山歩 |
大峯男道 |
バラ |
私は、40歳を過ぎた頃、健康のため登山を始めました。当時は九州の九重山系の久住山、大船山、黒岳、中岳などに登り、ミヤマキリシマの咲く頃の平治岳、紅葉燃える大船山・御池などにいきました。
前任地の北海道では、大雪山系の旭岳、トムラウシ山、白雲岳、北鎮岳に登り、最近は北アルプスに挑戦しています。
私が、登山による頭痛を始めて自覚したのは、北アルプス裏銀座の登山中です。三俣山荘で昼食をとり、鷲羽山への登りにかかったときでした。嘔気と頭痛、めまいに襲われました。
その日は、朝5時に槍ヶ岳山荘を出発し、双六岳、三俣蓮華岳を経て疲れが出てきた頃です。出発から既に7時間半が過ぎ、天候も崩れ、登り坂でかなり疲れていたのかもしれません。きつい登り坂で、すこし前かがみにもなっていました。高山性頭痛と考えられました。
2500mを超え、空気がうすくなり、血中の酸素濃度が少なくなったと考え、とりあえずゆっくり深呼吸を5-6回し、肺の隅々まで空気を送り込みました。
すると、比較的楽になりました。気分的なものかもしれません。今は、2500m級の山で頭痛が襲ってきたときに、我流の治療方法として深呼吸を5-6回しています。深呼吸を多くしすぎると過換気症候群になってしまうので5-6回としています。高山病の第一選択薬・予防薬は、ダイモックスとされています。しかし、日本では、高山といっても3000m級ですから、日本の山での頭痛時の薬剤は、アセトアミノフェンやイブプロフェンがすすめられています。私個人にはロキソニンなどNSAIDsで効果があります。
盛夏 槍ヶ岳 | 双六岳山頂から:中央が水晶岳、右が鷲羽岳(ここの登りで高山性頭痛が出現しました)。 |
以前、【私の高山性頭痛】というタイトルで高山性頭痛を紹介しました。私の失敗談があります。私が高山性頭痛を経験した前々日のエピソードで、ダイアモックスというお薬の話です。
当時(2008年7月)、私は大雪山系(旭岳やトムラウシ山など)に何度も登ったことはありましたが、3000mを超える北アルプスの山々は登ったことはありませんでした。
そこで高山病対策を練りました。第一に、高地順応のために、上高地から入り、標高約1500mの横尾山荘で一泊し、第二に高山病の予防薬としてダイアモックスを準備しました。高山病の治療薬はダイアモックスで、予防効果もあると本で読んだからです。
上高地から梓川、穂高など眺めながら、ゆっくり歩き3時間ほどで横尾山荘に到着しました。横尾山荘は、改築されたばかりで、お風呂もあり快適な山荘です。夕食が終わると翌日に備え、高山病の予防薬としてダイアモックスを20時に内服し床に入りました。
大失敗でした。ダイアモックスは、利尿剤です。トイレが近くなって、30分毎にトイレに行く羽目になり、同室の方の迷惑をかけてしまいました。午前1時過ぎにやっと眠れました。
翌朝は5時に横尾山荘を出発、槍ヶ岳を目指しました。高山植物のハクサンイチゲやシナノキンバイを愛でながら、雪渓からの心地よい冷たい風に吹かれながら、昨夜のことを考えました。
そもそも、どうしてダイアモックスが高山病の第一選択の治療薬なのか?から、考え始めました。
ダイアモックスは、炭酸利尿剤で特殊な利尿剤です。高山病に利尿剤が効果あるのなら、もっと単純な利尿剤でよいはずです。利尿効果に加え、別の作用が重要なのではないか?
高山病とは、高度が増すと空気中の酸素濃度が低くなり、血中の酸素濃度が低くなるために、脳や肺に異常をきたす疾患です。低酸素を改善する目的の薬剤ではないか?
槍ヶ岳への坂道でこんなことを考えながら歩いていました。ダイアモックス! この薬剤は、脳神経外科医は検査でよく使用しています。局所脳血流量検査の血管拡張負荷の薬剤として用いています。
機序はよくわかっていませんが、代謝性アシドーシスを惹起し脳血管を拡張させる薬剤。そこまで考え、アッと我にかえりました。代謝性アシドーシスは代償性に呼吸性アルカローシスを引き起こす→過換気を引き起こす、つまり強引に呼吸回数を増やすということです。強引に呼吸回数を増やして低酸素状態を改善させようとする方法ではないか。であれば、この薬剤は、呼吸状態が悪い場合、あるいは悪化が予想されるような場合に使用するのだろう。
私が昨夜、予防薬として飲んだダイアモックスは恐らく日本ではあまり必要なく、5000m級を超える山々で必要となるのではないだろうか、などと考えているうちに、シナノキンバイ、ハクサンイチゲ、ミヤマオダマキなどお花畑に迎えられながら、青空いっぱいの槍ヶ岳山荘に到着しました。(翌々日、私が始めて体験した高山性頭痛は、【私の高山性頭痛】で紹介しています)
横尾山荘 | 槍ヶ岳山荘直下のハクサンイチゲと シナノキンバイ |
アイスクリーム頭痛と呼ばれる頭痛があります。これは、多くの人が経験したことがあると思います。
アイスクリームなどの冷たいものを食べると、眼の奥やのどの奥から後頚部にかけて痛くなる頭痛です。そう、キーンとした痛みです。これはすぐに痛まなくなってしまうので病的ではありません。
今年は梅雨に入るのが遅かったようです、6月になっても比較的からりとした暑さです。アイスクリーム頭痛について考えたいと思います。まず、実感するために、週末に烏帽子岳と弓張岳を登り、たっぷりと汗を流した後に、玉屋屋上の生ビールと、近くのスタバでダークモカ&オレンジフラペチーノで試してみました。
烏帽子岳を降り、夕刻より玉屋ビアガーデンに行ってみました。夕日に弓張岳が映え、風も心地よく、一杯、グイッと飲み干しました。
キターッ、咽喉の奥、後頚部にキーンとした痛み、でも一瞬でした。頚を抑えるでもなく、気になるような強い痛みでもなく、でも一瞬でしたが、後頚部に痛みが走りました。もう一杯実験してみましたが、再現性はありませんでした。最初の一杯だけだったようです。
次は、弓張岳を縦走し(縦走路は下の図をご参照ください)、スタバに入り、ダークモカ&オレンジフラペチーノを頼みました。甘そうですが、縦走に耐えた体に糖分を与えるため、一口食べてみました。激しい痛みが来ました。
今度は、後頚部部ではありません、両目の奥です。キーンと刺すような激しい痛みです、それも一瞬ではありません、指で眼を押さえて耐えているうちにジワーッと痛みはひいてきました。この痛みは、もう一口食べても、ありましたが、最初ほど激烈ではありません。
鵜渡越より弓張山系に入り、弓張岳、但馬岳、遠藤但馬守の碑、将冠岳、八天岳を縦走し、横尾を経て島地町に戻りました(写真は烏帽子岳中腹からの弓張山系)。
これらの頭痛は、現行の国際頭痛分類第3版βでは、その他の一次性頭痛の【4.5.2 冷たいものの摂取または冷気吸息による頭痛】と分類されています。原因は、明確ではありません。
1)咽頭部付近の冷たい刺激を、冷たい感覚を痛いと間違って、咽頭部付近の場所をこめかみ、眼の奥、後頚部と間違って伝えるという考え方、
2)冷たい刺激に対して体温を維持するために血管が拡張し、その結果頭痛が生じるという考え方があげられています。
あまりピンときません。片頭痛患者の場合は、通常片頭痛の起こる部位に生じやすいなどの関連論文も散見されます。痛みは一瞬ですし、夏の楽しみ、そのような論文も見過ごしていいのではないでしょうか。次回は、鹿児島天文館の白熊で厳しい冷えた頭痛を味わってみたいと思います。
私は、学生時代に柔道をやりました。当時、夕方の練習の前に、吉川英治の三国志を読み耽っていました。魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備らの群雄の物語で、最近は映画でレッドクリフがヒットしました。いくさの大胆な勝ち方や逆に信じられないほどの負けっぷりから曹操の物語としてとらえている人もいます。吉川英治の三国志は、もちろん小説です。その中で、曹操は晩年、頭痛・嘔気に悩まされ、医師の華陀によって脳袋の腫瘍と診断され、手術をすすめられています。CTもMRも手術用の顕微鏡もない時代に、華陀はどのような手術を考えたのでしょうか。結局、小説では曹操が、華陀の手術の話に激怒し、手術は行われませんでした。
青森ねぶた祭り 曹操と周瑜 |
冬の健康管理のため、月に一度、佐賀県有田町の黒髪山登山を行なっています。コースは竜門―見返り峠―黒髪山(天童岩)-見返り峠―青螺山―青牧峠―竜門の周遊コースです。体調がよければ2時間半、色々な状況が重なると4時間位の比較的ハードなコースです。竜門から黒髪山は小川のせせらぎを聞きながらハイキング気分ですが、青螺山は坂がきつく、岩場やロープの難所があり、よい登山訓練となります。2011年1月30日は、前半の黒髪山は特に問題なかったのですが、後半の青螺山は突如雪山と化しスリリングな山行が楽しめました。
私が転倒したのは、この時ではなく、12月のまだ雪の降っていない雨の降った翌日の青螺山でした。皮の剥げた木の根は雨で濡れ滑りやすくなっていて、約50cmの段差を一気に登ろうとして、滑ったと思った瞬間に、右前額部を強打していました。痛みの程度は、これまでに経験したことのない最も激しい痛みでしたので、VAS(visual analog sacale)では10点中10点です。意味があるかどうかわかりませんが、意識レベルのチェックを自分で行い、7シリーズ(100-7からはじめる引き算)を行いながら登山を続けました。痛みに耐えながら無事に下山しました。その後の1週間は、ロキソニン(鎮痛剤)が必要な程度の頭痛がズキンズキンと続きました。診断は軽症頭部外傷による急性外傷後頭痛です。周囲の人は、私の鼻のところが赤いのは飲みすぎ?と思われたようです。
雪の青螺山 | 受傷3日目 右眉根部の受傷部位 |
妙高山を降り黄金の湯で朝の登山の汗を流し、関山駅より直江津を経て土合駅には、お昼過ぎに着きました。早く着いてしまい、【山の家】の女将さんにすすめられて、一の倉沢まで散策に行ってみました。
一ノ倉沢に着き、その前に立つと、荘厳な切り立った岩と雪渓に圧倒され身も心も研ぎ澄まされる思いでした。
沢に降りると、「お兄さん?少し頭を冷やしたら」という自然の声が聞こえて、いつもなら手を洗ったり、顔を洗ったりするのですが、どぶんと頭から流れに突っ込みました。何とも言えない強烈な冷たさ、一の倉沢の雪渓の水はなんと心地よい。でも、冷た過ぎて何秒もつけていられません。頭が痛いような感じ。この痛みは、国際頭痛分類第3版βによると外的寒冷刺激による頭痛(4.5.1)に相当します。翌日はロープウエイを利用して盛夏・谷川岳を歩きました。
一ノ倉沢 | 頭を冷やした沢 |
冷たい雨の中、朝五時に間ノ岳に向け北岳山荘を出発、ふと山荘の壁紙が目に留まりました。一般的な高山病の予防についてです。
少し離れたところに、(重たいザックを背負って、肩の筋肉に緊張が加わり、頭痛をきたすことがある)旨が書かれていました。ひょっとして緊張型頭痛?と一瞬、頭をよぎりましたが、風雨の3000m高地歩行に集中しました。天気が悪く、残念ながら間ノ岳まで登って引き返しました。
下山後、広河原から甲府までのバスの中で、北岳・間ノ岳の余韻に浸りながら、思考を再開しました。
緊張型頭痛は一次性頭痛なので原因がないのが一般的です。しかし、現実的には、頸椎疾患・筋の緊張を原因とするもの、いろいろなストレスを原因とするもの、片頭痛から移行するものなど様々な病態を抱えているのではないでしょうか。
壁紙にあったような、重いザックを背負って登山という運動は、僧帽筋を中心とした後頚筋群の緊張を引き起こし緊張型頭痛が生じるのか、そんなことを考えながら、甲府→新宿の特急【かいじ】に飛び乗り、ボーっと思索を続けました。
九重山系で登山を始め、北海道に渡り大雪山系を登った時に、ザックの重さが15㎏で、下山後に疲労を感じ、ザック分の15㎏痩せていたらもっと楽に違いないと反省しました。そうすると気づいた頃には20㎏痩せていました。
痩せた頃から、後頚部を中心とした重たいような筋の緊張を感じるようになり、年もとってきたから、いろいろなストレスも加わり、緊張型頭痛になっているのかなと考えていました。モーラステープを貼ったり、試しにロキソニンやセレコックスやモービックを飲んだり、その効果も調べました。
特急【かいじ】の中で、痩せたころより後頚部を中心とした緊張型頭痛が始まったという思考を一歩進めてみました。
笑われるかもしれませんが、痩せたことが原因なのだと考えてみました。大学時代に柔道で鍛えた(太った?)首回りは、当時は44㎝で、痩せてみると37㎝になっていました。ウエストが7㎝も細くなると嬉しいものですが、首回りです。筋肉も痩せ細ったのだと思います。
頭が軽くなっても、頭を支えるために、痩せたことで一つ一つの筋肉細胞の頑張りが必要になったのだろう、その結果、緊張型頭痛を惹起した。横になって、頭を支える必要がなくなると楽になるのだなあ、などと考えているうちに列車は新宿に到着、雑踏の中で思考も停止しました。北岳―間ノ岳―塩見岳―蝙蝠岳の南アルプス縦走計画は、悪天候に阻まれ、緊張型頭痛?について考えてみました。
北岳:ガスがかかり、全くなにも見えません。 | 間ノ岳ではガスのため視界は数メートル、誰もいません。 |
2012年8月、飯豊山の至宝・飯豊竜胆(イイデリンドウ)にあいに飯豊山を縦走しました。広大な飯豊山の山歩きでは、今夏に受験したばかりの日本頭痛学会専門医試験について考えてみました。
(はじめに)
日本頭痛学会に入会し、佐世保共済病院で頭痛外来を開設し4年目を迎えています。2012年8月日本頭痛学会専門医を受験しました。
私は1991年に日本脳神経外科学会専門医となり、頭痛も勉強しその後も頭痛の治療に携わってきたので広い意味で頭痛の専門と考えてきました。日本頭痛学会の専門医は、私には必要ない世界と思ってきました。
日本頭痛学会に入り私にも受験資格があると知り、なんとなく試験を受けてみたくなりました。私は、これまで脳神経外科専門医、脳卒中専門医、脊髄外科専門医、脳血管内治療専門医(頭痛に興味がうつってしまい、2011年専門医返上&学会退会)など、多くの専門医を取得しました。逆に考えると、私の場合、専門医とは名ばかりで真の専門医はなにもありません、脳神経疾患を興味深く広く浅くというスタイルでした。
(試験対策)
50歳も過ぎると、視力も落ち、体力もありませんし、集中力や持続力もありません、まして記憶力なども落ちる一方です。しかし、日常の頭痛診療では、診断・治療に悩み・考えています、日常の診療そのものが勉強です。今回の試験対策として、【特別な試験勉強はしない】という作戦をたてました。
それでも、体調をみながら、国際頭痛分類第二版(青色本)を1週間ほどぺらぺらと眺め、余裕があれば[頭痛のすべて](中山書店・桃色本)を眺めました。試験の10日前にはそれもやめました。体力と集中力が必要と考え、ひたすら栄養と睡眠をとりました。週末には弓張縦走(3hr)&裏烏帽子縦走(7hr)を行い、頭を空っぽにして、試験のために体力と集中力を蓄えました。
(試験当日)
オリンピック女子サッカー撫子チームの活躍をみたあと、試験会場に入りました。私を含め受験生は38名でした。神経内科や脳神経外科などの専門医を既に取得している為、年齢もさまざまです。試験前に受験生が目を通している本を観察すると、前述の青色本や桃色本、緑色本(慢性頭痛の診療ガイドライン)を眺めています。マイノートに目を通している人は数名のようです。ノートを作るほど余裕のあった人は数名ということでしょうか。日本頭痛学会の暖かい感じで、専門医試験といったピリピリとした雰囲気はありません。試験問題も、ご高名な先生達が配っておられました。私はボーッとした感じで試験に入っていきました。
第1問:冷たいものの摂取による頭痛について、誤りはどれか。1つ選べ。
1)非拍動性
2)冷たい物の摂取により、口蓋または咽頭後壁が刺激されることにより生じる
3)頭痛は寒冷刺激により直ちに出現する
4)頭痛は寒冷刺激除去直後、5分以内に消失する
5)頭痛は後頭部に生じる
私にとって、最初の1問はとても難しかったです。アイスクリーム頭痛を当院の頭痛外来のホームページで紹介したことがあります。しかし、当院の頭痛外来にこの訴えで受診された人はいません。この症状を持っている人をよく知っています。私です。全ての項目が当てはまります。私の場合、両眼の奥と後頭部がツーンとします。刺すような痛みです。子供の頃はアイスを食べたりするとこの頭痛がありました。今は極冷のビールを飲むとこの頭痛が生じます。でも、アイスを食べたり、ビールを飲んだりすることを中途でやめたりしませんから、5分で消失するかどうかはわかりません。結局、4)を誤りとしました。この問題は、診断基準がそのままでしたから、青色本をきちんと読んでその診断基準を記憶していますかという問題です。正解は、診断基準をみるとこの頭痛は前頭部に生じるそうです。残念。正解は5)。
という感じで、私は、問題を読んで考えるという所作を続けました。
単純知識を問うものもありました。
少し問題を思い出してみます。
問題:飛行機頭痛について?
これは、共済病院頭痛外来のホームページで今年のテーマとして取り扱っています。この問題はニコニコしながら読ませていただきました。論文もかなり読みました。
鼻・耳疾患の関与、片頭痛との関係、離陸時に多いか、着陸時に多いかとなどが問われていました。正答したかどうかはわかりませんが、楽しく解かせていただきました。
問題:低髄液圧性頭痛と体位性頻脈症候群(POTS)について?正しいものを2項目選択せよ。
小児の体位性頻脈症候群(POTS)に伴う頭痛は、現在も悪戦苦闘中の疾患です。最近、Mokriの論文(Oththostatic headaches without CSF leak in postual tachycardia syndrome Neurology 2003; 61: 980-982)を読んだばかりです
現在、加療中の患者様が思い浮かび、起立性頭痛を示す、NSAIDsなどが効きにくい、の2項目を選びました。
問題:労作性頭痛について?誤りは1つ選べ?
寒冷地で多い?、高地で多い?、他の3項目は診断基準が並べてあり正しいようでした。
寒冷地で多いのか、高地で多いのか、いずれかを選択しなければいけません。前任地が北海道だったので、寒いところで働く人たちの厳しさが目に浮かび、寒冷地で多いを○とし、高地を×としました。青色本をみると診断基準のコメントに暑いところや高地で多いとあります。
残念。やはり、青色本は眺めるだけではだめのようです。
問題:いくつか難しい文章が並んでいました。正解は?
トピラマートの片頭痛予防の作用機序についての一文が目にはいりました。トピラマートの片頭痛予防に関する論文は、かなり読みました。私の好きな論文は、絵・図がきれいで論調もクリアカットでよかったので、繰り返し読んでいました。私はこれを〇にしたくなりました。
Topiramate in the treatment of migraine: A kainate(glutamate) receptor antagonist within the trigeminothalamic pathway. Cephalalgia 31 1343-1358 2011
問題:家族性片麻痺片頭痛タイプ1と同じ遺伝子異常が認められる疾患は?
これは、有名な論文(Sporadic and familial hemiplegic migraine: pathophysiological mechanism, clinical characteristics, diagnosis and management Lancet Neurol 2011 10 457-470 )で読んだことがあります。その中で記載されていましたが、忘れました。試験とはそんなものでしょう。Episodic ataxia type2、spinocerebellar ataxia type 6。2とか6とかを選択しました。
問題:家族性片麻痺性片頭痛タイプ1で合併するものは?
上記論文を読んでいましたので、小脳症状を選択しました。
問題:群発頭痛の原因と考えられるのは?場所は?誤りを1個
海綿静脈洞○、破裂孔○、海綿静脈洞近傍部〇、neurotransmitter〇、大脳皮質×
これは、当院の頭痛外来のホームページで群発頭痛の不思議で紹介させていただきました。
問題に関しては、勘違い、記憶違いなどもあると思います。御覧の通り、私の解答も不正確です。興味がある人は、頭痛専門医試験って、こんな感じかなあと思って読み飛ばしてください。
問題はやさしくもなく、難しくもなく、楽しく問題を解きながら、自分自身の知識の整理し、私が日頃困っているところをきちんと調べることはいいことだとか、こんなところが弱いなあと反省できました。小児の頭痛に関してはまだまだと痛感し、小児の頭痛の勉強のきっかけができました。解剖の問題は興味深かったので、もう少し勉強したい気持ちになりました。このようなわけで、今回受験したことは大変有益になりました。
最後に50歳を過ぎ既に峠を越えて下り坂に入った医師に受験機会を与えていただいた日本頭痛学会に深謝いたします。
1日目はそういうことを考えながら楽しく飯豊山を登りました。1日目は川入から飯豊切合小屋、本山小屋、飯豊山を経て、御西小屋でザックを降ろしました。御西小屋から眺めた大日岳は雄大で、両手を広げてさあ私を登りなさいと語りかけているかのようで、飯豊連峰最高峰の大日岳を一気に往復しました。2日目から天候が崩れるという予報で、2泊3日の予定を、1泊2日に変更しました。2日目は予報通り、天候は悪化、ガス・雨で視界は数10mから数m程度で、危険な状態でしたので頭痛の事を考えるのはやめました。御西小屋から北股岳を経て門内小屋から梶川尾根を慎重に降り飯豊山荘で温泉にはいり汗を流しました。イイデリンドウは可憐で、標高1980mの御西小屋から眺めた夕日に照らされた日本海や烏帽子岳・北股岳は素晴らしく、ガスの中の飯豊縦走も雨もまた楽し、山旅を終えました。
2012年8月12日 飯豊山を降りて
イイデリンドウ | 標高1980mの御西小屋から夕日 映える日本海を眺めました。 |
佐世保市近郊で好きな山歩きのコースがいくつかあります。その一つは共済病院から山手町へ、そして烏帽子岳―隠居岳―郷美池―オサイ峠―八天岳―国見山―潜木町のコースです。
このコースは佐世保市街からみて烏帽子岳の裏側へ回りこむように感じます。私は、裏烏帽子縦走コースと名付けました。2012年はこのコースを10回歩きました。
大まかに烏帽子まで2時間、隠居岳までが1時間半、八天岳までが1時間半、国見山までが1時間、そこから潜木町バス停までが1時間、計7時間のコースです。潜木町からのバスは少なく、バスの時間が合わなければ柚木町バス停まで30分追加となります。
10回のうち、2回が拡大版です。2012年1月7日には弓張山系を付け加えたseven summits courseを歩き、4月7日には愛宕山・赤崎岳を加えた佐世保一筆書きコースを歩きました。(2013年1月5日にseven summits courseを歩きました。)
共済病院 | 弓張岳 | 但馬岳 | 将冠岳 | 烏帽子岳 | 隠居岳 | 八天岳 | 国見山 | 共済病院 | |
2012.1.7 | 5:30 | 6:34 | 6:44 | 7:22 | 9:30 | 11:05 | 12:24 | 13:15 | 16:52 |
2013.1.5 | 6:00 | 7:00 | 7:10 | 7:47 | 9:54 | 11:21 | 12:44 | 13:41 | 17:12 |
2012年1月7日は歩行時間11時間22分でしたが、2013年1月5日は11時間12分でした。
次に佐世保一筆書きコースを紹介します。(seven summits course in Saseboは飛行機頭痛で以前に紹介しました)
佐世保一筆書きコースはほとんどが舗装された道です。あまり楽しくないのでもう一度歩くことはないと思います。
2012年4月7日 GPSトラッキングデータより
烏帽子岳夕景 石岳より 2012.2 |
隠居岳と国見岳 有田黒髪山から 2012.3 |
烏帽子-隠居-国見と縦走し、これから登る愛宕-弓張-将冠。国見麓から 2012.4.7 |
縦走してきた山々とこれから縦走する山々。愛宕山頂上から 2012.4.7 |
共済病院 | 烏帽子岳 | 隠居岳 | 国見山 | 愛宕山 | 赤崎岳 | 弓張岳 | 将冠岳 | 共済病院 | |
時刻 | 4:00 | 5:32 | 6:55 | 9:04 | 13:00 | 15:04 | 16:45 | 17:30 | 18:30 |
2012年4月7日歩行時間14時間30分
裏烏帽子縦走コースは、西海路で四季が感じられる山道です、郭公が鳴き、オオルリ(?)が囀り、キリシマミドリシジミが舞い、鹿の子ユリが咲き、雪がつもり凍った道、凍った池もあります、四季それぞれに見どころ多い豊かな山道です。最近、この縦走路も見直され、隠居岳頂上の老朽化した休憩所も整備され国見岳にもトイレが設置されました。郷美池―オサイ峠―八天岳が明るく健康的に歩きやすくなれば、屈指の遊歩道になると思います。この登山道で人とすれ違うことはほとんどありません。
隠居岳からは有田の街並みがみえます、栗の木峠からは黒髪山系の眺めが素晴らしく、標高777mの国見岳からはこれまで歩いてきた山々が見渡すことができ、弓張山系や平戸島、伊万里の街並みが一望できます。
2012年夏は大変暑かった。
暑い⇒汗⇒脱水⇒?
7月22日弓張山系縦走。7月23日何か体調がおかしい。すぐに回復。
7月28日裏烏帽子縦走。大量の汗をかきました。7月29日、自分の話す声が頭の中で響きます。何かおかしい。半日で回復。自分の声が頭に響くのは?
8月26日裏烏帽子縦走。8月27日、自分の話す声が頭に響きます。それに自分の呼吸の音も響きます。右耳にきて、右目にきて、右眼から右前額部―前頭部がボワーンとした感じです。
表現をかえると痛くはありませんが、妙な感じです。大きな声で話すと自分自身の声が頭の中全体に響き渡り駄目です、ボワーンとした強い違和感が出現します。自然と小さな声になります。兎に角、具合が悪いです。
声が響いたり、呼吸の音が響いたりするのは、鼓膜が振動、耳管が開いているのかなあと思いました。恐らく、一般医にこのような症状を話すと信じてもらえず、この人は少しおかしいのでは?などと思われるのが落ちです。私の目の前にそのような患者様が現れたら、きっと心療内科や耳鼻咽喉科を紹介すると思います。でも自分自身の事はよくわかります、精神的なものではなくて実際にある症状です。ネットでみると耳管開放症という診断が出てきました。原因としては、急激な体重減少、ホルモンのバランス障害、脱水などだそうです。なるほど、いくつか疑問もありますが、脱水のため右耳管周囲の組織が縮んでそのために耳管が開放して、そのために声の振動が鼓膜へ直接伝わり具合が悪くなるのだという考えに結び付きました。
私のとった対策は以下の通りです。
①横になる。
②可能なら仰向けに横になって両足を壁に着け、両足を45度上げる。
①でかなり、かなり楽になりました。②によりもっと楽になりました。両足のあげる角度も90度、30度と試しましたが、45度がいいかなあという印象でした。
これらの動作により、体の血液を頭の方へ移動させ、強引に耳管周囲の組織の水分を増やしたわけです。外来中に、患者様が途切れたら第2診察室でこのようにしていました。しかし、患者様がみえて急に立ち上がると、頭に行っていた血行が急に下肢の方向へ移動し瞬間的に椎骨脳底動脈循環不全に陥りバタッと倒れてしまいました。看護師さんは、大きな物音がして何事かと驚いたようです。立ち上がる時はゆっくりゆっくりと立ち上がらなければいけません。①及び②の行為は、体は楽になりますが、その姿勢では外来は続けられません。
③最終的には脱水の回復と体重を元に戻すとよいので、私の場合は、真夏の大量の汗をかく登山翌日にこの症状が出るので、登山後及び翌日にゆっくりと水分補正をすると回復します。(もちろん登山中にも水分補給を行っていますが追いつきません)
④月曜日に外来があります。自分の声や呼吸が頭の中に響くのでは外来ができません。耳管が開放し声や呼吸が鼓膜に直接伝わり鼓膜が振動するので、これを止めればよいと考え、鼓膜の外にある外耳道開口部を左手で押さえ塞ぎました。こうすると外耳道が塞がれて、鼓膜に耳管からの圧が加わっても、外耳道が閉鎖腔となり鼓膜の振動が軽減され、自分の声や呼吸音が小さくなり何とか外来を続けることができました。月曜日に私が左手で耳を押さえているのはそのためです。火曜日にはほとんど軽快しています。
9月23日裏烏帽子縦走。9月24日耳管開放症の軽度症状出現。自分の声が響きます。呼吸音は響きません。横になることも左手で右耳を塞ぐ必要はありません。秋になって汗の量も減ったのだと思います。私にとっては真夏の症状のようです。
私の場合、耳管開放症の症状は一過性で右です。症状をグレード分類で考えるとすると下記のようになります。
グレード1:頭全体がボワーンとした違和感のみで軽度の場合
グレード2:自分の声が頭全体に大きく響き呼吸の音までが聞こえる場合
グレード3:頭全体がボワーンとした違和感が酷く、グレード2の症状も酷く頭痛もあり、動けない状態
グレード4:私が経験したことがないもっと酷い状態
立っていると辛くて、横になると楽になる頭痛は?
これは、起立性頭痛と呼ばれます。
一番有名なのは低髄液圧による頭痛(ICHD-Ⅱ 7.2)です。次は体位性頻脈症候群(POTS: postural tachycardia syndrome)による頭痛です。これらは立っていると頭痛がする。⇒立っていられないという状態です。
さて第三の起立性頭痛?ともいうべき、私のような脱水などによる耳管開放症は、私の場合は立っていても大丈夫です。立っていると頭痛がするというよりも、横になると楽になるという感じです。特発性低髄液圧性頭痛(ICHD-Ⅱ 7.2.3)や体位性頻脈症候群(POTS)は難しい病態です。今年は、体位性頻脈症候群(POTS)による頭痛を考えてみたいと思います。
以前から珈琲は好きでしたが、頭痛外来をするようになってから、外来の合間に珈琲を飲む回数が増えてきました。1日に2-4杯くらいでしょうか。
2012年秋、夏休みを利用してかねてから念願の北アルプス縦走を行いました。
新穂高温泉から入り、笠新道を一気に登り笠ヶ岳へ(笠ヶ岳山荘泊)。二日目は、双六岳・三俣蓮華山を経て黒部五郎小屋に宿泊。三日目は黒部五郎岳、薬師岳を登り太郎兵衛小屋まで戻って宿泊。最終日は折立に降りるだけです。槍も穂高も劔も白馬もない、3泊4日の地味な贅沢なコースです。
笠ヶ岳-双六岳-三俣蓮華岳-黒部五郎岳-北ノ股岳-薬師岳 |
午後からは雨に見舞われましたが、登山行動中の13時までは天候にも恵まれました。一番楽しみにしていた笠ヶ岳から眺める槍穂高の朝日は雲に阻まれましたが、その他は秋の山旅を満喫できました。 北アルプスのロングランで気分は昂揚し、朝焼けの黒部カールや秋の青空を楽しみました。
早朝 笠ヶ岳 | 黒部五郎岳の朝焼け |
黒部五郎から槍穂 | 黒部五郎をおりて、カフェイン離脱頭痛を感じました。(初秋 薬師岳) |
3日目、モルゲンロードに彩られた黒部カールから黒部五郎岳を登りました。360度のパノラマ。澄み切った青空と秋の雲、これから向かう薬師岳、振り返ると笠ヶ岳、乗鞍岳、御嶽山、槍穂高の山並み、こんな景色を眺めながら歩きました。
ちょっと頭痛がしてきました。この頭痛は?? 既に3日目で高地順応は十分です。しかも黒部五郎岳を降りてなだらか場所です。嘔気や息苦しさもありません。北アルプス初挑戦の時に経験した辛い高山性頭痛ではありません。水分補給はポカリスウェットがほとんどです。登山初日の早朝に珈琲を飲んでから、珈琲もお茶も飲んでいません。珈琲を絶って2日目でしょうか。頭痛は軽度で両側性です。この頭痛を楽しむ余裕もあります。私の診断は、カフェイン離脱頭痛です。ということは、珈琲を飲めば治るはずです。
太郎兵衛小屋を過ぎ、薬師山荘を超え薬師岳へ。翌日の天候は朝から雨という情報だったので、予約しておいた薬師山荘をキャンセルして太郎兵衛小屋まで降りました。一休みしておいしい珈琲を一杯頂きました。そうして頭痛はきれいになくなりました。
いつもはザックにkey coffeeのドリップ式珈琲(青)を二つくらい入れますが、今回はロングランで荷物軽減のためザックに入れませんでした。おかげでカフェイン離脱頭痛を体験できました。
山を降り、北アルプスを横目に列車は富山まで。初秋の山旅終了。
当科では、頭痛治療に積極的に漢方薬をとりいれています。西洋の薬剤に効果がなく、困っている時に助かる場合があります。
ある日、一冊の漢方の本の表紙を眺めていると、見覚えのある花が載っていました。これは延齢草ではないでしょうか。(延齢草は、漢方では胃腸薬の材料になるそうです。)
函館の春は、遅い。そして一気にやってきます。
私が函館の病院に赴任したのは2003年2月でした。当時を思い出すと、厳しい寒さのため体調を崩しました。3月の上旬に、雪ではなく雨が降ってきた時には正直ホッとしました。
しかし、一年一年と日を追うに従い、雪にも慣れ、四季のうつろいに感動さえ覚えるようになりました。私にとって、函館の春は、函館山から始まりました。雪の中からフクジュソウが太陽の光を浴びて黄金のように煌めき、カタクリが咲き、毎週毎週、競うかのようにいろいろな花が咲き乱れます。キクザキイチゲ、エゾエンゴサク、ニリンソウ、タチツボスミレ、イチリンソウ、コジマエンレイソウ、最後にシラネアオイで締められます。3月下旬から5月下旬まで、週末に函館山を歩くのはとても楽しみでした。
一番の楽しみは、コジマエンレイソウ。
私は、ワインレッドのこの花は、他の山でみたことがありません。
このまま、ひっそりと、そっと静かに。
函館山 コジマエンレイソウ |
晩秋、北アルプスに登ってみました。燕岳―大天井岳―常念岳―蝶ヶ岳の常念山脈です。ここでは、以前から興味のあった睡眠時の頭痛について考えるつもりでした。
晩秋の常念岳山頂から早朝の槍と大キレット。 |
その前に私のいびき対策について触れます。私がいびきをかくのではありません。
山小屋に泊まる時、困るのは、まわりの方のいびきです。そのために睡眠がとれず困ったことが何度かあります。その時の工夫のお話です。
高山では気圧が低く、肉体の組織は浮腫気味となります。気道も狭くなるのではないでしょうか。そして、皆さん、ビール・お酒・焼酎・ウイスキー・ワインなど気持ちよく召し上がられます。飲酒により、気道も狭くなり、さらにいびきをかき易くなります。そして、高山でのお酒は、気圧のため、酔いが早くまわると言われています。お酒を飲まれる方は酔って、消灯後に早々にお休みになります。
私は山ではお酒は飲みません。残念ながら、なかなか寝付けません。
すぐに周りから豪快ないびきが聞こえてきます。
以前、剱岳に登った時の事です。剱山荘に宿泊し、二人組の人が私のベッドの前におられました。ビールを飲みながら明日の剱岳登山について楽しそうに仲良く話しておられました。消灯となり、皆、やすみ始めました。すると二人組の一人の方が大きないびきをかきはじめました。よくみると、もう一人は、心得たもので、耳栓とアイマスクを装着し、すやすやとやすんでいました。
なるほど。それから、私も耳栓を利用するようになりました。
近頃のwalkmanのイヤホンは音漏れも少なく、まわりの音があまり聞こえません。今はこれを利用しています。日頃から、これらを利用しbackground musicを聴きながら寝る訓練をしているとさらに万全です。
もう一つ。会得したことは、眠れなくても大丈夫だと思うことです。横になって目を閉じて前述の方法などで休んでいると、知らずに寝ていることもあります。やはり眠れないこともあります。しかし、横になっているだけで、体力・気力は改善します。
数年前の晩夏の北岳山荘では、一部屋に8人くらいで、1つの布団に1人というゆっくりとしたものでした。20時くらいから横になり寝ようとすると隣の人が凄まじいいびきをかき始めました。私はwalkmanのイヤホンとbackground musicという方法をとりました。その日の北岳山荘の登山客は少なめだったのでしょう。他の6人は、山荘の人と相談して別の部屋に移っていきました。私は、そのまま眠ってしまいました。
私のいびき対策は、①walkmanのイヤホン(background music)、②そして眠れなくても体を横たえてゆっくりとし、negativeな考えを持たず大丈夫と思うことです。
今年も山がはじまりました。
最近は、土日の里山歩きもできなくなり、夜のwalkingでなんとか足を維持している程度です。もっとも、これくらいでは、山は太刀打ちできません。
手始めに、朳差岳(エブリサシダケ)を目指しました。
朳差岳は、飯豊山の北に位置します。2年前の8月に飯豊山縦走を行いました。この時は可憐なイイデリンドウにあいに行きました。ヒメサユリも見たかったのですが、時期が異なり見れませんでした。6-7月に咲く花だそうです、ヒメサユリにあいに行きます。
奥胎内ヒュッテに前泊し、朝4時に起床。窓を開けると、キューロロキューロロ、なんとアカショウビンの鳴き声が、もちろん姿は見えません。
足の松登山口から登り始めます、天候は薄曇り、一直線に大石山まで、3時間。急登でいい訓練となりました。ペースはゆっくりです、足慣らし。当初の予定では、頼母木小屋に一泊し飯豊山荘に下山を考えましたが、シュラフや食料などの重さを考えて、朳差岳ピストンとしました。
大石山周辺にはヒメサユリが待っていてくれました。ミドリシジミも舞っています。
ヒメサユリ | ヒメサユリと朳差岳 |
ここからは北の朳差岳へ。一気にガスが昇ってきました。足元には植物が覆っていて夜露で、ズボンの雨具を付けました。鉾立峰到着。大石山付近では朳差岳は見えていましたが、全くみえません。
鉾立峰から北へ一本道です。鞍部まで下り、それから頂上の筈です。ここで鞍部への下りで全く視界が無くなり、余分な事を考えていたら、急に不安になり、鉾立峰に戻りました。再度方向を確認し、北への道は一本しかないことを確認し、同じ道を戻り、朳差岳到着。
大石山までは標識は比較的しっかりしていたのですが、鉾立峰、朳差岳の標識は、暴風雨雪により破壊されていました。
今回は、足の訓練(山の脚力)はもとより、心の鍛錬(山の精神力)、暑さなどと戦い・呼吸・食事(山の体力)などのいい訓練ができました。もっと、いろいろなことに注意しなければ。
足の松までこんなことを考えながらゆっくり降りました。
足の松登山口からは、奥胎内ヒュッテまでは平坦な道です。バードウオッチングのたくさんの人とすれ違いました。山登りの人より圧倒的に多いです。お目当てはアカショウビンのようです。見ましたかと何度も尋ねられました。朝、鳴き声はききましたよ。
ヒュッテの温泉で汗を流しました、テラスに出てみると、なんとアカショウビンがいます。残念ながら、登山で標準ズームなのでうまく撮れていませんが、今はPCで拡大できます。
テラスからアカショウビン。見えますか? | 拡大しました。 |
さらに拡大しました |
たくさんの感動を胸に帰路につきました。山の力は、山でつくる。
頭痛学には、テキストはあまりありません。頭痛は、当に患者様の一つ一つの頭痛が教科書です。患者様の頭痛にぶつかり、考える。頭痛学とは。
佐世保一筆書きコースは、大部分を舗装された道路を歩くため、あまり歩きたくないコースです。
14時間-15時間歩くには、目標となる山がたくさんあるので、時間はあっという間に過ぎていきます。
夏から秋にかけて北アルプスや南アルプスを歩きます。その時に、何かのアクシデントで、2日間のコースを1日で歩かないといけないこともあります。そのために春に1度、14-15時間歩ける足を作ります。
昨年の南アルプス登山の時の話です。
2013年の最大目標として、壮大な南アルプス縦走コースを計画しました。椹島-千枚小屋泊-悪沢岳-赤石岳-百間洞山の家泊-聖岳-茶臼小屋泊-光岳-易老渡の3泊4日のロングコースです。
赤線:登山計画路、黒線:実際に歩いた路、 青線・緑線:escape route |
静岡駅裏に宿泊し朝4時起床しました。5時に宿を出発予定です。起きてすぐに天気予報を確認しました。昨日までは天候に恵まれるとの予報でしたが、なんと午前3時に台風が発生したとのことです。しかし、予報では、発生した台風はそのまま北上し三陸沖に抜け日本には影響ないだろうとのことでした。登山開始までの数時間で得た情報はその程度でした。
さて、登山開始から、私の頭を占拠したのは、天気予報が外れ、台風のコースが西よりになった場合は?ということです。日本上陸までには3-4日かかりそう。3日間は大丈夫かなあ。そうすると、このロングコースは無理だなあ、とすると光岳はあきらめて、悪沢、赤石、聖岳で降りると2泊3日でぎりぎり、しかし、椹島から静岡まで道路は崖崩れで通れなくなる危険性もあります。聖岳まで行くとすると、1泊目は千枚小屋泊ではなく、荒川小屋まで、2泊目は、聖岳を越え聖平小屋まで行き、3日目早朝に聖平小屋から降りるということになります。そんなことばかり考え、千枚小屋でさらに30分悩み、結局、1日目に荒川小屋まで行きました。
荒川小屋で美味しいカレーを頂き、早速天気予報をみてみると、なんと最初の予報は何処へいったやら、静岡直撃のコースです。この瞬間、2泊3日のコースをあきらめ、2日目に赤石を登って、そのまま椹島へ下山し静岡まで、出来たら新幹線に飛び乗り博多までと計画しました。ということで、悪沢-赤石の通常2泊3日のコースを1泊2日で終え、その日に博多まで戻ってきました。この台風は、私が下山して2日後、愛知県に上陸し、京都嵐山に甚大な被害をもたらしました。私はそのニュースをみながら早々に降りてよかったなあと思いましたが、私の人生最大の南アルプス縦走コースは、夢と消え去ってしまいました。
佐世保一筆書きコースの話に戻ります。午前3時30分にスタート(ガスの消し忘れが気になり戻って、実際には3時40分スタート)。烏帽子に到着までは、1時間半、真っ暗なので、ヘッドライトを装着します。ヘッドライトの装着の上に帽子を被っています。右の側頭部が締め付けられるように痛みます。真っ暗で、細かな装備の修正には手を付けません。
この頭痛は、なんでしょうか。ヘッドライトと帽子で頭を締めつけているのが原因です。最新の国際頭痛分類第3版βでは、その他の一次性頭痛に組み込まれた4.6.1頭蓋外からの圧迫による頭痛となります。痛いのでロキソニンを飲みました。ヘッドライトのバンドを緩めたりせずにいたのが原因でしょう?5時に烏帽子岳到着後はヘッドライトも外し、頭痛もなくなり、隠居岳に向かいました。1年目は14時間半、昨年は15時間(雨・風、低体温、弓張から回る)、今年は天候もよく14時間(13時間58分)で無事戻ってきました。1年目は足の小指の爪下に血腫ができたり、マメができたりして苦しんだのですが、今年はそんなこともありません。年老いて体力は落ちても、何かしらの技を体得したのかもしれません。
共済病院 | 烏帽子岳 | 隠居岳 | 国見山 | 愛宕山 | 赤崎岳 | 弓張岳 | 将冠岳 | 共済病院 | |
2012.4.7 | 4:00 | 5:32 | 6:55 | 9:04 | 13:00 | 15:04 | 16:45 | 17:30 | 18:30 |
2014.5.3 | 3:40 | 5:00 | 6:16 | 8:28 | 12:00 | 14:10 | 15:50 | 16:33 | 17:38 |
2015年は、諸事情により頭痛の学習は休むことにしました。
2014年に百名山一筆書きに挑戦された田中陽気さん、2015年は二百名山に挑戦されています。
二百名山一筆書きのNHKの放送を見ていました。
白神山を降り、次は森吉山に移動されていました。田中陽気さん、鼻声。
すると 突然の頭痛。ここ数日、頭痛に悩まれているようです。
白神山を降りて、宿に泊まってからの移動なので午前中のようです。
後頚部が、掴まれるような激痛だそうです。
画面では、左手で鼻根部から前額部を抑えています。
正中部を中心に両側です。
鼻根部から前額部も痛むそうです。吐き気はないようです。
これまでに経験したことのない頭痛だそうです。
痛みのため、とうとう道端に座り込んでしまいました。
30代男性、連日の激しい頭痛。午前中?、鼻声、痛い場所は、正中部、鼻根部から前額部のようです。
私は、テレビをみながら、上顎洞あるいは前頭洞の副鼻腔炎による頭痛ではないかと思いました。
風邪気味で、東北地方の山々の登山で2000m近くまで登ったり降りたりで、気圧の変化が加わったのではないでしょうか。
副鼻腔の炎症により、膿や液体が副鼻腔に貯留します。
夜間に貯留が増加し、朝方に悪化する患者様がいらっしゃいました。前屈などの姿勢も影響します。
痛みの性状や程度から群発頭痛も考えられましたが、群発頭痛は片側性なので違います。群発頭痛は通常は夜間から早朝におきるので、この点も少し違います。その他の鑑別診断は、かなり稀になりますので省きます。
国際頭痛分類第3版では、【11.5鼻・副鼻腔疾患による頭痛】に相当します。私が、佐世保で頭痛外来をしていた時、頭痛の患者様の5%弱は、副鼻腔炎からの頭痛でした。私は、確定診断は、CTやMRIで副鼻腔を含めて調べていました。鼻からと侮ってはいけません。手術になる場合もありますし、脳や視神経に影響を及ぼす場合もあります。
田中陽気さん、能代の病院に行かれました。やはり、副鼻腔炎からの頭痛だったそうです。
陽気さん、頭痛も消失し、森吉山に登頂されていました。
おそらく、ロキソニン、抗ヒスタミン、抗生剤などの処方で著効されたのだと思います。
森吉山、花の百名山。
私は、百名山に挑戦する前に大雪山に何度も登りました。北海道、東北の高山植物の可憐さに心を打たれました。
森吉山は、座禅草を見に登ったことがあります。
山人平という所があり、チングルマの花園です。
思わず歓喜の声を上げてしまいました。周りの人に笑われてしまいました。
チングルマ | チングルマ |
チングルマ | 森吉山頂上 |
ザゼンソウ | ザゼンソウ |
陽気さん、百名山の時もそうでしたが、山頂でたくさんの人に応援されると少し嫌気がさすようです。
人が少ない険しい山ではイキイキとされています。
そういう山の登り方をすればいいのにと思います。
二百名山一筆書きをNHKで放送したり、スポンサーも付いているようですし、個人の楽しみばかりではなく仕事という要素がかなり含まれてしまったのだと思います。
私は、2015年夏秋、穂高にみたされました。7月18、19日西穂高、8月1日-4日槍穂3000mピーク完全踏破(ジャンダルム含む)。シルバーウィークは西穂-奥穂-槍縦走。
その間の7月25日26日にリハビリ研修会、そして、頭痛の勉強会(Headache Master School)に参加しました。
頭痛外来はやっていないので頭痛の患者様も診ることはありません。それでも、1年に4回程度、頭痛の学会・研究会・勉強会などに出席しています。昔、渡辺淳一の小説に猿の抵抗というものがありましたが、そんなものでしょうか。
2015年10月17日から19日まで、今年最大の目標、下の廊下を計画しました。
9月のシルバーウィークで、西穂高-奥穂高縦走を終え、その後、近くの里山でトレーニングを積みました。
下の廊下に備え、メリルの靴を購入し、その靴でトレーニングを重ねました。準備万端。
阿曽原温泉小屋からの下の廊下の開通情報を只管待ちました。
しかし、2015年10月13日、阿曽原温泉小屋HPにとても残念な発表がありました。
なんと、今年は下の廊下、開通しないそうです。昨年の豪雪で、雪がとけなかったそうです。
自然の厳しさと言ってしまえばそれまでですが、残念無念。立ち直れません。
心に少しの余裕があれば、コースを変更して、拳平から阿曽原温泉-十字峡のピストン可能だったでしょう。そこまで、考える余裕がなく、黒部ダムから拳平の下の廊下のコースしか頭にありませんでした。
この時期に陽気さん、阿曽原温泉から劔御前小屋まで一気にアタックされておられました。羨ましい。かわいそう。やっぱり、ここはゆっくり浸りたい。
そんな折、頭痛の勉強会(Headache Master School)の合格通知やら日本頭痛学会指導医の更新通知が届きました。
さてさて、来年はいくつの名峰に登れることでしょうか。
年齢は確実に増えていき、体力や精神力は次第に衰えていきます。
2016年4月に札幌で開催された脳卒中学会に参加しました。
学会が終わって、少し足を延ばし余市に行きました。
マッサンで有名になった余市です。札幌からJRで1時間足らず、小樽を過ぎると、暑寒別岳がみえました。
小樽から行きはバスに乗り換え、余市に着くと、ニッカウイスキー工場が目の前に広がります。
余市行きバスを降りて | 余市 |
散策 | 散策 |
ゆっくりと見学します。お楽しみは試飲。無料と有料とがあります。
グラスを傾けながら、先日起きた熊本震災を想います。
美味しい | 余市ウイスキー |
熊本震災でも多くの人が犠牲になられました。合掌。
また、多くの人が傷つき、家を奪われました。心よりお見舞い申し上げます。
2011年3月11日の東日本大震災の後の日本頭痛学会で、地震の前に頭痛を訴える人がいたという発表がありました。片頭痛で悩まれている方は、光や音、臭い、気圧など、いろいろストレスに対して敏感だと言われています。そんなこともあるのかもしれません?。
日本頭痛学会では、地震予知型の片頭痛として報告されました。
5症例あったそうです。男性1例、女性4例、平均年齢45.6歳だったそうです。
前兆のない片頭痛が3例、前兆のある片頭痛が2例で、地震の起きる72時間前に生じていたそうです。
地震予知型片頭痛が生じる機序として、地震の前に大量の帯電エアロゾルが放出され、それに関係があるのではないかという考察でした。
福岡の生活に慣れてきました。近くの里山歩きのコースを幾つかみつけました。
前任地の佐世保では、裏烏帽子コースは6時間程度、セブンサミッツは11時間程度、佐世保ぐるりと一筆書きコースは14時間程度でした。弓張岳の往復コースは1時間半から2時間半くらいでした。
福岡・周船寺で、そういったコースをみつけるつもりです。現在のところ、雷山往復コースが6時間半程度、高祖山往復コース2時間弱、雷山-井原山周遊コースは8時間程度です。
最近、よく登っているのが、井原山と雷山で、滝のコースです。
2016年3月リハビリの試験が終わった後、近くの雷山-井原山コース、佐世保に帰って裏烏帽子コースなどを楽しみました。
4月上旬、ふと、洗谷から井原山ー雷山縦走コースを思いつきました。洗谷コースはまだ歩いたことありません。
朝6時に出発、舗装された道を歩き、登山口には8時に到着しました。
春。尖った山が雷山、 真ん中が井原山。 | 桜並木と雷山。 |
山登りで、大切なのは登山口を間違えないことです。間違えると違うところに着いてしまいます。そんな馬鹿なと思われがちですが、登山口がわかりにくいことはしばしばあります。
これまで、井原山や雷山は何度も歩いていますが、洗谷コースの登山口に特に気をつけたことはありません。最初にこの山系を歩いたのは、キトク橋の瑞梅寺登山口から井原山、雷山へ足を延ばし、雷山千如寺へ、そこから雷山中腹をトラバースし、瑞梅寺登山口へもどる周回コースだったので、洗谷コースの登山口は確認しているはずですが、忘れました。
その後は、井原山へのダイレクトアプローチは、いつもはキトク橋の瑞梅寺登山口から、時々、三瀬峠からアプローチしています。雷山から井原山へ登るコースが一番多かったと思います。
洗谷登山口を見落とさないように、気をつけました。洗谷登山口に到着しました。いよいよ、念願の洗谷コースです。
井原山登山口道標 微妙な角度の違いが大切 | 洗谷登山口 |
洗谷登山口の標識には、上級者向きと書いてあります。私はジャンダルムに2回登っているので、初心者ではないでしょう、中級者くらいなので、チャレンジする権利は有しています。
慎重に登ります。
ケルンに導かれて、沢沿いを歩き、ツクシショウジョウバカマに迎えられながら、ロープにも助けられながら、気持ちよく歩きました。
あっという間に稜線に出て、井原山到着。
洗谷コースで人と会うことはあうことはありませんでした。水滴り、春の花を愛でながら、静かな素敵なコースでした。
洗谷に入る | 滝 |
ケルンに導かれる | ロープあり |
洗谷にある唯一の道標 | 水飲み場 |
二段の滝 | ケルンを見落とさないように |
一転、井原山の頂き、人気の山で人が一杯。早々に退散し、雷山へ向かいました。
雷山を降り、上宮を経て、中宮に到着。
中宮が、雷神社です。昨春以来、雷神社は2回目です。
ここの大木は見事です。
去年、ここの白い桜を見て、今年も会ってみたいと思っていました。
雷鳴頭痛を考えるには、このコースが一番。RCVSについて久しぶりに考えてみたくなりました。
雷神社(中宮)の見事な白い桜 |
雷神社(中宮) | 雷山千如寺 |
川沿いの桜 | 雷山千如寺の桜? |
雷山千如寺をへて、舗装された道を下り、周船寺に戻ってきたのは、15時でした。 雷山千如寺、桜撮影などでちょっと時間かかりましたが、9時間、まあまあ、足の訓練になりました。 雷神社は四季を通じて歩きたくなりました、楽しみ。
周船寺より井原山・雷山、周船寺への周回。 赤い部分が登山道、青い部分は舗装道 |
山の話をしていると、よく冨士山には登りましたかと尋ねられます。登ったことはあります。
登った後に閑話休題にアップしましたがすぐに消しました。再登場。その頃、薬物乱用頭痛(ICHDⅢでは薬剤使用過多による頭痛(MOH)と名称が変わりました)をずっと考えていました。飛行機の中でも、宿でも論文(Ipad)を眺めました。
では再登場とします。尚、MOHは、当時の薬物乱用頭痛のままとし、内容は、加筆・一部修正します。
2013年夏、富士山に登ってみました。今回の山旅で考えるテーマは、薬物乱用頭痛についてです。
山旅では、思考はひょっとしたら無理かもしれないので、移動中や宿でも考えられるようにipad retinaを持参しました。
冨士山は見る山で登る山ではないとよく耳にします。これまで登った山々から素敵な冨士山を眺めました。そして驚くほど遠くから冨士山はみえます。いくつか紹介します。
尾瀬至仏山から武尊山と冨士山 | 上州赤城山から |
次は東京アルプスです。2009年は、梅雨明けの日から真夏の晴天でした。甲武信岳、国師ヶ岳、金峰山、瑞牆山を縦走しました。夏の青空のもと、冨士山がよくみえていました。暑かった。
甲武信岳小屋を出発、早朝 | 甲武信岳・国師ケ岳縦走路から |
国師ケ岳付近から | 国師ケ岳付近から |
春、丹沢から | 丹沢から 山桜と富士 |
八ヶ岳赤岳付近から | 天城山付近から |
初めての北アルプス。思い出深い裏銀座縦走コース。槍ヶ岳山荘からみた朝の槍沢。
常念岳と冨士山 | 冨士山と南アルプス |
北アルプス立山雄山から | 北アルプス南岳から 大キレットに挑む |
南アルプスから眺める冨士山はいつも最高です。
荒川岳から | 鳳凰三山から |
鳳凰三山から 雲が透けて下界が見えます | 鳳凰三山から |
仙丈ヶ岳からご来光 | 仙丈ヶ岳から冨士山と北岳 |
中央アルプス木曽駒付近から | 中央アルプス木曽駒千畳敷付近から |
さて、見る山であった冨士山へ挑戦。
五合目(2305m)から、冨士山(3776m)までは高度差で1500m足らずです。高度差1500mくらいの山は普段よく登ります。
しかし、冨士山は、3776mの高地です。酸素がうすい、気圧が低いという条件です。これに、天候が悪化し、暴風、豪雨、雷、低温などが加わると、途中下山ということもありえます。
雨対策、防寒対策に特に気を付けました。今回の工夫として、ゴアテックスの雨具と登山靴に十分に撥水スプレーをかけました。薄手のフリースとナノパフと2種の防寒、手袋は夏用と秋用の二つ、neck warmerまで準備しました。日帰り予定ですが、最悪の場合を想定し、下着、靴下の予備までザックに入れました。水分2000mlとパン4つ。
今回、注意した点は4点。1)自分の体調、2)天候、3)初めて体験する3193m以上の高地、4)大勢の人。私は、ほとんど休憩はとらず歩き続け、写真を撮ったりするときに歩くのをやめる程度です。水分を補充する時には立ち止ります。食事はパンを歩きながら食べることが多く、一寸ちがったスタイルです。
午前4時40分スタート。天気予報は外れ、晴れて風もありません。スタート地点が既に2305mです。幸いなことに最初は比較的なだらかです。高地順応のためゆっくりゆっくり歩きました。6合目以降は単調な上り坂です。この時間帯は、人は少ないようですが、通常の登山では考えられないほどの人がいます。今回の登山は、頂上まで時計はみないで自分のペースで歩くという作戦です。サッサと気持ちよく登ることができました。冨士山頂上浅間大社奥宮には7時50分に着きました。
そこから、時計回りにお鉢を回り、日本最高標高地点の剣ヶ峰まで登りました。心配していた高地による身体の異常もなく、思ったよりあっさりと着いてしまいました。
冨士山剣ヶ峰はこんな感じ |
やっぱり、冨士山は登る山より見る山だなあなんてと思いながら、剣ヶ峰をおりて、西へ進んでいくと、とんでもない世界が目に飛び込んできました。雲海の上に南アルプスが端から端まで全てみえて、八ケ岳連峰がみえて、年老いて視力も落ちましたが、眼をこらすと北アルプスの山々、大キレット、槍ヶ岳まではっきりみえました。感動して、なにか叫びました。写真を撮りすぎて、お鉢めぐりは2時間もかかりました(後でよく考えると、それぞれの山々から冨士山がみえていたので、条件が良ければ冨士山からそれぞれの山がみえるのは当然でした)。
聖岳、赤石岳、悪沢岳、塩見岳、間ノ岳、北岳、甲斐駒 南アルプス |
9時50分から下山しました。人が多すぎて、早く歩き五合目に戻ってきたのは11時20分でした。天候に恵まれ、高地順応に悩まされることもなく全行程6時間40分。時間的には佐世保の裏烏帽子コースとあまり変わりません。
11時26分発の河口湖駅行のバスに飛び乗り、宿に戻って汗を流し、河口湖沿岸を散策。宿で薬物乱用頭痛の論文をipadでパラパラと眺めました。
翌日は、冨士山を見る山として有名な三ツ峠山(1786m)に登りました。標高は、九州の九重山系の山々とほぼ同じくらいです。道端には高山植物の花々が咲き乱れていました。三ツ峠山からの冨士山は雄大で、昨日登った冨士山の登山道まではっきりと見えます。
三ツ峠山 | 三ツ峠山から |
頂上では、今回が4回目の三ツ峠山で初めて冨士山をみることができたと喜んでいる方にお会いしました。私は初めてでラッキー。(そういえば、私がよく登っていた大雪山では、いつもガスってなにもみえず、高根ケ原をみることができたのは5回目でした。)
下山は河口湖までゆっくり降りました。この時は、国際頭痛分類の診断を諳んじ、薬物乱用頭痛について考えました。天上山、カチカチ山のロープウェイまでは誰一人と出会うこともなく、独り占めの冨士山を眺めながら、昨日の喧騒がうそのように静かな素敵な山道をゆっくりとくだりました。真夏の山旅終了。
頭痛に本格的に取り組んで5年、薬物乱用頭痛についての論文が一つ、いつも手元にあります。何度読んでもわかりません。今回も、薬物乱用頭痛は、難しいなあ、わかんないなあということがわかりました。
道険し、道遠し。
本HPのタイトル【頭痛山歩】は、山を歩きながら、患者様が投げかけてきた頭痛に対する質問や頭痛一般について考えていくことが目的でした。
それが、私自身が山を歩きながら頭痛に苦しみ、頭痛の恐怖不安に怯えてしまう状況に陥ってしまうとは、人生何が起きるかわかりません。
経過の詳細は、脊振編で記載しました。私は、その時の左こめかみの激しい痛みの原因がまだわかりません。
ここでもう一度、振り返りたいと思います。脊振編で記載した疼痛編をコピー&ペーストし、手を加え簡略化し、あの痛み(頭の痛みの方で、歯の方の痛みではありません)を考えてみます。
2017年4月1日より始まった左顔面(左上顎2番の歯根部)-頭部の異和感や痛みは2017/05/08朝まで続いていました。
経過を振り返ります。
2017年4月1日(土曜日)。基山をゆっくりと登り、歩きながら行動食を食べていると、左上顎2番の歯(左の中切歯)の裏側に食塊が触れ、何かしら異和感を覚えました。
4月4日夜に、左上顎2番の歯に激痛が襲いました。左上顎2番の歯ばかりでなく、左コメカミも痛みました。嘔気はありませんでした。痛みの性状は拍動性ではありませんでした。
4月5日受診。歯科では診察を受け、レントゲンを撮りました。異常なし。痛みは歯からの痛みではありませんと明言されました。
私は、副鼻腔炎か三叉神経の障害を考えました。
2017年4月6日、頭部および副鼻腔のCTを撮りました。画像では、異常はありませんでした。
ロキソニンを集中して飲み、痛みから脳を開放してやれば大丈夫かなと、頭痛専門医&指導医は考えました。
ロキソニンを内服し、実際に痛みはなくなりました。
しかし、痛みは再燃しました。今度は前回ほど甘くありません。1日中の痛みです。軽度の頭痛と激しい頭痛発作が交互に襲ってきます。
カロナール400-800㎎又はロキソニンを内服しました。カロナールは400㎎は全く効果ありませんでした。600-800㎎(3-4錠)でわずかに効果がありました。
カロナールを一回に1000㎎内服するようになりました。ロキソニンは、シャープな効果があります。ロキソニン1錠のほうが、カロナール1000㎎より効果があります。
痛みが多い日には、ロキソニンを1日に1錠を3回内服するようになりました。すると手首足首がむくんできました。恐らくロキソニンの副作用の浮腫です。
困りました。激痛にはロキソニンしか効果ありませんでした。激痛が襲ってくる時間は、さまざまです。ロキソニンを1日我慢すると浮腫は消え去りました。
診断は何なのでしょうか。私はあくまで二次性頭痛だと思います。
歯科受診では、歯が原因の痛みではない(歯根部を含めて)といわれました。
4月中旬に、歯科を再診しましたが結果は同じでした。
頭部CTをもう一度みなおしても、副鼻腔はきれいです。思い余って、脳MRを撮ってみました。異常はありませんでした、三叉神経や脳幹はきれいでした。血液検査では異常はありませんでした。
原因がはっきりしません、一次性頭痛でしょうか。
1日中、毎日続く頭痛。そして、左半側のみ。併発症状として軽い耳の閉塞感と鼻の閉塞感。瞳孔をみてみたら、左の方が若干小さい(?)、自分の瞳孔など日頃はみたこともありませんから、これが異常なのか正常なのかわかりません。
激痛発作の時は、保冷材をハンカチで巻いて左眼やコメカミを押さえて只管、ベッドの上で我慢していました。
これが事実としたら、一次性頭痛では、一つの病気しか思い当たりません、持続性片側頭痛です。しかし、非常に稀な疾患で、私は一度もみたことがありません。診断基準では3ヶ月以上続くこと、インドメサシンが効果かあることという項目があります。3ヶ月は待っていられません。インフリー200㎎をためしに飲んでみましたが全く効果ありませんでした、カロナール1000㎎に遠く及びません。持続性片側頭痛ではありません、もちろん片頭痛や群発頭痛でもありません。
新規発症持続性連日性頭痛は診断基準上、否定はできませんが、違うと考えました(3ヵ月は経っていません)。
やはり二次性頭痛を考えていくしかありません。鎮痛剤を内服し、効いていたのですが、次第に左上顎2番の歯根部付近の痛みは残存するようになりました。左上顎2番の歯は、右に比べると若干ですが、動揺します。原因は、やはり歯根部にあるのではないでしょか。
5月2日の朝の時点では、まだ2017年GWの奥駈男道をあきらめていませんでした。腎機能、浮腫に注意しながら、鎮痛薬を使用していくしかないと考えていました。
痛みは、基本的に2つでした。
①左上顎2番の歯根部の痛み。これは継続してありました。特徴は、2番の歯を刺激すると痛みはピークに達しますが、刺激を加えないと痛みは我慢できる程度でした。
②左こめかみから眼窩にかけての痛み。これは、①の痛みからの副産物と考えていました。拡がったものでしょうか、三叉神経第2枝から1枝の軸索反射が関係していたのでしょうか、三叉神経節や上位中枢の感作によるものでしょうか。この激痛が襲ってくると全く動けませんでした。痛みが襲ってくるのでは、という恐怖感すらありました。。
奥駈男道に際し、頭痛の対策を考えました。
1)鎮痛剤は、カロナールを中心にします。効果は低いのですが副作用を気にする必要があまりありません。
ロキソニンは副作用に注意しなければいけません。特に脱水には注意です。注意深い水分の補給が必要です。しかし山行では、ロキソニン使用に際しては、1錠使用したら十分に水分を補給するつもりです。
2)四肢の浮腫対策は、頭痛予防を兼ねて五苓散、
3)頭痛や顔面の疼痛の基本処方として、漢方を五苓散、呉茱萸湯、桂枝加朮部湯、芍薬甘草湯を用意しました。
予定していた奥駈男道(5月2日夜移動、5月3日-7日)は、結局、2017年5月2日の昼に中止を決定しました。
夕方にもう一度、歯科を受診しました(今回で3回目です)。痛みは、歯からのものではありません。ペインクリニックという方法もありますと歯科医からコメントを頂きました。直訳すると、「あなたの痛みは、歯から来ているものではないから、ペインクリニックに行きなさい」という意味です。
さらに、歯科では、神経を抜く方法や歯を一部削る姑息的な方法がありますと説明を受け、帰宅しました。
半年間準備した奥駈男道を中止した精神的なショックは大きく、脊振ウォーキンクを行ないました(5月3日-5日)。
脊振ウォーキングコースで使用した痛みのグレードを示します。このグレード分類は、後日、述懐し、よくできていると我ながら感心しました。
痛みなしを0とし、痛みを軽、中、重と分け、その前後に僅かと激烈を加えて6段階です。
グレード | 痛みの程度 | 説明 |
グレード0 | 全くなし | 痛みが全くない。 |
グレード1 | 僅か | 痛みがほとんどない。ほんのちょっとある |
グレード2 | 軽度 | 軽い痛み。 頓服の薬剤を必要としない。 |
グレード3 | 中等度 | なんとか我慢できる痛み、 カロナールが必要。 |
グレード4 | 重度 | 我慢できない痛み、 ロキソニンが必要。 |
グレード5 | 激烈 | 動けなくなるほど痛い。 |
痛みは、繰り返しになりますが基本的に2つです。①左上顎中切歯の歯根部の痛み。これはずっとあるのですが刺激を加えるとmaxになりますが、刺激を加えないと逃げ切れます。
②左こめかみから眼窩にかけての痛み。これは、①からの副産物と考えています。②の痛みに対して、上記グレードを使用します。
朝からは五苓散と桂枝加朮部湯の内服としました。この2剤が基本形です。これに頓服のカロナール、ロキソニンを加えました。
鎮痛剤、漢方以外の方法として、大峯奥駈を想起し、「六根清浄」と掛け声をかけることにしました。これはあまり効きませんでした。
雷山の神様、脊振の神様、お助けくださいと頼みました。これは少し効果がありました。
その他に、かつらの葉(ハート型)を左目にあててみました。これも少し効果がありました。
山行では、痛みのグレードは、2程度でした。痛みと語らっていると、登り坂やお腹がすいてくると痛みが増すことに気づきました。グレード3に近づきます。静荷重、静移動を心掛けました。食べ物を口の中に放り込むと、痛みはグレード2に戻りました。
空腹は痛みの閾値を下げ痛みました。食べ物は、パンでも飴でもα米でも効果がありました。血糖値が上がるからでしょうか。それとも食べ物を食べることによる報酬系の賦活が痛みを和らげるのでしょうか。低血糖は疼痛の閾値を下げるという論文があったような気がしますし、片頭痛の誘因に空腹があったことなど思い出しながらウォーキングをつづけました。
今回の疼痛は、繰り返しになりますが、二次性頭痛と考えています。原因は歯根部です。それが、歯科領域なのか、口腔外科領域なのか、耳鼻科領域なのかはわかりませんでした。最初の症状を考えると歯科領域と判断していました。
そこから波及した頭痛なので二次性頭痛と考えていたのです。
一次性頭痛を含め、私が考えた頭痛を表記します。
一次性/二次性頭痛 | 頭痛診断 | 考え |
二次性頭痛 | 11.6 歯・顎の障害による頭痛 | これだと思いました |
二次性頭痛 | 11.5 鼻・副鼻腔疾患による頭痛 | これも考えましたが、CTやMR、Xpで異常はありませんでした |
二次性頭痛 | 13.1 三叉神経痛 | 痛みの性状が異なります。 |
二次性頭痛 | 7.2 低髄液圧による頭痛 | 痛み発作の時に横になると楽だったので頭の中をかすめました |
二次性頭痛 | 7.4 頭蓋内新生物による頭痛 | MRをとってみました |
二次性頭痛 | 5.2 頭部外傷による頭痛 | 違います |
二次性頭痛 | 13.11 持続性特発性顔面痛 | こんなのもあります、 除外診断で残ります |
一次性頭痛 | 1.1 前兆のない片頭痛 | 片頭痛の既往はありません |
一次性頭痛 | 3.1 群発頭痛 | これかなと思いましたが、ロキソニンが著効する群発頭痛はないのではないかと思います |
一次性頭痛 | 3.4 持続性片側頭痛 | インフリー試しましたが全く効果ありませんでした、 違うと思います |
一次性頭痛 | 4.10 新規発症持続性連日性頭痛 | 否定できません、除外診断でのこります |
2017/05/06:出社。激痛発作(グレード5)、禁を破りロキソニン1錠を2回内服。(浮腫が出現するので、ロキソニンは原則内服しない、内服しても1日1錠までとしていました)
2017/05/07:激痛発作頻回、起きていられません(グレード5)。再度、禁を破り、ロキソニン1錠を3回内服。2番の歯根部と上唇の間、丁度、唇と歯肉の間付近にプヨプヨとした柔らかな膨らみを舌で感じるようになりました。そして、著効していたロキソニンは、こめかみの痛みは消失するのですが、逆に、ここ数日出現してきた2番の歯根部から鼻にかけての痛みはとれませんでした。歯科領域の疾患と思いましたが、歯科医が歯の疾患ではありませんと3回も仰るので耳鼻科を受診することにしました。
2017/05/08:朝一で出社し可及の仕事を行い、午前8時半、受診に備えロキソニン内服しました。○○○○センターの耳鼻咽喉科を受診しました。左上顎の2番の歯根部付近に膿瘍を形成しています。痛いでしょう、と2番の歯をコンコンと叩かれました。
その度に脳卒中で気絶しそうな痛みに襲われました(ロキソニン内服し、疼痛対策を施しているにも拘わらず)。歯科を紹介します、と耳鼻咽喉科のDrは仰いました。歯科では、プヨプヨした部分を切開されドレーン挿入されました。歯は悪くありませんとのお話でした。理由はわかりませんが細菌が入ったのでしょう。
麻酔は一寸痛いですよと言われましたが、何ともありません。切開された瞬間に全ての痛みは消失し、頓服の鎮痛剤も全ての漢方薬も全く内服していません。
痛みはなくなったのですが、
どうして、歯が悪くないのに、菌が入ったのか不明だそうです。X線写真で写らないような、歯の骨折があれば、そこから菌が入った可能性があるそうです。そうなると歯を抜く必要があるそうです。
その後、歯科の治療を続け、2017年6月2日で終了。5月8日に切開を受けた瞬間に痛みは消失し、以降、鎮痛剤は内服していません。しかし、最後の治療が終わった日から、左顔面の異和感は続いています。再発したら、原因がわからないので歯を抜くそうです。
治療は終了したのですが、①最後の治療後に左顔面の圧迫感(異常)を持続して感じます、②再発する危険性があり、不安がつきまといます。
ここからが本題です。歯根部が痛むと、コメカミが痛むのはなぜか。
思いつく単語をあげてみましょう、CGRP、サブスタンスP、軸索反射、末梢性感作、中枢性感作、アロディニア、扁桃体、関連痛などです。
そして、アセトアミノフェンとロキソプロフェンの効果に差があったのはなぜか。
長くなってきたので次回へ回します。
歯根部の痛みの原因は、わかりました。では、左のこめかみの激しい痛みはなんだったのでしょうか。
そして、アセトアミノフェンとロキソプロフェンの鎮痛効果に差があったのはなぜでしょうか。
①歯根部の炎症により、歯根部が痛んだときに、コメカミが痛んだのはなぜでしょうか。
歯根部の痛みが、歯根部の炎症から来たのは明らかです。その痛みとは、別に、左コメカミに激痛が襲ってきました。この痛みは何なのでしょうか。
歯根部の炎症の治療後、この痛みを出現していません。したがって、歯根部の炎症が、左コメカミの激痛の原因と考えられます。
背振の山々を歩きながら、激痛発作が来ないことをひたすら祈り、軸索反射、感作・アロディニア、関連痛、二次性片頭痛などの単語が頭の中を駆け巡りました。
軸索反射: 侵害受容器に発生した活動電位が神経の分岐部に達すると、活動電位は脊髄方向だけではなく、他の分枝を末梢方向に逆行することです。逆行してきた活動電位が末梢終末まで到達すると神経伝達物質が放出されます。
つまり、歯根部の炎症による侵害受容器からの信号が、三叉神経節・三叉神経脊髄路核・視床・大脳皮質に到達する途中、三叉神経節に至る前に入る分枝などを逆行し、左コメカミでCGRPやサブスタンスPがリリースされ、左コメカミの疼痛が惹起されるのではないかという考え方です。
この場合、コメカミが三叉神経第2枝の支配領域という考え方です。
この軸索反射による考え方は、自分でいうのもなんですが、違うのではないかと思います。左コメカミの痛みは、夕方遅くから夜、寝ている間、明け方などに起きていました。時相という問題があります。歯根部の炎症がその時間帯に悪化して軸索反射を起こしていたとは考えにくいのではないでしょうか。
感作・アロディニア: このHPでは、感作やアロディニアについて、さまざまな場面でみてきました。
歯根部の炎症や痛みにより三叉神経節あるいは、三叉神経脊髄路核、視床などが感作されて、左コメカミが痛むのは、Bursteinらが提唱した片頭痛の際のアロディニアに相当するという考え方はどうでしょう。
これも違うのではないでしょうか。歯根部の痛みと左コメカミの痛みは、前述したように時相が異なっています。しかも、アロディニアに相当する左コメカミの痛みの方が酷かった。
関連痛: 関連痛とは、疼痛の原因病巣から離れた場所に生じる痛みの事です。椎骨動脈解離の際の痛みが後頚部に生じるのはこのためではないかと考えられています。
どうでしょう。
仙波先生の論文の図をみてみます。 感覚経路や傍腕核を経て扁桃体に至る経路から、 PAG(中脳水道周囲灰白質)や視床下部に 側枝が出ています。 |
軸索反射(この場合は、コメカミは三叉神経第2枝支配という考え)、末梢性感作、中枢性感作、それに伴うアロディニアなど並べてみました。 |
二次性片頭痛や二次性群発頭痛: 片頭痛や群発頭痛の診断基準には、その他の疾患によらないという項目がはいっています。
ということは、二次性片頭痛や二次性群発頭痛という単語自体が、奇異な感じです。
しかし、私自身のイメージとしては二次性片頭痛・二次性群発頭痛でぴったりです。
歯根部の炎症により生じたサイトカインによりPGE2が生成され視床下部を刺激する考え方や歯根部の炎症が視床下部に影響する考え方です。
視床下部で酷い嵐が吹き荒び激痛発作を生じさせる、私のイメージにはぴったりです。
でも違うでしょう。
副鼻腔炎の患者様で、群発頭痛のような痛みを訴えられる患者様がいらっしゃいました。
明け方の激痛発作は、副鼻腔炎が悪化し、痛みが増悪すると考えられています。群発頭痛と間違えやすいのです。
とすると、私のコメカミの痛みもそうだったのでしょうか。
この考え方の方が単純で良さそうです。
結局、わかりません。
②アセトアミノフェン1000mgとロキソプロフェン60mgの効果が、決定的に異なったのはなぜでしょうか。
以前、アセトアミノフェンの業者さんからは、アセトアミノフェン1000㎎とロキソプロフェン60㎎がほぼ同等の鎮痛効果を有すると説明を受けたことがあります。
実際には、片頭痛の患者様に両方の薬剤を使用していただいた印象では、ロキソプロフェンは若干効果があったような手ごたえを感じました。
しかし、私の場合、ロキソプロフェン60㎎の方がアセトアミノフェン1000㎎よりも圧倒的に効果がありました。比較になりませんでした。なぜでしょうか。
私の痛みの診断は:歯根部の炎症により誘発された左こめかみの痛みです。
炎症→痛みの構図です。
痛みを取り除くには、ロキソプロフェンもアセトアミノフェンも効果がある筈です。
2剤とも、鎮痛解熱剤です。
明確な違いは、鎮痛解熱の作用機序が異なり、ロキソプロフェンには抗炎症作用があり、アセトアミノフェンには抗炎症作用はありません。
炎症がある場合には、抗炎症作用のある薬剤がいいのかもしれません。
ロキソプロフェンは、非ステロイド系抗炎症剤です。英語ではnonsteroidal anti-inflammatory drugs(NSAIDs)です。抗炎症作用があります。
アセトアミノフェンには、抗炎症作用は少ない(ない)と考えられています。
私の歯根部の炎症により誘発された左こめかみの痛みには、ロキソニンの抗炎症作用が有効に働き、アセトアミノフェンよりも効果があったと考えられました。
では、各々の機序について考えてみましょう。
1)ロキソプロフェン:
末梢でサイクロオキシゲナーゼを抑制します。これによりPGE2の産生が抑制されます。
痛覚経路の模式図です。PGE2が末梢で生成されます。 |
ロキプロフェンは、末梢でサイクロオキシゲナーゼを阻害しPGE2生成が抑制されます。 |
PGE2は、疼痛(発痛増強作用)、発熱、炎症を引き起こします。PGE2の産生が抑制されると、鎮痛解熱作用や抗炎症作用作用が得られます。
PGs | 生理作用 | 受容体 |
PGE2 | 発熱、疼痛 | EP1 EP2 EP3 EP4 |
PGI2 | 血小板凝集阻害、血管拡張 | IP |
PGD2 | DP CRTH2 | |
PGF2 | 子宮収縮 | FP |
サイクロオキシゲナーゼには、サイクロオキシゲナーゼ1(COX1)とサイクロオキシゲナーゼ2(COX2)があります。
サイクロオキシゲナーゼ1(COX1)は、細胞に常に発現し、胃粘膜保護、血小板凝集、利尿作用などを有しています。
一方、サイクロオキシゲナーゼ2(COX2)は、炎症時に誘導され、炎症反応を示します。
サイクロオキシゲナーゼ全て阻害すると、胃粘膜や血小板機能、腎機能に障害をきたします。
単純に考えるとCOX2を阻害すればよいと考えられます。
そう簡単にはいきません。サイクロオキシゲナーゼ2のみを阻害し、血小板凝集が高まることもあり注意が必要です。
特性 | COX1 | COX2 |
酵素の性質 | 構成型酵素 常に細胞に発現している | 誘導型酵素 脳・腎では構成型酵素 |
誘導因子 | 誘導されない | サイトカインなどにより誘導 |
性質 | 胃粘膜保護、血小板凝集、 利尿、血流の維持など | 炎症反応、血管新生、 創傷治癒、骨吸収など |
2)アセトアミノフェン:
アセトアミノフェンは、末梢でのサイクロオキシゲナーゼに対する影響は殆どありません。
そのため、抗炎症作用を有しません。
では、どのようにして鎮痛解熱作用が出現するのでしょうか。実はよくわかっていないようです。
中枢での作用と考えられ、次のような多くの作用機序が考えられています。一般的に考えられているのは下行性疼痛抑制系を促進し鎮痛作用をきたすと考えられています。
1.サイクロオキシゲナーゼ
2.オピオイド
3.セロトニン
4.TRPV1
5.アナンダミド
6.その他
アセトアミノフェンの作用機序を示します。実際はもう少し複雑ですが、中枢で下行性疼痛抑制系を促進し鎮痛作用をきたすと考えられています。 |
つまり、ロキソプロフェンとアセトアミノフェンとは、全く作用機序の違う薬剤だったわけです。
日頃、私は、ロキソプロフェンとアセトアミノフェンについて、作用機序という点でほとんど区別することなく、ただ、副作用の点で、アセトアミノフェンがより安全に使用できると考えて、アセトアミノフェンとNSAIDsを使い分けていました。
鎮痛解熱剤について、再考をきたすきっかけになりました。
脳卒中の治療は、日進月歩ですさまじい勢いで変わろうとしています。
頭痛の治療は、ゆっくりゆっくり変化しているような気がします。脳卒中の急性期の治療は、時間との勝負、頭痛の治療は、逆にゆっくりとお話をおききすることから始まるのと同じような感じです。
以前、京都での学会が終わり、JRでゆっくり帰りました。のぞみで博多まで、それから博多発佐世保行みどりに乗り込み、プリーズというJR九州の小冊子を眺めました。酒造物語という連載があり、旭酒造の特集でした。
旭酒造は、大分中津の名酒(焼酎)、耶馬美人の酒蔵です。若い頃、部長先生に、脳血管撮影の手技と焼酎の飲み方を教えていただきました。当時は、二階堂酒造の吉四六という大分の麦焼酎が好きで、時々は耶馬美人(麦と米がありますが、私は米の方が好きです)を飲んでいました、懐かしくその頃を思い出しました。
九州特産の焼酎。芋焼酎・中村譲、長崎の大島酒造・星のなる木、黒糖焼酎・里の曙、麦焼酎・百年の孤独。台は、成書 The Headache third editionです。 |
その後は、百年の孤独(今では高価で手に入りませんが、当時は2700円でした)、里の曙ブラックボトル(黒糖)、中村譲グリーンボトル(芋)などいろいろな焼酎を飲んできました。現在は、40度の焼酎は、残念ながらきつすぎて飲めません。
長崎っ娘、鳥、壱岐の麦焼酎、星のなる木など長崎県の地元の麦焼酎をいただいています。値段も手ごろでついつい飲み過ぎてしまいます。
ある朝、病棟のある6階から階段を下りていると、ズキンズキンとした頭痛が出現。これまでにも何回もあります。この頭痛は、起床時より始まり夕方にはおさまります。嘔気嘔吐もあります。眩しいのは嫌で光過敏があります。音も気になります。動くと痛みは増します、出来たら横になって寝ていたいですね。片頭痛の診断基準に照らし合わせてみるとついに私も片頭痛??。
ではありません。片頭痛の診断基準にも、他の疾患を除外するとの記載があります。
健康のため運動(山登り)をしています。山登りの日は、鉄板焼きの信玄さんに寄り、美味しい信玄焼きと焼酎を頂いて帰ります。ちょっと飲みすぎたようです。
この頭痛は、国際頭痛分類第3版βによると遅発型アルコール誘発頭痛です、いわゆる二日酔い。
飲み過ぎ注意。
2022年は私にとって激動の1年でした。
2022年7月の下旬に北アルプス表銀座を歩きました。
帰ってきて、7月30日土曜日朝、勤務先の机にむかいました。
突然、iphoneが鳴りました。実家の母からです。
母親から驚きのフレーズが飛び出してきました。
朝方、今まで経験したことのないような頭痛があってノーシンを飲んだら少し良くなったの。
私にこのフレーズ、絶句。
午前4時から症状があって、6時ことから電話していたそうです。
父親は施設に入っており、母親は独居です。
田舎に住む母親は頑固です、私のいう事なんかききません。
救急車で病院に行ってとお願いしましたが、きいてくれません。
やむを得ず、タクシーで行ってくれと話しました。タクシーで行ってくれたようです。
私は仕事先を早退し、新幹線に飛び乗り、そのまま、実家のある田舎に帰りました。
診断はくも膜下出血でした。脳神経外科の医師が診察中に、意識を失ったそうです。
グレード1からグレード4へ。
右中大脳動脈、ブロードネックで形のいびつな大きな動脈瘤です。
そこの脳神経外科の医師は私のことを知っていて、コイル塞栓術を行いたいと思いますと話しました。
母親は89歳です。お任せしました。コイル塞栓術はうまくいったと思います。
経過は順調でしたが、その後、水頭症を併発し、VPシャントが行われました。
VPシャントは、朝8時半に手術室に入り、終わったのは17時くらい。
私はこの時点で全てを諦めました。(通常、VPシャントは午前中に終わる手術です)
母親は、認知症となり、今は回復期リハビリテーション病院に入院しています。
もう自宅に帰れることはありません。
今、思うことは、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血、頭、痛かったろうなあ、、、、。
2時間も電話に出れず、ごめん、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
実家を片付けていると、ノーシンの空箱を何箱も見つけました。
母親はなんと頭痛もちだったのです。
兄は知っていました。そういえば、天気の悪い時なんか、頭が痛いと言っていたなあ。
施設に入っていた95歳の父親は、母親がくも膜下出血になって45日目に呼吸不全で突然、亡くなってしまいました。
私は、父親には、母親が倒れたことは伝えていません。
母親は父親のところに週に2回くらいガラス越しの面会に行っていたのですが、突然、来なくなったのです。
私は、父親を励まそうと母親の代わりに週末に面会に行っていました。
父親が母親が来なくなったことをどう思っていたのかはわかりません。母親が来なくなったことで、生きていく力がなくなったのでしょう。
私は、入院中の母親には、タブレットの面会に行っています。
ある日、母親が、お父さんは入院しているとやろと尋ねたことがありました。
施設に入っているはずの父親が入院していると急に言い出した時には、本当に吃驚しました。
私は、循環器のA先生が担当で病院に入院しているよと話しました。その時には既に父親はなくなっていたのです。母親は、A先生なら安心ねと話していました。
2022年10月末、カテーテルアブレーション後、2年を過ぎましたが、心房細動が再発しました。
なるほど、ストレスが心疾患や脳卒中を誘発するのは、こういうことだなあ
coffee break | tea time |