以下の損傷を考えていましたが、リハビリの世界では、C5までが温存されC6以下が損傷されているのです。レベルの考え方すら、全く違います。
2015年12月19日20日のTNT研修会(栄養の研修会)を終えて、12月23日頃より、購入していた現代リハビリテーション医学という本にやっと目を通しました。右から左へサーッと流れて、全く頭に入りません。困った、困った。さっぱりわかりません、何のことやら?。これが山の本だったりすると手にとるようにわかるのになあ。
本を読む勉強法はやめました。無理です。
試験問題は、公表されています。第20回(2012)から23回(2015)までのリハビリテーション認定臨床医試験問題は、正解も公表されています。専門医試験は150題で、そのうちの100題は認定臨床医試験問題と同じです。追加された50題も同じレベル?のようです。どうやら、専門医というのは、虎の穴の様な訓練と面接試験が重要で、ペーパー試験は、訓練をしなかった認定臨床医試験とほとんど同じレベル?のようです。
試験問題を解いてみることにしました。
五者択一です。100点満点で20点はとれる確率でしょう。(5つのうちから2つ選ぶのもあるのでもう少し厳しいのでしょう)。
第20回のテスト問題は、何の知識もなく、解いてみると、専門医試験は、76/150(そのうち認定臨床医試験53/100)点でした。もちろん、解いただけですので、脳卒中は理解できても、その他はいいかげんです。勉強しなくても5割を超えています。気持の悪い自信が沸いてきました。4月から、回復期リハビリ病棟で働いているので何かしらのプラスになっているのでしょうか。
試験の傾向が、なんとなくわかりました。脳卒中関係の問題は、勉強しなくても間違えることはないほど易しいということ、脊髄の問題は、以前、日本脊髄外科学会専門医でしたので、リハビリの考え方に修正すると対応できるということ、筋肉は単純に覚えなければならないということです。整形外科、神経内科、リウマチ、糖尿病、心臓、肺などの疾患の問題も出題されますが、これらを勉強しようとしても範囲が広すぎて私には無理だということも直感でわかりました。(例えてみると、整形外科や内科のお医者さんに、短期間で脳卒中に関する知識を自分と同じように持つようにということですが、そんなことは無理です。)とりあえず、試験問題を解いた後、ネットで調べて、試験問題に参考となることを書き込んでいきました。範囲が広いので本を購入して勉強するのは私には無理です。ネットはとても便利ですね。
年末年始、お酒は、ほどほどにしました。
年始の山は、1月3日に周船寺から雷山井原山縦走往復8時間のみで我慢しました。
年末にNHKBSのジェラシックパークの恐竜映画を見ながら、第21回試験問題を解き、年が明けて、成人の日には第22回試験問題を解きました。
残っている試験問題は、年末に送ってきた第23回試験問題のみです。
これは大事に2016年1月下旬に力試しのつもりで解くことにしました。
第21回22回とネットで調べて書き込みを加えていく作業を繰り返しました。とても恥ずかしい話ですが、学問・サイエンスというレベルではありません。
いくつかの特徴がわかりました。
①同じ問題や類似した問題が多数出題される。つまり、リハビリテーションの試験は、過去問が大事ということです。
②誤りを1つ選べという問題では、圧倒的に1が正答の事が多い。
これは試験時間との関係があるのでしょうか。1で答えがつくと次に早く進めるという配慮だと思います。誤りを1つ選べというタイプの問題では、わからなかったら1を選べばよいということ。一寸、笑えます。
③選択肢に、××のことがある、というのは正文です。
④文章題の中には、その文章の中に答えが隠れていることがある。
⑤出る順序が一定している、例えば、総論、筋肉、脳卒中、、、など。流れがつかめる。
仕事をしていますから、なかなか平日は勉強できません。余裕がある時に、朝、少し早く行って勤務前に20-30分、お昼休みに30分位、ネットで調べた試験問題の書き込みを眺めました。若い頃のようにはいきません。覚えることができないのです。正確にではなく、曖昧にしか覚えることができません。頭文字を覚えるとか、例えば、トンプソンテストだとすると、トと覚えるのです、細かなことは試験問題に書いてあります。
1月24日の日曜日、九州で久しぶりの大雪です。折角の勉強予定日でしたが、雪山が呼んでいます。
私の心は抑えられません。朝6時、雪の雷山を目指します。
汗をかき始めたので、ユニクロのフリースを1枚脱ぎました。
上半身は、パタゴニアの冬用下着、ノースフェイスのフリースと防風の夏用のアウターです。
ザックには、先程、脱いだフリース、パタゴニアのナノパフが入っています。
雷山千如寺付近では、積雪は20㎝位となりました。
雪の雷山千如寺 |
ここからは登山道にはいります。心躍ります。雲行きはあやしくなり、風が強くなってきました。
あたりは薄暗くなり、サングラスを取り外しました。
清賀の滝を過ぎると、雪の深さは膝くらいです。誰も通った後はありません。動物の足跡すらありません。
清賀の滝 | つらら |
雪をかきわけ、滑落に注意しながら、上宮まで登りました。
ここでアンパンを食べ、水分を補給し一息いれます。
ここから頂上までは、急坂ですが道はしっかりしています。
上宮までが危険だと考えていました。上宮までくれば大丈夫。上宮から頂上までは、急坂ですがすぐそこです。
ただ、この坂は、時々、強風が吹き、急に体温が奪われることがある。この事は、これまでの雷山の登山の経験から頭の片隅に残っていた筈でした。
しかし、油断したのでしょうか。汗もかいていたので、吹雪で薄暗くもなっていたので、フリースやナノパフはザックの中のまま、サングラスもつけていませんでした。
吹雪く、雷山上宮 |
気持よく、全く足跡のない雪の杉林を越え、急坂に突っ込みました。風速20-30mでしょうか。雪の吹き溜まりがあちこちにあり、深いところでは股関節付近まで雪があります。パウダースノーです。とても気持よい。
しかし、強風で体温も奪われます。突風に体があおられ、目が開けられません。この日のための小さな眼だったはずなのに。それでも進みました。1歩進む毎に、手で雪を膝の深さくらいまで払いのけ、進んでいきました。
突如、やめました。身体がやめろと言いました。山の力は、どこでやめるかを判断することです。
頂上まで行くのが登山でもないし、登ることを中止し、引き返しました。
楽しい楽しい雪山の1日を終えました。
その日、福岡では動いていた交通機関は飛行機位で、後の交通機関はほとんどストップという状況でした。
翌々日、受験票が届きました。書類審査は何とか通ったようです。
1月下旬、最後の第23回の試験問題を解きました。
専門医試験は、112/150(そのうち臨床認定医試験77/100)点でした。
試験問題が同じ傾向、同じレベルであれば、合格ラインまで到達しました。
第20回 | 第21回 | 第22回 | 第23回 | |
解いた時期 | 2015年12月23日頃 | 2015年大晦日頃 | 2016年成人の日頃 | 2016年1月末 |
150問では | 76 | 94 | 106 | 112 |
100点換算 | 51点 | 63点 | 71点 | 75点 |
100問では | 53点 | 62点 | 69点 | 77点 |
5割超えてます、吃驚 | 6割越えました | 7割、出来すぎ | 合格圏へ |
第20回-第23回の試験を解いてみて。得点の推移。 第20回では5割でしたが、約1週間後には6割になりました。 まだ、筋肉の覚え方が足りません。試験勉強を始めて2週間後にはまあまあ。 1か月後には合格圏に到達。後は、維持するだけです。 |
試験問題のパターンはわかったので作戦を立てました。
脳卒中と短期集中で覚えた筋肉で点数をとっていく作戦です。筋肉を覚えるのは、山登りにどんな筋肉を使うのかとか考えると楽しいくらいです。脳卒中の問題の他に脊髄、末梢神経の問題と筋肉の問題は、対応できます。後の理解不能の問題は、解いた(覚えた)4回分の試験問題から同じような問題が出題されるのを拾っていくという作戦です。
試験前、1週間は、只管、健康管理に気をつけました。インフルエンザにはかかりたくない。補中益気湯を内服し、免疫能向上に努めました。
大した勉強もせず、やったことは手足の筋肉の名前を覚えて、4年間分の試験問題を解いただけ。
試験を受ける頭の体力に自信がないので(今、少しばかり自信があるのは山登り用の脚力のみ)、試験が始まる1時間前にリポビタンDを飲んで、カフェインを体内に注入し、試験中に諦めて眠らないように気持ちを奮い立たせました。
試験時間は2時間、1時間で終わって退出された方もいらっしゃいましたが、私は90分かかり、後は心静かにしていました。
試験終了。
脳卒中関連の問題は、例年のように脳神経外科専門医試験には恐らく出題されることのない基本レベルの問題です。つまり、他の領域の問題も、各々の専門家にはとるに足らない問題だと思われます。領域が広い事が問題なのでしょう。知らない問題が20題ほど出ました。でも、全然わからなかったわけでもありません。
ノロウイルスや疥癬など、最近、問題になった事例も出ていました。恐らくこれらの問題は、既出問題とは毛色が違っていたので、リハビリ学会の試験問題を考える会から出題されたのではないでしょうか。そういう会が発足されたとは風のうわさに聞いていました。
福岡で桜の開花宣言とともにとOKの通知が無事届きました。
結局、今年のNHK大河ドラマ、真田丸の旗印のようになりました。
これまで取得した専門医など。 頭痛専門医は頭痛指導医も兼ねています。 脊髄外科専門医や脳血管内治療専門医は返納しました。 |
症例は、56歳男性(私)。
学会出張などで、ベッドや枕、部屋の環境が変わるとの、良好な睡眠がとれません。
ルネスタ2mg内服すると、睡眠はとれますが、起床時に気持ちが悪いのです。
理由は、①起床時に唾液に苦い味がする、②体の動きがいつもと違う、ぎこちない感じ、シャープさがない、③何かしら気分が優れない、④強制的に睡眠をとった感じ。
オレキシン受容体拮抗剤ベルソムラを学会出張で使用してみました。
自然な睡眠です、唾液に苦い味がしない、起床時爽やかである、体の動きもスムースである。
欠点は、睡眠導入の作用は弱い。しかし、中途覚醒に対しての効果は高い。
2016年夏、劔岳-立山-五色ヶ原-薬師岳縦走を行ないました。当直明けで日勤。日勤終了後で富山まで移動。 深夜、富山駅に到着しました。翌朝、早川尾根に入り、早川小屋に宿泊しました。 当直明けで睡眠パターンが壊れ、早川小屋で睡眠パターンを戻して、翌朝早く(午前4時)出発予定です。 ベルソムラ20mg使用しました。良好な睡眠が得られました、しかも自然な睡眠で、身体の動きも良好で四肢の筋肉も伸びやかに動きました。 安全に剱岳にアタックしました。登山で眠剤を使用したのは、この時と九州の最難関といわれる大崩山登山前日のみです。
これまで、いわゆる睡眠剤としてベンゾジアゼピン系の薬剤が用いられてきました。ベンゾジアゼピン系の薬剤は、大量に使用すると脳の代謝を抑える働きがあります。ベンゾジアゼピン系の薬剤には、持越し効果、筋弛緩作用、反跳性不眠などの副作用が存在し、耐性、依存性、離脱などの問題がありました。
ベンゾジアゼピン系の類似薬剤で最近開発されたZ系薬剤(マイスリー、アモバン、ルネスタ)などは、これらの副作用が少ないとされています。
しかし、Z系薬剤の代表格であるルネスタですら、実際に使用してみると、少ないのですがこれらの副作用を感じます。
脳の代謝をおさえない睡眠導入剤として、ロゼレム、ベルソムラが開発されています。
ロゼレムはメラトニン受容体作動薬です。ロゼレムは、私には効果はありませんでした。
サーカディアンリズムの調整にはさまざまな要因が影響します。光が最も強力な同期装置です。眼から光がはいると網膜視床下部路を介し視交叉上核へ入力します。次に視交叉上核は松果体に信号を送り、松果体でメラトニン産生を中止します。
夜の暗闇は、松果体でメラトニンを作成されます。メラトニンは視交叉上核に働きかけ、サーカディアンリズムをリセットします。
ロゼレムは、メラトニン1受容体とメラトニン2受容体に作用します。メラトニン1受容体は刺激されると、視交叉上核を抑制し睡眠シグナルが優勢となり睡眠を促します。メラトニン2受容体はサーカディアンリズムの相を調節すると考えられています。
メラトニンは人体内で生成される物質です。副作用なさそうですね。
実際にはあまり効かないかなあ。
ベルソムラは私に著効しました。但し、睡眠導入という点では効果は少ないようです。中途覚醒に対して効果がありました。
しかも、私には副作用が全くないので安心して使用できました。どれくらい安心して使用できるかというと、日本山岳最難関とされる剱岳アタック、九州山岳最難関とされる大崩山アタックに際して使用できるというほどです。
では、何故、副作用がない?のでしょうか。
ベルソムラはオレキシン受容体拮抗剤です。
オレキシンの作用は、沢山あります。
その一つが、覚醒を司っています。
その受容体拮抗剤は、覚醒を睡眠に傾けるという作用があります。
脳の代謝は抑制しません。
効果があれば、夢のような睡眠剤ですね。
ベルソムラ(オレキシン受容体拮抗剤)の作用機序は別項で説明することにします。
ベルソムラの使用経験は、あくまで個人の感想です。使用に関しては、医師または薬剤師に十分に相談されてください。
睡眠について考えてみます。
どんな時に眠くなるのでしょうか。
私は、①夜に眠くなります。②夜遅くまで起きていると眠くなります。③お腹いっぱいになると眠くなります。④会議は眠くなります。....
①夜に眠くなる機序は、次のように説明されています。視交叉上核を中心として、光刺激やメラトニンなどによる概日リズムに沿った考え方です。
昼間は、光刺激が眼から入り、網膜に到達します。網膜視床下部路を介し、視交叉上核を経て、松果体に伝えられます。メラトニンは産生されません。
夜になると光刺激がなくなり、視交叉上核への入力がなくなり、松果体でメラトニンが産生されるようになります。
メラトニンは視交叉上核(SCN)を刺激しサーカチディアンリズムがリセットされます。
②夜遅くまで起きていると眠くなるのは、言い換えると。ずっと起きていると眠くなるということになります。その機序として睡眠物質の蓄積が考えられています。睡眠物質の候補としては、プロスタグランジンPGD2、アデノシンなどが挙げられています。
くも膜などでPGD2が産生され、脳脊髄液を介し前脳基底部(BF)に運ばれます。そこで、アデノシンが放出されます。アデノシンは視索前野(PO)を刺激し、GABAが放出されます。GABAは、覚醒中枢である結節乳頭体核(TMN)を抑制します。
一方、覚醒中枢である結節乳頭体核(TMN)からはヒスタミンが放出されます。ヒスタミンは睡眠中枢である視索前野(PO)を抑制します。
年もとり、いろいろなところで老化現象が出現しています。髪の毛が薄くなり、白くなりしわが増え、筋力がなくなり、眼がみえなくなり、衰えはとどまるところはありません。
心臓も悪くなりました。
記憶力、思考力も衰えてきました。
新しくページを作ります。雲散霧消